前回記事で、カッシーラー、『人間』の再読をきっかけに、今回特に強い印象を受けた箇所を抜き書きしてみた。またこれも同様に、この本を友人に勧めることになった結果、この本のどこが気に入っているかと問われることとなり、即、全部としか言いようがないというような言い方で返信してしまったが、改めて、具体的にどの箇所かということではなくどういうところか、という、いわばまとめというか、当方自体の理解度を問われていることでもあることに気づき、またしばらく考え込まざるを得なかった。
結局、今回は次のように返信をした。
「・・・カッシーラーの『人間』の第二編で扱われている神話と宗教、言語、芸術、歴史、および科学について述べられている
論考は、現在のところそれらについてもっともすぐれた定義になっているのではと、個人的に考えている次第なのです。もちろんその定義はシンボル形式という
認識から到達できたことなのだと思うわけです。」
これは我ながらうまくまとめられたような気がした。例えば「芸術とは何か」といえばすなわち芸術論そのもので、そのような本は無数にあるだろうし、この表題そのものの題の本もいくらでもありそうだし、特に有名なトルストイの本は一度読んだことがある。神話と宗教、言語、歴史、科学にしても同様で、無数にあるとも言えるだろう。
しかしこれらすべてを包括的に定義できたような本で、その定義も考え得る最先端を行っているといえる著作がこの書物である、と言えるのではないだろうか。もちろん、当方はそのようなことを公言できるような読書家でも、教養人でも、もちろん専門研究者でもないので、これは嗅覚とでもいう程度のものかもしれないが、それなりに確信はある。
著者がこの書を著すきっかけとなった当初の目的は、『シンボル形式の哲学 』の英語版を作成するという動機であるとされるが、その『シンボル形式の哲学』とこの『人間』とを比較して特に目立つ違いを見てみると、こちらでは科学に関する部分が分量的に極めて少なく、その代わりに芸術と歴史に関する記述が比較的多くを占めていることに気付く。それはこの本がより一般的な読者層を対象にしているからと言えるのだろうが、それ以上に意味深なところがあるようにも思われる。そして、それに呼応するように当然、芸術家や歴史家からの引用が多くなっているが、全体を通じてゲーテからの引用の多さが際立っている印象を受ける。改めてゲーテの影響力の大きさと、哲学者としてのゲーテの重要性を思い知らされる次第だ。
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