tag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post2899018809971332015..comments2018-05-19T19:17:21.737+09:00Comments on 「意味」の周辺: 鏡像の意味論―その7―擬人化と鏡像問題田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-13354995692879982412015-11-11T02:25:55.111+09:002015-11-11T02:25:55.111+09:00そもそも「像」、英語で言えば「イメージ」ですが、光や物質のような存在ではありません。人間の認知による...そもそも「像」、英語で言えば「イメージ」ですが、光や物質のような存在ではありません。人間の認知による産物です。鏡像と実物を直接見た像との対を考えてみた場合、直接見た像と鏡を反射させて見た像とを比較して左右逆転とか、前後逆転とかを認知しているのです。「変換」と言った概念を使用することで、この意識的な認知作用による比較のメカニズムが覆い隠され、なにか自然に生じる過程のような錯覚が生じるのではないでしょうか?<br /><br />「変換」とは本質的に人為的な操作です。変換する元の対象と変換後の対象のそれぞれ異なる意味があって初めて成立すると考えられるのです。意味の違いを認識するのは人間であって、自然でも自然現象でもありません。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-18495164617404105702015-10-27T00:05:27.012+09:002015-10-27T00:05:27.012+09:00>鏡像を見て左右なり上下なりが変換されたと見、ある場合を「光学変換」として物理現象とみなし、あ...>鏡像を見て左右なり上下なりが変換されたと見、ある場合を「光学変換」として物理現象とみなし、ある場合を別の種類の変換として心理現象とみなして、別種の現象とみなされる場合、明らかに物理現象とみなされた「光学変換」は物理現象が擬人化されていると見ることができる、というより、擬人化そのものである。<br /><br />この部分が正直よく理解できませんでしたが、私の中では、鏡による「変換」というと擬人化しているというより、鏡の反射の法則による光への作用による結果(その光を人が見た場合にどういう像を網膜に結ぶのかなど)であって、そういう意味では科学的な表現として間違いではないと思のですがどうでしょうか?何も鏡が意思を持って能動的に人に上下の変換(反転)を認識させるという意味にはならないと思うのですが。<br />「変換」を「反転する」とした場合も特に擬人化のようには個人的には感じられません。<br />言葉にあまり詳しいわけではありませんし、言葉の使い方として本来、人が主語であるべきもので、それ以外の場合は擬人化ということになるのかもしれませんが、科学的判断に影響を与える誤解をする部分にはあまり感じないのですが、どうでしょうか?ゴマフ犬noreply@blogger.com