言語学や言語論、あるいは記号論というべきか、言語学的な分野で「意味するもの」と「意味されるもの」との区別が研究されていることについて、詳しく専門的に立ち入った知識はありませんが、この区別を多少とも意識することは、幾何光学などの物理学とされる分野を含め、像、画像、映像など、あるいは視覚をあつかう心理学研究にとって極めて有意義ではないかと思います。特に「形」あるいは「形状」という言葉の使用については、この問題を避けることはできない時点に到っているものと考えています。
極めて単純素朴に考えても、形という言葉は幾何学的形状そのものと、「何々の形」とういう場合の「何々」すなわち「意味」あるいは「意味されるもの」を表現している場合の二通りが考えられます。
「形」の場合、さらに問題になるのは、この二重性(幾何学的形状と意味)が言葉だけではなく「図形」、あるいは「絵」(以降、表現を堅固にするために「描画」と呼ぶことにします)についてもいえることです。ひいては人が知覚する像そのものについてもこの二重性が存在することになります。
この問題そのものをこれ以上にここで掘り下げ続けることは無理なので、以上を単に前置きとして、以下の検討に入りたいと思います。
【形または像と意味】
鏡像問題の議論では普通に人物の像について問題にされるため、頭とか足、あるいは右手といった、身体の部分について位置関係や形状について論じられますが、その根拠となるのは象の形状といえます。その幾何学的形状をもとに頭とか右手とかを判断するわけですが、その頭とか右手というのは頭という概念あるいは右手という概念であって、幾何学的形状そのものではなく、具体的な意味を持つもの(足なら足という生物学的機能を持つ実態の意味)すなわち意味されるものを表していることになります。
頭が上で足が下、右手は右、顔や胸、腹は前で背中は後ろ、といった上下・前後・左右の意味は人間という概念について言えることであって、偶然に人間に似た幾何学的な形状があったてしてもそれには適用されないものです。幾何学空間は等方的であり、視空間や知覚空間は異方的であるというのはこの意味です。しかし単なる形状物であっても人形などは人形という意味を持つ以上、単なる幾何学的な形状ではないので上下・前後・左右を持つといえます。こういう形状の意味は人間の直感的な認識によるもので、幾何学的形状のように数や量で表現することはできないものです。
以上の観点は、心理学としてはゲシュタルト心理学と呼ばれる学派の成果と重なる部分があるのかもわかりません(私自身は専門的に心理学を専攻してきたわけでもなく直接ゲシュタルト学派の文献から学んだわけではありません)。しかしゲシュタルト学派そのものは現在あまり主流ではないようです。たとえば、I. Rockの「Orientation and Form」では、この学派は主流ではない単なる心理学の一派であり、当該本の主題に関して、ゲシュタルト学派の主張をあまり尊重していないように見られます。Rockの「Orientation and Form」は、吉村浩一教授による鏡像問題の論文「Relationship between frames of reference and mirror-image reversals」中に重要な参考文献として挙げられていましたのでアマゾンを通じて古書を入手して一通り読んでみました。この本は表題の通り形状と方向との関係を心理学的に扱った研究書ですが、視空間の異方性について次のような記述があります。
「In any case it would be misleading to think of form changes induced by changes in orientation as exemplifying anisotropy(いずれの場合にも、方向の変化によって生じる形状の変化を、異方性の例として考察することは誤りであろう)」
上述のRockの考え方には問題があると思います。そのような考え方こそ間違いではないかとさえ思います。Rockは視空間の異方性を量的にしかとらえていないように思われます。
ところがRock自身、方向による形状の変化の例として次のような例を挙げているのです。
図:I. Rock著「Oriatetion and Form」より引用
【数値と意味】
鏡像の問題に戻ると、上下・前後・左右の各方向は、形状の意味に基づいて決まるのであって、幾何学的な形状そのものではないことがわかります。この形状の持つ意味は人間の意識で直感的に把握できるもので、幾何学的形状のように数量や数式で表現できるものではありません。
座標系を用いると確かに形状を数値や数式で表現できるでしょうが、数値や数式から図形の持つ意味を把握できるわけではありません。 CGでは座標系を用いて形状を数値に変換しますが、それは数値で計算処理をしたあと、再びディスプレイ上に目に見える形状に戻すことが最終的な目的です。ディスプレイから見て取るのは意味を持つ形であり、すでにそこから数値も数式も読み取ることは不可能です。これからも、上下・前後・左右を決めるのは幾何学的形状の数値データではなく形状の「意味」であることが分かります。
ただし、二つの形状を比較する際には数値や座標系は重要です。 もちろん意味としての形状の比較ではなく幾何学的形状の比較です。形状の比較は二つの点の位置関係と距離という相対的な数値で決まるのものであるからです。鏡像問題における形状の逆転はつまるところ二つの形状の規則的な変化(差異)に基づき、その差異が対掌体の概念で表現できるわけです。
1 件のコメント:
>座標系を用いると確かに形状を数値や数式で表現できるでしょうが、数値や数式から図形の持つ意味を把握できるわけではありません。
この点は、全くその通りだと思うのですが、それをもって「形状は単に点の集まりに過ぎないと考えることが如何におおざっぱで、安易な誤った考えであるか」と言うかどうかは、「形状」という言語的な意味をどう捉えるかという部分によるのではないでしょうか?
むしろ、言語的な意味での形状は「単に点の集まりに過ぎない」のであって、「形状の意味」はそれに付随する別物という捉え方になると思うのですが、どうでしょうか?
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