tag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.comments2018-05-19T19:17:21.737+09:00「意味」の周辺田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comBlogger64125tag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-12004632970242894122018-05-19T19:17:21.737+09:002018-05-19T19:17:21.737+09:00歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索する...歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)<br /><br />政治家は今も昔も同じですね。<br />読み通すのは一頑張りが必要かも。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-81630631791446143092015-12-22T22:59:48.043+09:002015-12-22T22:59:48.043+09:00>鏡像の場合、同じ対象の直接の像と比較して必ず例外なく対掌体になっているのです。
これについ...>鏡像の場合、同じ対象の直接の像と比較して必ず例外なく対掌体になっているのです。<br /><br />これについては何度か申し上げたと思いますが、鏡像についての物理的な要素はただの光なのであって、それをどう見るかは、観測者の主観による部分があり、「例外なく対掌体」ということはないと思います。目の錯覚などを除くとしても、奥行きにある程度の自由度があることと、見えていない部分に関しては観測者が勝手に補う部分でしかないと思うことがその理由です。<br /><br />>「鏡像問題」あるいは「鏡映反転」の問題という以上、鏡像ではない像だけの場合との違い、あるいは差異を明らかにしなければ鏡像問題としての意味がないのではありませんか?<br /><br />これについては、そもそも、私自身、「鏡像問題」は2つの形態の比較以上の意味合いはあまりないと思っています。ただ、ある物体とその鏡像との比較という特性によって観測者に独特の心理的作用を与えることがあるために、「鏡は左右が逆になるのに上下は逆にならないのは不思議だ」とか言った疑問を持つ人がいると言うだけのことだとは思います。なので「鏡像問題」として特別扱わなければいけないような問題があるのかと言うとあまり無いように思います。<br />ただし、他の鏡像が関わらない場合として扱えるものであっても、その場合についての原理が明らかになっていない場合は、それについて明らかにするならば他の部分についても明らかになるためむしろ有益であると思うことと、すでに明らかになっているものがそのまま適用できる場合であっても、その「そのまま適用できる」と言うことが認識されていなければ、「そのまま適用できる」と言うことを示すことには意味があるのではないかと思います。つまり、他の場合と共通する問題で研究する意味がないものは、他のすでに明らかになっているものをそのまま適用すれば良いことがすでに分かっている場合ぐらいではないかと思います。<br />他の場合でも生じるものは、「鏡像問題」として扱うのではなく、「2つの形状の比較の問題」の一態様として示すべきだという考え方もあるかもしれませんが、内容が有益であればどの問題として扱うかはあまり気にしないでも良いように思います。<br />ニュートンの運動方程式や万有引力の法則は地上の物体と惑星の運動の両方に共通して適用できることに意義があるという見方は一般的なものだと思いますし、原子レベルのミクロな世界での研究が宇宙の研究に対して適用できた例もあったと思いますし、問題を細分化して他の部分は考えないというより、共通して適用できるものを見出そうとする方が科学者の一般的な姿勢だと思います。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-79484813186922921702015-12-22T19:42:03.499+09:002015-12-22T19:42:03.499+09:00確かに鏡像ではない二つの像で形状の逆転が見られる場合はあります。私が「鏡像に固有」と書かずに「鏡像に...確かに鏡像ではない二つの像で形状の逆転が見られる場合はあります。私が「鏡像に固有」と書かずに「鏡像に特有」と書いたのはそのためです。ただし、鏡像の場合、同じ対象の直接の像と比較して必ず例外なく対掌体になっているのです。それが鏡像であるための必須条件です。その点で全体として鏡像を含まない視空間と明確に区別できるわけです。そもそも「鏡像問題」あるいは「鏡映反転」の問題という以上、鏡像ではない像だけの場合との違い、あるいは差異を明らかにしなければ鏡像問題としての意味がないのではありませんか?<br /><br />今回も3つの記事をていねいに読んでくださり、ありがとうございます。他のコメントには今すぐにはお答えできませんが、今後このブログ(および「発見の発見」)で、鏡像問題や関係する話題で記事を書く際には大いに参考にさせていただきますので、引き続き当ブログをお読みくだされば幸いです。<br /><br />なお、当方、鏡像問題関連ではブログ記事とは別のところで公開したいと考えているワークを断続的に作成準備しています。差し支えなければ貴殿に草稿をレビューしていただければと考えていますので連絡を差し上げるかもしれません。その際はご検討いただければ嬉しいです。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-77362069226917065962015-12-19T09:44:37.870+09:002015-12-19T09:44:37.870+09:00>描かれた図は当然、単なる図形であり、身体感覚はもとより、認知能力などあるはずもなく、図から説...>描かれた図は当然、単なる図形であり、身体感覚はもとより、認知能力などあるはずもなく、図から説明できることはあくまで視覚的な情報にとどまります。<br /><br />これについては私のブログの方でも指摘されたことだと思いますが、描かれた図形が視覚的なものであるからと言って、そこで表現されているものも必ず視覚的なものとなるわけではないと思います。仮に図形によって視覚的なものではないものを表現するのが適切ではないとすると、真っ暗闇にある物体の形状をレーダーを使って分析して、それを画像によって表すことも適切ではないことになるのではないでしょうか?もっと極端な例を挙げると気象情報における風向や風速などについても図形を使って表されていますが、それも適切ではないことにならないでしょうか?<br />視覚的なものであれ、身体感覚によるものであれ、認知した形状を説明しようと思うならば、図形によって視覚的に表現するのが分かりやすいと思うので私は図によって表現するわけで、他の方が同じように描くのも概ね同じ理由ではないかと思うのですが、どうでしょうか?ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-31132201250412946472015-12-19T09:41:44.356+09:002015-12-19T09:41:44.356+09:00>座標系を用いると確かに形状を数値や数式で表現できるでしょうが、数値や数式から図形の持つ意味を...>座標系を用いると確かに形状を数値や数式で表現できるでしょうが、数値や数式から図形の持つ意味を把握できるわけではありません。<br /><br />この点は、全くその通りだと思うのですが、それをもって「形状は単に点の集まりに過ぎないと考えることが如何におおざっぱで、安易な誤った考えであるか」と言うかどうかは、「形状」という言語的な意味をどう捉えるかという部分によるのではないでしょうか?<br />むしろ、言語的な意味での形状は「単に点の集まりに過ぎない」のであって、「形状の意味」はそれに付随する別物という捉え方になると思うのですが、どうでしょうか?<br />ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-30341192785528525362015-12-19T09:39:57.359+09:002015-12-19T09:39:57.359+09:00>鏡像に特有の問題に関係するのは「形状の逆転」だけです。
鏡の有無に係らない、実像という形状...>鏡像に特有の問題に関係するのは「形状の逆転」だけです。<br /><br />鏡の有無に係らない、実像という形状と鏡像という形状との比較の意味ではそうかもしれませんが、鏡の存在を問題にするなら「形状の逆転」も鏡像に特有の問題ではないのではないでしょうか?鏡像ではなく、ある物体とその対掌対とを比較する場合にも生じ得るものだと思います。「鏡の存在こそが鏡像問題に固有のものだ」という捉え方もできると思いますが、固有の問題以外は除外すべきだとすると、「形状の逆転」も除外すべき対象となり得ると思うのですが、どうでしょうか?<br />基本的に何を問題にするかは、固有の問題に限定することが必然的と言うわけではなく、個人の主観による部分が大きいと思います。ある説の妥当性は、その個人の主観によって問題にした部分についての理論性や論理性によって基本的に判断されるものであって、何を問題にしたかによって判断されるものではないと思います(その価値を判断する際には関係するとは思いますが)。<br />鏡像問題の議論で私が混乱の原因と思うことの一つは、何を問題にしているかが人によってバラバラであって、他説に対しても解釈(特に、問題としているものが心理的な部分なのか物理的な部分なのか)が適切になされていないがために不要な批判が展開されている部分が多いような気がします。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-57601691650573691692015-11-19T07:38:19.919+09:002015-11-19T07:38:19.919+09:00確かに、鏡像問題とはあまり関係のない話でしたが、上記私のコメントについて一つ訂正です。
飛行機から見...確かに、鏡像問題とはあまり関係のない話でしたが、上記私のコメントについて一つ訂正です。<br />飛行機から見た場合に、「飛行機の進行方向に一軸を持つその飛行機に固定された座標系」と書いてしまいまいたが、この場合も飛行機に固定されてはいるが鉛直方向と水平方向の2軸からなる座標系の方が簡単だったと思います。人の視線の傾きを表現するのであれば、単にその座標系に描いた軌跡を傾けてみればよいだけでした。<br />申し訳ありません。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-78301827035089376682015-11-19T02:14:50.183+09:002015-11-19T02:14:50.183+09:00興味深い問題に発展しそうですが、本稿の直接のテーマから離れて収集がつかなくなりそうなので、これ以上こ...興味深い問題に発展しそうですが、本稿の直接のテーマから離れて収集がつかなくなりそうなので、これ以上ここでは、この問題でお答えしないことにします。このブログの他の記事や、他のブログの記事で、関連する問題に触れているかもしれません。ただ一つだけ付け加えるとすれば、私が言いたいことは、物理学も人間の営みの一つであるということです。ゲーテの科学論に近いものが根底にあるように思います。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-67988696871520275512015-11-18T22:43:39.146+09:002015-11-18T22:43:39.146+09:00放物運動については、重力方向での座標なり、その遷移を見ることが目的ならば、別の方向の2軸構成される座...放物運動については、重力方向での座標なり、その遷移を見ることが目的ならば、別の方向の2軸構成される座標系を用いた場合には、当然重力方向への変換が必要なわけですが、放物運動一般についても重力方向への変換が必要かと言えば必ずしもそうではないと思います。単純に放物運動の軌跡を求めるだけならば変換の必要はありませんし、例えば石を斜め上方に投げ上げた場合に、その石が空中にある的に当たるかどうかを求めるためには、どんな座標系をとろうとも、その座標系での石の軌跡を求めて、その軌跡が、的の占める空間(これも同じ座標系で表現されたもの)を通過するかどうかを見ればよいのであって、特に鉛直(重力)方向への変換は必要ないと思います。<br />もっとも、鉛直方向と水平方向の2軸をからなる直交座標系を用いれば、放物運動の軌跡は2次関数で表されるため、そちらの方が便利ですし、人の感覚としてもその方が分かりやすいため、普通はその座標系を用いるということだと思います。<br />ただ、ある放物運動を、斜め上方に直線的に飛んでいる飛行機から見た場合にどういう風に見えるかを求めたい場合には、その飛行機の進行方向に一軸を持つその飛行機に固定された座標系を用いることになる思います。<br />要するに、どの方向に軸を持つかだったりどんな種類の座標系(直交座標系や極座標系など)を用いるかは、何を求めたいかによるところが大きいのであって、重力というのはその選択に影響を与えるものではあっても、絶対的な影響力があるというわけではないと思います。<br />その理由というわけではないのですが、そもそも放物運動の軌跡に影響を及ぼすのは重力だけではなく、その物体を投げ上げたときのその物体の速度(初速)も影響するものであって、重力だけが特別なわけではないと思いますので。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-87679671431171079532015-11-17T14:29:46.514+09:002015-11-17T14:29:46.514+09:00微妙で難しい問題ですね。
物理学全般で「等方性」の概念がどのように扱われているか、私はよく知らない...微妙で難しい問題ですね。<br /><br />物理学全般で「等方性」の概念がどのように扱われているか、私はよく知らないのです。結晶学の初歩を習ったときに「光学的等方体」という概念を教わりましたが、それ以外の分野ではよく知りません。<br /><br />ここで等方性と言っているのは物理学以前のいわば認識論的な立場で考えています。物理空間における等方性と違法性についての考え方については、マッハとカッシーラーとの間でも隔たりがあるような気がします。<br /><br />今回の場合、私の考え方は、ゴマフさんの考え方に近いように思います。<br />「重力方向を一つの基準にして、座標軸の一つをそれに合わせる」といっているとおり、重力方向が座標軸そのものであるとは言っていません。「合わせる」というのは全く別物のを重ね合わせるという意味であって、同一であるといっているわけではありません。「必然性」というのは実用上あるいは技術的な必然性という意味で言っているとお考え下さい。重力の帰結を求める以上、重力方向での座標を求める必要があり、ほかの方向で座標を求めた場合も結局重力方向に変換するわけなので、最初から重力方向に合わせるに越したことはないということです。<br /><br />座標系というのは結局のところ、道具なのですから、固有座標系を作るのであれば、別に名前を付けて問題はないと、私も思います。要するに約束事ですね。ただ等方的であるべき座標系の座標軸に意味のある名前を付けるのは問題だと思います。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-73828104092063483302015-11-16T22:36:42.793+09:002015-11-16T22:36:42.793+09:00補足で一点だけ、
幾何光学と放物運動での座標系について
幾何光学における座標系が等方的なものであ...補足で一点だけ、<br /><br />幾何光学と放物運動での座標系について<br /><br />幾何光学における座標系が等方的なものであって、放物運動における座標系が異方的なものとして扱っておられると思うのですが、これは個人による感覚的なものではないでしょうか?<br />放物運動の場合には「地球の重力を問題にしている以上重力方向を一つの基準にして、座標軸の一つをそれに合わせるのは必然性があります。」とのことですが、別に必然性はないと思います。放物運動はただの運動であって、その際の重力というのはただの力なのですから。どんな座標系をとろうともそれによって運動の性質が変わるわけでも、そのような座標系をとらなければ運動を記述できないわけではないはずですので。むしろこれが物理学における等方性だったと思います。<br />仮に重力の存在によって、放物運動における鉛直方向と水平方向の座標軸を持つ座標系を異方的なものとみて、「鉛直方向」、「水平方向」といった名前を付けることを許るすのであれば、鏡像問題においても、鏡に垂直な方向に軸をとって、鏡の存在をもって、何らかの名前を付けても特に問題ないことにならないでしょうか?<br />要するに、「等方性」「異方性」と言ったものは、テクニカルレポート等においては左右と上下は入れ替え不可といった感覚的なものについていわれていると思いますが、座標系を等方的とみるか異方的とみるかもその意味では感覚的なもの(物理学における意味では力学だろうと天文学だろうと幾何光学だろうと等方的)だと思いますので、意味のある名前を付けるかどうかは個人の自由で良いのではないでしょうか?それによって理論的な部分に違いが出るわけでもないと思いますので。<br />以上になります。<br />お忙しいと思いますし、そもそも私に返信を求める権利がないことも自覚しておりますし、返信が遅れたとか、返信がないなどと言うことで不満に思うこともありませんので、そこはYAGURUMAさんの自由で何ら問題ありません。<br />改めまして、お付き合い頂きありがとうございました。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-67303258186362595662015-11-15T23:38:05.272+09:002015-11-15T23:38:05.272+09:00ご返信頂きありがとうございます。
共有座標系や固有座標系については、私がみたのは、高野陽太郎氏の『...ご返信頂きありがとうございます。<br /><br />共有座標系や固有座標系については、私がみたのは、高野陽太郎氏の『鏡の中のミステリー』だったと思います。<br />他にも見たものはあるので、確かではありませんが。<br /><br />座標系については、私が必要だと思っているのは、実際の実像と鏡像の関係というわけではなく、観測者が左右の逆転などを認知する際の基準になるものを数学的に表すとどうなるかといった際に用いるものになります。<br />つまりは観察者は依存した座標系であって、左右などの名前を付けたものが意味をなすようなもの(異方的な空間で使用するもの)を想定してのものです。<br />実際の実像と鏡像の関係についてはおっしゃる通り、左右などの意味を持たない幾何学で用いる座標系で考察すれば事足りると思います。ただ、その部分は単純な幾何光学であって、特に議論の対象になるようなこととは考えなかったため、その部分での座標系の必要性の是非を議論する意識は持っておりませんでした。<br />恐らく、幾何学的の「的」部分の扱いが、YAGURUMAさんと私で異なっていたのだと思います。<br />YAGURUMAさんは「等方的」という点に着目して、「幾何学的」と表現していたのだと思いますが、私は異方的であっても幾何学に関連したものであれば「幾何学的」という認識でありました。<br />誤解があったようで、申し訳ございません。<br />私のブログの方も見て下さるとのことですので、テクニカルレポートについてのメールはその後にしたいと思います。<br />なお、私のブログでは「座標系」と表現すべきところが、「座標」と表記されておりますが、全て修正する余裕もないためその点ご了承ください。<br />お付き合い頂きありがとうございました。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-80660431020083605272015-11-15T01:14:23.179+09:002015-11-15T01:14:23.179+09:00【最初のご指摘について】
私が『「左右軸」の場合、ある直線方向が左右方向の意味を持つということを表...【最初のご指摘について】<br /><br />私が『「左右軸」の場合、ある直線方向が左右方向の意味を持つということを表現しているだけであって、直線上の距離関係や位置関係は問題にしていません。』と言っているのは、「左右軸」という言葉の使い方について言っているのであって、何も鏡像問題で、「鏡映反転の問題はその意味でまさに位置関係に関する問題だ」と思っていないということではありません。現に位置の逆転の問題はこのブログのこのシリーズでも、テクニカルレポートでも頻繁に取り上げているはずですが。私は位置の逆転といった問題は相対的な関係であるから、通常の幾何学的な座標で扱うべきであるといっているのです。<br /><br />【二番目のご指摘について】<br /><br />おそらく吉村氏の著書『鏡の中の左利き』の内容に対する解釈ではないかと思うのですが、おっしゃる様に解釈しますと、それはつまるところ、私が先般に述べた3種類の逆転の中で「意味の逆転」に帰着すると考えられるのです。その種の反転は対掌体の性質に帰着させられるところの「形状の逆転」ではない種類の逆転であり、その著作の主張と矛盾するのです。<br /><br />【最後のご指摘について】<br /><br />私は、放物運動などの問題を例にあげてゴマフさんが考察しておられるような内容に反するようなことは何も言っていません。それらの多くはその通りです。地球上の環境は一つの固有座標系として考えることは便利なことだとも思います。また地球の重力を問題にしている以上重力方向を一つの基準にして、座標軸の一つをそれに合わせるのは必然性があります。<br /><br />私が前回のコメントで例に挙げた鏡面上に原点を持つ座標軸は、放物運動の問題を扱っているのではありません。鏡像の問題を扱う場合に問題になる物理学の分野は力学でも天文学でもなく幾何光学です。幾何光学は文字どおり幾何学的に考察する限りでの光学であって、実用的な応用分野はともかく、基本的には、幾何学的な座標系に帰着して考察できるはずです。幾何光学には引力も地球の重力も関係ありません。鏡像問題でも心理的な方向で掘り下げていった場合に地球の重力が問題になる可能性はありますが、基本的な視覚のみに関わる範囲で重力方向は関係ないと考えられます。<br /><br />【それ以外の問題について】<br /><br />これまでの私のコメントは、私の記事に関するご意見に限ってお答えしていますので、ご不満を持たれたとすれば申し訳なく思います。最近は時間的にも能力的にも余裕がないので未だゴマフさんのブログを拝見しておりませんが、できるだけ早い機会に拝見し、そちらのほうに感想を書かせていただきたいと思っています。<br />田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-48037197355380210312015-11-14T14:31:05.630+09:002015-11-14T14:31:05.630+09:00座標軸や座標変数に名前を付けられているようなものでいうと、他にも、前に挙げた緯度、経度もそうだと思い...座標軸や座標変数に名前を付けられているようなものでいうと、他にも、前に挙げた緯度、経度もそうだと思いますし、高度、水深、標高といった鉛直方向のものなど色々あると思うのですが、どうでしょうか?<br />これらは、基本的に位置を表すものであって、上下前後左右はただの方向を指し示すのに過ぎないと考えられているのではないかと思いますが、先ほどのコメントでも申しましたように、私が思うに鏡映反転はどちらがより上かといった位置関係が問題になると思いますので、上下、前後、左右の度合い(何から見てどれぐらい上にあるかなど)を示すのもという意味で、名前を付けること自体は問題ないのではないでしょうか?もっとも、あくまで度合いを表すものであるため、上下、前後、左右といった言葉ではなく、上の度合い、前の度合い、左の度合いといった言葉を使うべきだと言うことであれば、一理あるとは思います。ただ、いきなり度合いと言う言葉を使うと逆に混乱されそうな気がしますので、<a href="http://gomahuinu.seesaa.net/tag/articles/%8B%BE%89f%94%BD%93%5D%82%CC%89%BC%90%E0" rel="nofollow">私のブログで紹介している説</a>では上下、前後、左右という言葉用いております(元々が、専門家ではなく、あくまで一般の人向けに書いているという事情もありますが)。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-17173770538854466792015-11-14T10:11:35.210+09:002015-11-14T10:11:35.210+09:00一部はメールでもお伝えしようと思っていたことではありますが、
>「左右軸」の場合、ある直線方...一部はメールでもお伝えしようと思っていたことではありますが、<br /><br />>「左右軸」の場合、ある直線方向が左右方向の意味を持つということを表現しているだけであって、直線上の距離関係や位置関係は問題にしていません。<br /><br />私が思うに例えば、「左右が反転した」というのは、まさに左右の位置関係が反転しているということではないでしょうか?鏡映反転の問題はその意味でまさに位置関係に関する問題だと思うのですが、どうでしょうか?<br />位置関係と関係のない「左右が反転」したという判断を私は想定できないのですが。<br />形状の反転にしても、それは物体の各点の相対的な位置関係の反転にほかならないのではないでしょうか?そもそも形状(色彩は除く)自体が各点の相対的な位置関係によって形作られるものだと思いますので。<br /><br />以下はその上で、<br /><br />>地球や一人の人物といった個体から離れた抽象的な上下前後左右の軸からなる共有座標系というものは今のところ、ちょっと考えられません。<br /><br />そういった「共有座標系」なるものは私も特に想定はしておりません。この前言及いたしましたのは私が読んだ文献から「共有座標系」(共通座標系だったかもしれませんが)の使い方を推測すれば、観察者に付随した上下前後左右(自分から見て右手のある方向が右方向など)を想定して、それをもって実物と鏡像の鏡映反転の判断がなされる場合に使われているのではないかということです。<br />メールの方でもお伝えしようと思っていたことですが、テクニカルレポートの5-1(1)の段階で鏡映反転が認知される場合には、そのような座標系なり方向軸が想定されていませんでしょうか?そういったものが何もなければ、「左右の反転」という認知は成り立たないのではないでしょうか?<br />文献によっては別の使われ方もあるのかもしれませんので、使用の是非については分かりませんが(私自身は特に使っておりません)。<br />それと、これも私が読んだ限りの推測ですが、鏡映反転における「固有座標系」というのはCGの「固有座標系」(これが何かは正確には知らないのですが)を想定したものではなく、実物と鏡像それぞれに別々に与えられた方向を基準にした座標系と言った意味で使われていると思います(テクニカルレポートの5-2(2)の方向軸がそれに対応していると思います)。私が以前、「共有座標系は観測者の固有座標系」といったのはそういった意味になります。<br />言われている「地球や一人の人物といった個体から離れた抽象的なら上下前後左右の軸かなる共有座標系」というのは、実物と鏡像に別々に割り当てられた(固有)座標系なり方向軸なりの位置関係を表す際に使われているものを言われている可能性はないでしょうか?その場合は、実像と鏡像それぞれの座標系に共通して適応されると言った意味で共通やら共有やらの言葉が使われているものはあった気がします。ただ、その座標系は地球や一人の人物といった個体から離れたのもであれば、とくに上下前後左右の軸などは持っていないのではないでしょうか?<br />その場合にも使われているとすれば、その座標系においては上下前後左右の概念を割り当てる必要は私もないと思います。<br /><br />>それが考察あるいは計算上便利だからであって、それらの軸に上下とか左右といった名前を付けることはしません。<br /><br />名前を付けるかどうかは、基本的に個人の好みの問題だとは思いますが、例えば、物理の放物運動の問題などでは、鉛直方向と水平方向の座標軸を持った、座標系が描かれることは普通にあると思います。計算する際には鉛直方向をy軸、水平方向をx軸として計算するわけですが、それは計算の際に(鉛直成分)と書くよりyと書いた方が楽で見るほうも分かりやすいからであって、鉛直方向を座標軸の名前とするのが不都合だからとかいうわけではないと思います。むしろ「鉛直成分」や「水平成分」などと言った言葉は普通に使用されていると思います。鉛直方向にy軸をとった際のy成分などとはあまり言わないと思います。なので、名前を付けないことにこだわる必要も特にないのではないでしょうか?ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-24874139398587411462015-11-13T21:59:01.385+09:002015-11-13T21:59:01.385+09:00地球とか、個々の人物とか、前後左右などが定まった個々の道具など、個物に固有の座標系を適用するのは、事...地球とか、個々の人物とか、前後左右などが定まった個々の道具など、個物に固有の座標系を適用するのは、事実上すべて技術的というか、実用上の必要で行われているので、まさに座標系が道具であることを示しているように思います。CGの固有座標系などがその代表的なものだと思いますが、いずれも相対的な位置や距離を数字に変換してコンピューターで計算したり、逆に数値から画面に画像を表示したりするために使用されるので、もちろん科学研究の目的でCGが使われるとしても、それ自体はあくまで技術であって科学ではないと思います。<br /> <br />もちろん、固有座標系の概念が科学的な考察で使われることもあり得るし、有用なら使えばよいと思います。私自身、「固有座標系」は使うかもしれません。しかし、地球や一人の人物といった個体から離れた抽象的な上下前後左右の軸からなる共有座標系というものは今のところ、ちょっと考えられません。そのようなものを想定すると混乱の元になると思います。その意味で、前後上下左右からなる共有座標系の概念は論理的に矛盾をはらんだものにならざるを得ないように思うのです。<br /><br />また、私が上下軸や左右軸という表現で十分だというのは、例えば「左右軸」の場合、ある直線方向が左右方向の意味を持つということを表現しているだけであって、直線上の距離関係や位置関係は問題にしていません。だから、ことさら座標軸というような表現は必要がないし、混乱を招くだけだと考えます。<br /><br />距離や位置関係はすべて相対的なものです。ですから距離や位置関係を表すには相対的な位置を表す幾何学的な座標系があれば足ります。そのような座標系は私も胸像問題の考察で使用しています。鏡面上に原点をとり、鏡を見る人物から見て上下、前後、左右方向に各軸を定義するとしても、それが考察あるいは計算上便利だからであって、それらの軸に上下とか左右といった名前を付けることはしません。<br />田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-72926813923786139992015-11-12T02:16:00.372+09:002015-11-12T02:16:00.372+09:00今日は時間がないので、再度お答えはできませんが、テクニカルレポートに対するご意見をメールでくださる由...今日は時間がないので、再度お答えはできませんが、テクニカルレポートに対するご意見をメールでくださる由、ありがとうございます。いつでもすぐにご返事できるとは限りませんが、ぜひメールをお寄せください。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-43019396516077341292015-11-12T00:46:03.788+09:002015-11-12T00:46:03.788+09:00さらに東西南北についていうと、座標軸ではありませんが、球(面)座標系(3次元の極座標系)の角度変数に...さらに東西南北についていうと、座標軸ではありませんが、球(面)座標系(3次元の極座標系)の角度変数に東西と南北を対応させたものが、経度と緯度であって、これはまさに、どちらがより北にあるかを表せるものだと思いますが(東西については循環しているので範囲を区切るなどの操作が必要ですが)、東西南北が意味をもつ概念だからといって、特に問題は生じてはいないのではないでしょうか?ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-87494225301809780632015-11-12T00:26:41.474+09:002015-11-12T00:26:41.474+09:00上記コメントの捕捉です。
>それに対して「上」や「右」には歴然とした「意味」があります。従っ...上記コメントの捕捉です。<br /><br />>それに対して「上」や「右」には歴然とした「意味」があります。従って、少なくとも、幾何学的な座標系とは同じものとは言えないと思います。従って、少なくとも、幾何学的な座標系とは同じものとは言えないと思います。<br /><br />この部分は何と言いましょうか、幾何学的な座標系の座標軸に一般的には固有の意味はないと言えばそうだと思いますが、それは、それらの座標軸に上下、左右などの意味のあるものを当てはめることを妨げるものではないのではないでしょうか?「座標軸に一般的には固有の意味はない」というのは、どのように当てはめようと基本的に自由であって、上下、左右、前後以上に入れ替え不可に思える(というより定義が明確に決まっている)東西と南北に座標軸(例えばx軸とy軸など)を対応させることなどは普通になされることではないでしょうか?<br />仮に、上下、左右、前後などの意味のある方向に座標系の概念を用いた場合に問題が生じるのであれば、それはどのようなものでしょうか?ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-22518584114872998202015-11-11T09:05:51.839+09:002015-11-11T09:05:51.839+09:00ご返信ありがとうございます。
>「上」や「右」と、「Y」や「X」とは範疇が違います。Y軸とX...ご返信ありがとうございます。<br /><br />>「上」や「右」と、「Y」や「X」とは範疇が違います。Y軸とX軸との関係は互いに直交するという相対的な関係があるだけで、YにもXにも固有の「意味」はなく、交換が可能です。それに対して「上」や「右」には歴然とした「意味」があります。従って、少なくとも、幾何学的な座標系とは同じものとは言えないと思います。<br /><br />これはテクニカルレポートにも書かれていた「幾何学的空間」と「知覚空間」の違いのことだと思いますが、それはその通りだと思います(テクニカルレポートについての意見は、後日まとめてメールでお送りしようと思うのですが、よろしいでしょうか?)。<br />ただ、例えば、どちらがより上かという判断をする場合に、方向軸のみを定めた場合、軸上以外の2点のどちらが上かは厳密には決まらないはずですが、でもなんとなくの判断はあると思います。そのなんとなくの判断を明確に表すには、各点を軸上の点に対応させてみるなどの操作が必要であって、この場合は座標系と見たほうが明確で分かりやすいのではないかということです。そういった対応関係などが明確になっていないと私自身は気持ち悪く感じますし、科学的な考察をするという場合には重要なことではないでしょうか?<br />そういった対応関係は座標系の概念そのものであって、特に概念を拡張する必要はないと思います。<br />「座標系という用語を使わなくても考察が進められる」場合は、基本的に全ての場合に言えてしまうというか、一回一回説明すると長くなってややこしくなるものを「座標系」という言葉で置き換えて定義しているだけのものだと思いますので、「座標系」という言葉に限らず、「絶対的に必要でなくても便利だから使う」というのが言葉の普通のありようではないかと思うのですが、どうでしょうか?ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-13354995692879982412015-11-11T02:25:55.111+09:002015-11-11T02:25:55.111+09:00そもそも「像」、英語で言えば「イメージ」ですが、光や物質のような存在ではありません。人間の認知による...そもそも「像」、英語で言えば「イメージ」ですが、光や物質のような存在ではありません。人間の認知による産物です。鏡像と実物を直接見た像との対を考えてみた場合、直接見た像と鏡を反射させて見た像とを比較して左右逆転とか、前後逆転とかを認知しているのです。「変換」と言った概念を使用することで、この意識的な認知作用による比較のメカニズムが覆い隠され、なにか自然に生じる過程のような錯覚が生じるのではないでしょうか?<br /><br />「変換」とは本質的に人為的な操作です。変換する元の対象と変換後の対象のそれぞれ異なる意味があって初めて成立すると考えられるのです。意味の違いを認識するのは人間であって、自然でも自然現象でもありません。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-28965426477948868692015-11-08T01:16:34.045+09:002015-11-08T01:16:34.045+09:00「どちらがより上」という場合と「どちらがより右」という場合の関係を、「どちらがY軸上でより値が大きい...「どちらがより上」という場合と「どちらがより右」という場合の関係を、「どちらがY軸上でより値が大きい」と「どちらがX軸上でより値が大きい」という場合との関係を比較してみましょう。<br /><br />「上」や「右」と、「Y」や「X」とは範疇が違います。Y軸とX軸との関係は互いに直交するという相対的な関係があるだけで、YにもXにも固有の「意味」はなく、交換が可能です。それに対して「上」や「右」には歴然とした「意味」があります。従って、少なくとも、幾何学的な座標系とは同じものとは言えないと思います。<br /><br /><br />座標系は座標系と呼ばなくては不都合な場合になって初めて座標系と呼べば良いのであって、座標系という用語を使わなくても考察が進められるのであればあえて座標系という用語を使う必要はないと思います。おっしゃるように、座標系というのは道具なのですから、必要な場合に使えばよいので、座標系という概念をことさら拡張したり、追及したりする必要はないと思うのです。<br /><br /><br /><br />田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-74777136682973895892015-11-02T00:00:33.501+09:002015-11-02T00:00:33.501+09:00今回のご質問の最初の方は、今の段階でちょと意味がのみこめません。今日は時間がないので、とりあえず最後...今回のご質問の最初の方は、今の段階でちょと意味がのみこめません。今日は時間がないので、とりあえず最後の疑問についてお答えします。<br /><br />この問題を考えるためにはまず、『鏡像』という具体的な対象と、『対掌体』という抽象的な対象とを分けて考える必要があると思います。鏡像は対掌体の特殊なあり方の一つで、鏡像イコール対掌体というわけではありませんから。<br /><br />抽象的な対掌体について考えると、一軸のみで逆転していると見ることができると同時に三軸で逆転していると見ることもできます。しかし、元の記事で、図に即して説明している個所では、具体的な鏡像として図4の中央の枠で囲んだ図について説明しているのです。この図の片方を[頭―足]方向の軸を中心に180度回転すると、確かに3つの軸で同時に逆転することになります。しかし具体的な鏡像関係ではそのような鏡像は生じ得ません。鏡像(対)は対掌体(対)の特殊なケースであって、対掌体と同義では無いうことです。私自身、この区別を完全にできているかどうかといえば、確認してみないとわかりませんが。現実問題として立体化学で対掌体と鏡像対象とを同義のように扱っていますが、厳密には両者を区別すべきだと思います。<br /><br />なお、明日からきわめて多忙になりましたので当分のあいだ、ご質問にお答えできなくなります。まだご質問が残っていますが、また今後の機会にお答えします。また、今後の胸像問題に関するご質問は、件のテクニカルレポートをお読みくださってからにして頂くとありがたいです。真剣なご議論をありがとうございました。田中潤一https://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-88498937367669606832015-11-01T09:29:45.865+09:002015-11-01T09:29:45.865+09:00>座標とか座標系はあまり考える必要はなく、ただ方向軸という概念だけでよいと思います。
方向軸...>座標とか座標系はあまり考える必要はなく、ただ方向軸という概念だけでよいと思います。<br /><br />方向軸というのは、どちらがより上側かなどが判断できるもので、物体の各点のその方向軸での位置を数値化できるものだと思いますが、これは座標(系)の概念そのものではないでしょうか?<br />単に、xyz(直交)座標系でいうなら、x軸だけを定めて、y,z軸は定めないというだけで、これも座標(系)の一部を使っていると言えると思います。<br />常に3軸が必要なわけではないという意味であれば、それはその通りだと思います。ゴマフ犬noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1005992177417970488.post-27967180478703136652015-11-01T08:48:23.868+09:002015-11-01T08:48:23.868+09:00>どれか1つの軸を中心に180度回転すると、2つの軸は逆転が戻りますが、回転の中心となった軸は...>どれか1つの軸を中心に180度回転すると、2つの軸は逆転が戻りますが、回転の中心となった軸は逆転したままです。<br /><br />この部分はまさに私が最初のコメントで申しました「その結果できたものを回転するなどすれば任意の一つの方向軸でのみ形状を逆転させた状態に出来るというだけだと思います。」の部分と同じではないでしょうか?<br />それはあくまで認知した2つの形状を幾何学的に分析すれば、「任意の一つの方向軸でのみ形状を逆転させた」関係になっているということであって、これは、「互いに対掌体であり、任意の一軸で互いに逆転した形状になっている」という幾何学的な表現で事足りるのではないでしょうか?<br />最初のコメントで私が引用した「したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。」の部分は後の「1) 形状の逆転は必ず一方向でのみ認知される。」というのと同義で、あくまで認知の問題ということだったと思いますが、次に「2) 形状の逆転が認知される方向は、方向軸が相対的に逆転している方向と一致する。」ともあるため、認知の際には、特定された必ず「一つ(だけ)の方向軸」が存在するという意味に読めると思うのですが、どうでしょうか?私の疑問点はその上でのものになります。<br />「3つの軸(3つの軸方向の形状という意味だと思いますが)が逆転する場合も含めてよい」の部分は「必ず一つの方向軸でのみ生じる」(「必ず一つ」という表現から、3つの方向軸で生じることはあり得ない)とは表現として矛盾していると思います。<br />仮に、矛盾のない表現をするならば、「したがって形状の逆転の場合に認知した形状は、必ず任意の一つの方向軸でのみ(形状を)逆転させたものと同じになります。」などとすべきではないでしょうか?<br />テクニカルレポートについては、時間があるときに読もうと思います。ゴマフ犬noreply@blogger.com