2014年6月3日火曜日

佐藤亜紀著 『鏡の影』 を読んで

表記の本だが、本当に久しぶりに小説を読んだ。時々訪れるあるブログで書評というわけでもないが優れた作品として言及されていたのに少々心を動かされた結果、ネット検索で最寄りの区立図書館にある事が分かり、借り出して一読した。

とりあえず一読後、確かに優れた作品と言えるのだろうと、一応は納得している。しかしかなり読みづらく、読みなれない漢字づかいも多い。何度も行きつ戻りつしながら、なんとか最後までつじつまが合うように脈絡を追いながら読了したものの、やはり、一通りの意味を理解するには最初からの再読が必要と思われた。ただ、そこまでするだけの余裕も意欲もなかったが、最期のクライマックスと言えそうな部分だけは再読することで、一応は不完全ながら全体の脈絡を読み取ることができたように思う。

構成要素あるいは道具立てとして、(1)ヨーロッパ中世の政治社会、文化、カトリック思想、異端思想、錬金術、妖術などへの関心、(2)作者自身の思想、(3)フィクションにおける登場人物群、(4)ファンタジーの四つの要素で構想されていると見て、感想を整理してみたい。(4)のファンタジー要素というのはこの作がファンタジー小説と分類されているのでそう表現したまでだが、とりあえずこの言葉が便利であることには違いない。そのようなジャンル分けが重要であろうとなかろうと、ファンタジーの要素がある事は確かである。具体的には、①由来(どこから現れたのか、どこへ消えたのか、どこから再登場したのか、何を原資として生活しているのか)の知れない謎の登場人物(悪魔的存在)、②特異な夢や異常な眠り(眠りの美女)、③異常な亡骸(塵埃となる)、④異常な(処女の)妊娠(処女懐胎といえば聖母マリアに限られるらしいので)、⑤素性の知れない美女(ヴィーナスか)、などが挙げられる。このような道具立ての揃った有名な作品と言えばやはりファウスト伝説ないしゲートの『ファウスト』ではなかろうか。まあ今のところ当方にファウストとこの作品を比較するだけの素養はないので、今は単に言及するしかない。


この作品の主眼が上記(1)にあるとすれば、個人的には大いに興味があるのだけれども小説ではなく研究書かエッセーなどで読みたいと思う。例えば、錬金術ならユングの『錬金術と心理学』などである。ちなみにこの書は最初に翻訳書が出た頃に購入して何とか読んだがもちろん当方の読書力では字面を追った程度だった。ちょうど最近になった再読したいと思うようになったが果たせないでいる。

主眼がエンターテインメントにあるとすれば、それにしては読みづらいし難しすぎる。もっともそういうエンターテインメント性もあるように思えるが。

主眼が詩的、音楽的、絵画的な美にあるとすれば、当方の趣味と鑑賞力から言えばいまいち。

「意味」という掴みどころのない難物への取り組みが感じられる部分はある。

要するに、あくまでも当方の読書力にとっての話、いずれにしても中途半端という印象。ただしそれぞれの中途半端の程度を合計して、読んで損をしたとは思わない。

もうひとつ、かつてとりあえず字面を読んだだけのゲーテのファウストをもう一度読みたいと思う。なんといってもあのゲーテが最晩年に至るまで書き続けた有難い作品とされているのだから。この方面で当方は権威に弱いのである。

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