手っ取り早いところで日本語ウィキペディアには専門的な定義があり、次の三通りの定義が紹介されている。
- 「『計算(computation)』という概念と『コンピュータ(computer)』という道具を用いて『知能』を研究する計算機科学(computer science)の一分野」
- 「言語の理解や推論、問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピューターに行わせる技術」
- 「計算機(コンピュータ)による知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究分野」
- 「『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説で、情報工学者・通信工学者の佐藤理史は次のように述べている。「誤解を恐れず平易にいいかえるならば、「これまで人間にしかできなかった知的な行為(認識、推論、言語運用、創造など)を、どのような手順(アルゴリズム)とどのようなデータ(事前情報や知識)を準備すれば、それを機械的に実行できるか」を研究する分野である」
というのも、一般人はこのような言葉を専門的な定義で理解したうえで使うわけではない。一般人はこの種の言葉の概念をその言葉(熟語)を構成する要素の本来の語源的な意味でとらえるのである。しかもこれは非専門家だけではなく専門家自身の方にも多分に該当するのである。そう考えた場合、「人口の知能」とは一体なんぞや、そんなものが実在しえるのか、という意識を絶えず伴いながらも、なんとなくそういうものがあるような前提に引きずり込まれがちなのである。
しかし、そもそも知能という概念自体に確たる専門的な定義もあるのかどうかは覚束ないし、コンピュータサイエンスの中でも知能という概念自体が明確に把握されているのかどうかは疑わしい。人工という概念にしてもそうである。
そのようなわけで、上記のような諸定義をこれ以上分析することは当面は諦め、独自の視点で分析してみたいと思う。その際、人工知能に似た言葉で、かつてはよく使われた人工頭脳と比較することが一つの手がかりになるように思われる。(次回に続く)
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