2015年1月3日土曜日

鏡像の意味論 ― その5 ― 用語の意味から考える-その4 「左右逆転(方向軸の逆転)」には三種類がある

意味の逆転形状の逆転とは互いに無関係

図1:左右の意味的逆転(方向軸の意味的逆転)

図2:形状の左右逆転(形状の方向軸における逆転)

前回と前々回、「左右逆転」を「形状の左右逆転」と「左右そのものの逆転」との二通りに解釈でき、それぞれの解釈を説明しました。両者それぞれの解釈が妥当と考えられる二通りの現象(認知現象)があるとすればそれらの現象が互いに関係があるか、別個の現象であるかを明らかにすることは重要なことです。というのも、互いに独立した別個の現象が、同じ「左右逆転」という用語で表現されている可能性が出てくるからです。結論から言って、「形状の左右逆転」と「左右そのものの逆転」とは別個の独立した現象であり、互いに無関係であるといえます。前回記事のとおり「左右そのものの逆転」は「左右の方向軸の逆転」とも言えるので当面、単に「左右軸の逆転」またはさらに左右以外の方向軸にも適用して抽象的に「方向軸の逆転」と呼ぶことにします。

上の二つの絵は「左右そのものの逆転」と「形状の左右ないし上下逆転」とそれぞれ図示したものです。次に説明しますが、上述のとおり、方向軸の逆転形状の逆転とは独立した現象であって互いに無関係であることが図からもお判りいただけると思います。

方向軸の意味的逆転は意味の逆転であり、対象がヒトの場合は上下や前後の意味するものを取り違えることはあり得ず、事実上、左右逆転すなわち左右の取り違え以外にはありえません。これは認知上の誤りですが、言葉の使用における規則違反ないしは間違いであるともいえます。上の図1はこれを表現したものです。
こちらを向いた人物の右側に相当する方向は、ピアノでは左側であり、人物の左側に相当する側が右側になっています。これは左右の意味上の逆転であり、「左右軸の逆転」と表現してもよいのではないかと思います。さらに、「左右軸が逆転した異なった座標系」を使用して認知しているとも表現できるかもしれません。これはヒトとピアノというまったく別の対象ですが、観察者の方を向いた人物をピアノと同じ左右軸で認知することも往々にしてあるように思われます。しかしそのような認知は間違いであるとみなされるので×印を付けています。

いずれにしてもこのような認知は対象が鏡像であるか否かには関係のないものです。また「逆転している」という場合、ピアノと人物というまったく別の対象間で逆転しているとも言えるし、一人の人物を見る異なった観察者によって逆転しているともいえ、一人の観察者が見るときの心理状態によって逆転するとも言えます。要するにこれは認知上の問題であり、場合によっては鏡映反転現象に関わる可能性があるとしても、それは鏡映反転現象に特有の問題とは言えません。


図2は「形状の逆転」を説明したものです。形状の(左右)逆転そのものについては前々回の記事の図を参照してください。
いずれの像も立体であって、裏返すと背中が見えるものとします。また上下と左右は画面の上下左右ではなく、各人物像に固有の上下と左右を意味するものとします。

これら 4 つの人物像の中で① と ② の関係、および①と④の関係をとってみると、いずれの関係も「上下が逆転している」と言えそうな気がします。しかし②と④では明らかに形状が異なります。②と④のどちらについてもそれぞれを①と比べて「上下が逆転」と表現してしまえば、②と④の違いを区別できず、この意味でも「上下逆転」や「左右逆転」という簡潔な表現に問題があることがわかります。

②と④の違いは、②の場合は像をどのように回転、移動しても①と重ね合わせることができないのに対して、④の場合は像に回転と移動を加えることによって完全に重ね合わせることができる点です。このような場合は幾何学的に同形であるとみなせます。従って形状の逆転が見られるのは①と②の関係であることがわかり、この関係は①と ③、② と④の場合も含めて矢印でつないだすべての関係について適用できます。

第三の左右逆転

図2で、形状の異なる② と④のいずれもが①に対して「上下が逆転」していると表現でき、②の場合は形状が上下で逆転しているとも表現できるのに対し、④は①と同形だとすれば①と④の場合、形状が上下で逆転しているとは言えません。では①と④を比べた場合に何が上下で逆転しているといえばよいのでしょうか。この場合は図1に示した意味的逆転とも明らかに異なります。図1において左右の意味が逆転しているのと同じ意味で上下の意味が逆転しているわけではありません。しかし確かに上下の軸が逆転しているように見えます。また上下の軸が逆転しているとすれば、①と②の関係においても同様です。したがって①と②の関係と①と④の関係に共通して何らかの上下における逆転が生じていることは確かです。この逆転は「意味的逆転」でもなく、「形状の逆転」でもない別種の逆転といえるはずです。

この逆転は②の場合も④の場合も180°回転することによって解消します。ただし、④の場合はこの回転で①と重なりますが、②の場合はこの回転で③と重なり、③を①と比べると形状が左右で逆転していることがわかります。

すでに了解済みと思われますが、①と②とは互いに鏡像関係にあります。それに対して①と④とは互いに鏡像関係ではありません。したがってこの方向軸の逆転は、像が鏡像であるか鏡像でないかには関係がありません。上下軸を持つ形象であれば何にでも適用されるものです。つまり次の図3のように明らかに別人の形象についても言えることなのです。

図3:異なった人物像との比較

まずここで明らかになったことの一つは、鏡像問題の対象として取り上げられる左右などの逆転(反転)現象の中には鏡像とは関係のない現象、あるいは必ずしも鏡像のみに関わるものではないもっと一般的な方向軸の逆転が含まれているということです。すなわち、図1で示した意味的逆転とこの図3や、図2の①と④との間に見られる逆転関係です。

この逆転関係を他の逆転関係と明確に区別するにはどう定義すればよいでしょうか?とりあえず異なった二つの人物像の「固有方向軸(間)の逆転」と呼ぶことにします。名前や定義はともかく、この逆転と形状の逆転とを見分ける必要があります。というのも、図2の①と②との関係では、形状の逆転とこの方向軸の逆転とが共存しているからです。

この固有方向軸の逆転のみの場合は図2の①と④や図3で見られるように上下軸だけではなく左右軸も逆転しています。つまりこの場合は前後軸を中心にして像全体を180°回転したとみなせるため、前後軸に垂直な平面すなわちすべての方向軸が同時に逆転しているとみなせます。それに対して形状の逆転が含まれる場合には左右軸の逆転はなく、上下軸だけが逆転しているといえます。それをわかりやすく説明したのが次の図4です。この図は図1の①と②の関係すなわち形状の逆転を取り出したものですが、人物が着ているシャツのしわを表す線の両端に星とリングの形をつけています。真ん中の一対の像で比較してみると、星形とドーナツ形の位置関係は、上下では逆転していますが左右では逆転していません。図の上部のように平行移動してみるとさらにはっきりと、頭と足とが逆転しているのに左右(星とドーナツ形の左右関係)は逆転していないことがわかります。

図4:2種類の逆転の共存


他方、上下が逆転している対の一方を平行移動ではなく180°回転すると、図4の下側のようになり、上下軸での逆転は解消しますが、左右軸の逆転が生じています。星形とドーナッツ形の位置関係が左右で逆転するからです。

このように、形状の逆転固有方向軸の逆転とが共存している場合は固有方向軸の180°回転によって逆転を解消することができますが、その場合には必ず別の方向軸で軸方向と形状とが逆転することになります。したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。この逆転する方向軸は必ずしも上下・前後・左右の一つでなければならないわけではなく、どのような方向軸でも生じ得ます。次の図5では左右の人物像それぞれの上下軸から互いに反対方向に35°傾いた軸上、すなわち画面の横軸方向で形状が逆転しています。顔とか足とか、具体的な意味を持つもので形状を表すとわかりづらいと思いますが、シャツのしわを表す曲線図形に着目すると、画面の横軸方向で逆転していることがわかります。

図5 

以上の検討から帰納的に次の二つの推測が導かれます。
1) 形状の逆転は必ず一方向でのみ認知される。
2) 形状の逆転が認知される方向は、方向軸が相対的に逆転している方向と一致する。

1) の方は、鏡像問題に関する従来の研究ですでに明らかにされていること、すなわち鏡像と直接像との対は互いに対掌体であり、任意の一軸で互いに逆転した形状になっていると説明される事実に合致します。

2) の方は、これらの図から直観的に読み取れることですが、これらの図ですべての場合が表現されているわけではありません。これまでの図は立体を表すものとして、裏側から見るとまったく別の像に見えるものと想定されてはいるものの、人物像の前後を表す方向軸は全く表現されていません。またこれらの図では観察者の立場にいるのは読者のみです。鏡像問題でよく例として挙げられるのは多くの場合は自己鏡像の場合です。読者とその鏡像との関係を図に表現することは不可能です。

ただ、多くの場合は自己鏡像について言えることだとしても、自己鏡像であるなしに関わらず、多くの場合に鏡像と直接像とを比べて左右が逆転しているものと認知されるとされていることは事実であり、その際に生じている方向軸の逆転方向が左右軸ではないことが多いことも確かです。鏡に対して正面を向いた人物像とそれに対する鏡像との関係でいえば、前後の方向軸が互いに逆転しています。したがってこの場合は方向軸が逆転する方向と形状の逆転が認知される方向とが一致していません。この不一致の原因を考察することが鏡像問題の重要な課題の一つといえるでしょう。

従来理論における混乱の一因

鏡像問題に関する従来理論のいずれも、本稿で明らかにされた(と私が考える)三通りの逆転が明確に区別されていないと思います。前回に触れた吉村氏の理論は鏡像問題を包括的に説明することを試みた最後の理論とも言えますが、そこでもこの三通りの逆転が明確に区別されないことに起因する理解不能な部分が残されているように考えられます。

11 件のコメント:

ゴマフ犬 さんのコメント...

>したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。

一つの軸方向のみの場合だけでなく、任意の方向に奇数回反転(逆転)(例えば、前後、左右、上下で1度ずつ反転)したものであれば良いはず。その結果できたものを回転するなどすれば任意の一つの方向軸でのみ形状を逆転させた状態に出来るというだけだと思います。これが「任意の一軸で互いに逆転した形状になっている」ということだと思います。

田中潤一 さんのコメント...

引用されている「したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。」で言っている逆転は人為的に加える操作(例えばすぐ前で言っている180度の回転は人為的な操作といえます)ではなく、結果として認知できる逆転のことです。言葉が本質的に持つ宿命で、何事も動詞で表現せざるを得ないため、動的に解釈されやすいのだと思います。

ゴマフ犬 さんのコメント...

>「したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。」で言っている逆転は人為的に加える操作(例えばすぐ前で言っている180度の回転は人為的な操作といえます)ではなく、結果として認知できる逆転のことです。

上述の前後、左右、上下で1度ずつ反転したものの場合は、結果としても、前後、左右、上下全て方向軸で反転を認知し得ると思うのですが、どうでしょうか?

その4の方で教えていただいた論文は読んでみようと思います。教えていただき、ありがとうございました。

ゴマフ犬 さんのコメント...

上のコメントについての追記です。

形状の逆転の認知の定義がそもそも、「一方を、一(直線)軸方向において、その形状を逆転させれば、他方と全く同じ形状になると認知すること」ということでしょうか?
「形状の逆転」と「その認知」の定義によっては問題ないようにも思うのですが、少し分かりにくい気がします。
「『したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。』で言っている逆転は人為的に加える操作(例えばすぐ前で言っている180度の回転は人為的な操作といえます)ではなく、結果として認知できる逆転のこと」とのことですが、その認知をするためには、180度の回転などの「人為的な操作」を頭の中などで行うことが、通常、必要だと思います。その際に、任意の3つの方向軸での人為的な反転を頭の中などで行った結果、形状の逆転を認知した場合にどの軸方向の逆転が生じたと言えるのか、などが不明瞭ではないでしょうか?3軸方向で逆転した場合と1軸方向で逆転した場合の形状が同じであると知っている場合は、特定の1軸を定めるまでもなく形状の逆転を認知できると思うのですが、どうでしょうか?
また、上のコメントの「前後、左右、上下で1度ずつ反転したものの場合」は前後が見えていない部分があるため、そこを推理などによって補う必要があるため、「自己鏡像認知の問題」と同じ区分けになりますでしょうか?その場合は、例えとして不適切だったと思います。申し訳ありません。

田中潤一 さんのコメント...

「形状の逆転」についてはこのシリーズの『その3』でも説明していますが、この記事の例でいえば図4の女の子のシャツに星とドーナツ型の二つの「形」をマークしてありますが、一方向だけの逆転がみられる場合、一方では星が女の子の右側にあるのに対して他方では星は女の子の左側にあります。こう考えると左右だけ星形という「形」が逆転していると表現してもよいのではないでしょうか。また図4の真ん中の図では、観察者の立場から言えばどちらもドーナツが上で星が下とも言えます。そういう見方をすれば頭と足という、これも「形状」が観察者の立場で逆転しています。だから、どのような見方をしても一方向だけで「形」が逆転しているといえると思います。「形状の逆転」は一つの便宜的な表現に過ぎません。普通の幾何学的な座標系を持って来れば、xyzの三つの軸の一つの軸だけ、各点の数値がプラスとマイナスの関係にあるといえますから、一方向での位置の逆転と言えないこともないですね。

このような逆転はどのように重ね合わせても重なりません。そのまま平行移動して重ねても重ならないし、一方を180度回転させても重ならない。したがって正確には「形状の変化」なのです。しかしどのような「変化」なのかといえば「形状の一方向の逆転」という表現が便利なのではないでしょうか。

この図は画像ソフトの「(左右)反転」というコマンドで作成したものです。だからデジタルのイメージ操作では可能な変形といえます。また純粋な二次元像(例えば透明フィルムの画像)であれば、裏返すことで可能ですから、二次元像の場合は変形していないとも言えます。しかし三次元像の場合は重ならない。それで4次元空間があれば重ね合わせることができるといった議論がマッハも言っていると思いますがとかヴィトゲンシュタインが言い始めたようです。

胸像の後ろ側あるいは裏側の想像は、自己像の想像とば違うと思います。鏡を通さない直接の像の場合は他人の場合その人の後ろに回れば、見ることができるし、鏡像もその人に後ろをむいて貰えば後ろを見ることができます。同時に見ることはできないですが、それでも自己像の場合と一緒にはできないでしょう。

ゴマフ犬 さんのコメント...

>普通の幾何学的な座標系を持って来れば、xyzの三つの軸の一つの軸だけ、各点の数値がプラスとマイナスの関係にあるといえます

私が気になっているのはこの「一つの軸だけ」というの部分になります。その他の、形状の差異や「変化」の態様についての主張などに特に異論があるわけではなく、あくまで、「一つの軸だけ」といえる理由が分からないということです。例えば、上でコメントいたしました「前後、左右、上下で1度ずつ反転(逆転)した」ときにできたものは、、前後、左右、上下すべての軸で、(適当に平行移動を行えば)各点の数値がプラスとマイナスの関係にあるといるはずです(各点の数値の差のプラスマイナスで考えれば平行移動も必要ない)。そして、その形状は「一方向だけの逆転」のものと同じ形状で、どのように回転操作や平行移動をしても、元の形状とは一般には一致はしないはずです。なのでこの場合も形状が逆転していると言ってよいのではないでしょうか?そして、最初のコメントで引用した「したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。」の部分は形状の逆転の認知が「一つの方向軸でのみ生じる」という意味だったと思います。仮に、「前後、左右、上下で1度ずつ反転(逆転)したものの場合」にも形状が逆転していると言え、その認知が「必ず一つの方向軸でのみ生じる」のであれば、その認知が生じるのはいったいどの一軸なのか、ということですが、どうでしょうか?

田中潤一 さんのコメント...

確かに直交する3つの軸を逆転してもうそうなります。しかしその場合、どれか1つの軸を中心に180度回転すると、2つの軸は逆転が戻りますが、回転の中心となった軸は逆転したままです。ですから1つの軸だけの場合と同じですね。だから3つの軸が逆転する場合も含めてよいと思います。

田中潤一 さんのコメント...

もう一つ。幾何学的な座標系の場合、x、y、zの3つの軸は約束事で紙面の上下左右関係で決められたものであって、固有の意味を持たないので、別に符号は入れ替えても傾けても同じことです。基本的に直行さえしていればどのような位置で決めても、どのような符号をつけても同じことですからどの軸がということは無意味です。ですから、任意の一軸で逆転しているといえるので、それがこの記事の最後の方で触れている対掌体の意味です。

田中潤一 さんのコメント...

この直交座標系の座標軸の取り方が任意であるということは幾何学的な空間が『等方的』であると表現できます。これを最初に言ったのが恐らくマッハなのです。それに対して知覚空間あるいは視空間は『異方的』であると、マッハは言ったのです。このことが先ほど言及した日本認知科学会に提出したテクニカルレポートの主題なのです。ぜひお読みください。

ゴマフ犬 さんのコメント...

>どれか1つの軸を中心に180度回転すると、2つの軸は逆転が戻りますが、回転の中心となった軸は逆転したままです。

この部分はまさに私が最初のコメントで申しました「その結果できたものを回転するなどすれば任意の一つの方向軸でのみ形状を逆転させた状態に出来るというだけだと思います。」の部分と同じではないでしょうか?
それはあくまで認知した2つの形状を幾何学的に分析すれば、「任意の一つの方向軸でのみ形状を逆転させた」関係になっているということであって、これは、「互いに対掌体であり、任意の一軸で互いに逆転した形状になっている」という幾何学的な表現で事足りるのではないでしょうか?
最初のコメントで私が引用した「したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。」の部分は後の「1) 形状の逆転は必ず一方向でのみ認知される。」というのと同義で、あくまで認知の問題ということだったと思いますが、次に「2) 形状の逆転が認知される方向は、方向軸が相対的に逆転している方向と一致する。」ともあるため、認知の際には、特定された必ず「一つ(だけ)の方向軸」が存在するという意味に読めると思うのですが、どうでしょうか?私の疑問点はその上でのものになります。
「3つの軸(3つの軸方向の形状という意味だと思いますが)が逆転する場合も含めてよい」の部分は「必ず一つの方向軸でのみ生じる」(「必ず一つ」という表現から、3つの方向軸で生じることはあり得ない)とは表現として矛盾していると思います。
仮に、矛盾のない表現をするならば、「したがって形状の逆転の場合に認知した形状は、必ず任意の一つの方向軸でのみ(形状を)逆転させたものと同じになります。」などとすべきではないでしょうか?
テクニカルレポートについては、時間があるときに読もうと思います。

田中潤一 さんのコメント...

今回のご質問の最初の方は、今の段階でちょと意味がのみこめません。今日は時間がないので、とりあえず最後の疑問についてお答えします。

この問題を考えるためにはまず、『鏡像』という具体的な対象と、『対掌体』という抽象的な対象とを分けて考える必要があると思います。鏡像は対掌体の特殊なあり方の一つで、鏡像イコール対掌体というわけではありませんから。

抽象的な対掌体について考えると、一軸のみで逆転していると見ることができると同時に三軸で逆転していると見ることもできます。しかし、元の記事で、図に即して説明している個所では、具体的な鏡像として図4の中央の枠で囲んだ図について説明しているのです。この図の片方を[頭―足]方向の軸を中心に180度回転すると、確かに3つの軸で同時に逆転することになります。しかし具体的な鏡像関係ではそのような鏡像は生じ得ません。鏡像(対)は対掌体(対)の特殊なケースであって、対掌体と同義では無いうことです。私自身、この区別を完全にできているかどうかといえば、確認してみないとわかりませんが。現実問題として立体化学で対掌体と鏡像対象とを同義のように扱っていますが、厳密には両者を区別すべきだと思います。

なお、明日からきわめて多忙になりましたので当分のあいだ、ご質問にお答えできなくなります。まだご質問が残っていますが、また今後の機会にお答えします。また、今後の胸像問題に関するご質問は、件のテクニカルレポートをお読みくださってからにして頂くとありがたいです。真剣なご議論をありがとうございました。