プラトンがティマイオスにおいて鏡映反転現象について語ってから以降、現在に至るまで光学を研究し、寄与した偉大な科学者達が現在に至るまでこの現象について語ることも考察することもなかったということは、非常に興味深く思われます。
私はかつて、もう20年以上前ですが、ニュートンの『光学(岩波文庫、島尾永康訳と解説)』を購入して、現在に至るまで事実上は積読状態であったのを思い出し、目次を含めて最初の方から少しページをめくってみました。
この本を購入したのは私が当時、恐らくゲーテの色彩論(岩波文庫版)を読んだころで、ゲーテがニュートンを批判する典拠となった著作であるという事がきっかけであったと思います。実際、解説者もこの本を「色の科学である」と規定しているように光の屈折と色彩に関する部分が多くを占めていますが、最初の方に鏡面反射によって鏡像が生じる原理と、眼の水晶体による屈折によって眼内に画像が生じる原理が図入りで説明されています。
また同じ解説者によって、「ニュートンが色の研究へと刺激されたのは、ケンブリッジ大学の上級生のころから卒業直後にかけて相次いで刊行されたデカルトの『屈折光学』ラテン語版、ボイル『色についての実験と考察』、フック『顕微鏡観察誌』などによってである。」と書かれています。デカルトの『屈折光学』をネット検索してみるとすぐに、眼の構造と仕組みについてイラスト付きで引用が見つかりました。『屈折光学』なのでたぶん鏡像については触れていないのかもわかりませんが、鏡像が成立する原理についてはデカルトも分かっていたのではないかと思います。
もう一つ、私のもっと若い頃から持っていた本で、アイザック・アシモフ著、皆川義雄訳『科学技術人名辞典』(昭和47年刊)という、いわば科学史辞典というような本があったので、これで調べてみるとアル・ハゼンというアラビアの物理学者の項目が見つかりました。10~11世紀にエジプトで活動した科学者で、どうやらこの人が光の反射や屈折と眼の仕組みを含めて光学の基礎を確立した人のようです。
こうしてみると、10世紀末に光学の基礎が確立されて以来今日に至るまで、光学の発展に寄与した科学者の誰もが鏡映反転現象の研究を行わなかったし、たぶん言及もあまりすることはなかったことがわかります。おそらく、それよりももっと重要で本質的に思われた解明すべき問題がいくらでもあったからという事でしょう。
上記に関し、私は今回の新著のアマゾンでの紹介文に次のような記述を加えました:
「本書は古くて新しい一つの問題 ― 鏡像問題、言い換えると鏡映反転現象の分析と解決に取り組んだ著者による二冊目の本になります。なぜ鏡像問題が古くて新しい問題と言えるのか?それはこの問題が近代科学の成立以前から知られていた問題であるにもかかわらず、近代科学の興隆から現在に至るまで自然科学上の問題としては軽視あるいは等閑視され、いわば半端な邪魔者で、無視できる問題であるかのように扱われてきたものの、徐々に心理学者の立場からその問題性があらわになって来たからであると思われます。端的に言ってこれは典型的な学際科学の問題であり、さらに具体的には一つあるいは一連の現象における物理過程と認知過程の結節点を明瞭に示す問題であるからともいえるでしょう。この辺の歴史を踏まえた事情については私自身、今後の課題としておきたいと考えています。」
一面から言えば、今回の私の研究で明らかになったように、この現象は光の鏡面反射と、光の屈折による凸レンズの結像作用との組み合わせによる現象であるため、光の反射と屈折という、光の個々の性質を個別に考えていたのでは解明できなかったという事情が考えられるます。またカメラ構造のような結像メカニズムは光の性質自体とはまた別の要素と考えるべきなのかもしれません。というのもカメラのメカニズムは凸レンズではなくピンホールでも可能なわけですから。とは言え光の存在なくして結像機構はあり得ない事も確かです。
いずれにしても、光学に関与した物理学者がまともに鏡映反転現象に取り組まなかったという事実は、視覚について多面的に研究し、一方で等方性幾何学空間と異方性知覚空間について本格的に考察したE・マッハに至ってもそうであったという事実には興味深いものがあります。この点については次回以後に考察したいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿