2009年3月12日木曜日

温暖化問題と専門性について

温暖化問題で言えば、少なくとも対立する専門家同士の意見ないし説明を比較することは一般人でもできる訳ですね。まあそれしか道がないわけですし、また現実の生活に繋がる問題ですから比較検討する必要もあり、政治家にとっては比較検討し、判断する義務があるというものでしょう。そこで対立する専門家間で、どちらの説明が説得力があるかと言うことですが、その専門家の解説ないし説明を理解し、判断できるだけの能力は、温暖化問題の場合、高等学校かせいぜい大学の教養課程程度の自然科学(化学と地質学)の素養があれば十分に判断できる程度のものと思います。ただ正確に理解するためには本なり記事なりを正確に理解するための多少の努力は必要でしょう。ごく普通の人がそういう判断ができるようにするにはマスコミが判断をできるだけの材料や専門家への発言の機会などを正統に提供してくれることが理想ですが、現実はそうではなく、情報操作が行われているのではないか、とか陰謀論、あるいは社会心理学的なメカニズムによる説明なども出てくるのは当然だと思います。事実、科学ニュース記事には社会心理学者による解説記事なども出ています。しかし社会心理学者による解説を読んでも、CO2による温暖化説の肯定に読者を誘導していることがはっきりと分かる場合があり、逆にIPCCのメンバーである気象学者(CO2主因説の否定論者)のコメントでは、そこでの合意事項が決定される過程に集団心理、集団思考的なメカニズムを指摘しています。そういう記事なども多面的に勘案してみると、CO2主因説には社会心理的、集団思考的、さらに政治的なメカニズムがあることを認めざるを得なくなり、その面からも逆に太陽活動説が補強されるように思います。  

科学の専門分野というのはそれを特定の専門分野として公認する権威の存在を無視するわけにはゆかないでしょう。科学も社会的なコミュニティーなしに存在しえないもののようですから。また一言で専門分野といっても多種多様の専門分野を一律に専門分野と言っている訳で、その内容は様々です。敷居の高い専門分野もあれば、敷居は低いが、奥が深い専門分野もあるでしょうし、現状で周囲から存在価値を疑問視されているような分野もあるかも知れません。一概に専門分野を同列に扱うこともできないと思います。  

更にまた、地球温暖化問題は特定の専門分野の問題というわけには行かないと思います。既存の専門分野との関わりでは気象学ともっとも関わりが深いと言えるだけで、細分化すれば気候学、古気候学などもあり、他に深く関わる分野としては天文学、地質学、地球物理学、海洋学、地理学、生物学と、きりがありません。もちろん物理学、化学は言うまでもありませんが、極端にいえば神学なども持ち出す人が出てくるかも知れません。また同じ気象学者でも他の分野に詳しい人もいれば、全く詳しくない人もいるかも知れません。たとえば一昨年ですが、「NewsBusters」というサイトに次のような記事がありました。 
「Former IPCC Member Slams UN Scientists' Lack of Geologic KnowledgePosted by Noel Sheppard on July 9, 2007 - 13:53」
元IPCCメンバーの学者が当時の国連科学者の地質学的知識の欠如を叱るという内容です。 こうなってくると、温暖化問題を特定の専門分野の問題として距離をおくことは難しくなってきます。限りなく難しいことですが一般人が専門家を判断しなければならないということになってきます。今盛んな「ニセ科学批判」はこの点で非常に偏った独善的な主張になりがちです。

最近のいわゆる「ニセ科学批判」には色々な側面があると思いますが、他分野批判という側面もあるように思います。特定の専門分野、例えば精神分析、精神医学、あるいは脳科学など、分野そのものを「ニセ科学」あるいは「疑似科学」などというカテゴリーに区分しようというようなものです。こういうものと超自然現象をあつかったもの、宗教批判、迷信、ねつ造論文、欠陥論文、ねつ造テレビ番組、こういった諸々を一括した概念でくくられるようになるともう、恣意的なものが入り放題です。結局は暴論と中傷合戦に陥ってしまいます。

「ニセ科学」は論外としても、「疑似科学」というような一般化した呼称または概念で議論することは、多くの分野が関わる複雑な問題である温暖化問題を論議する場合も持ち込まない方が良いと思います。「温暖化問題」そのものは具体的なこの地球環境の現実そのものの問題であって科学のどの特定分野の問題でもないし、科学一般という学問分野の問題でもなく、如何なる専門分野の問題でもないと考えるべきではないでしょうか。関わっている専門分野を挙げればいくらでも沢山の分野を挙げることが出来、それ程多くの分野における理論とデータの蓄積がからんでいるであろうと想像されることに圧倒され、素人には判断のしようがないものと思いがちですが、少なくとも一冊くらいは本当の専門家(ゴアのような政治家ではなく)による一般向けに包括的な解説をされている本(但し、少なくとも一冊は一般に喧伝されているCO2主因説とは反対の結論をもつ本)を読み、その他の本やインターネット、マスコミなどで各所の広報やニュース記事などの説明、対立する意見を注意深く読めば、以外と確信できるような知識が得られる可能性もあるものです。問題は限りなく複雑で容易に理解することはできないのだというような言い方をしがちなのは、どちらかといえば、主流のCO2主因説の支持者の方です。しかし一方でCO2主因説論者はCO2が主要原因であることがほぼ確実であると確信したような矛盾した主張をしています。素人が考えるのはよして自分たちの主張を信じなさいと言っているようなものではありませんか。そういう論者が一方で「ニセ科学に騙されないように」とか、「科学リテラシー」というような言葉を振りかざすとすればそれは変です。欺瞞か無知か怠慢をかぎとらざるを得ません。


すべて具体的に、ケースバイケースで議論すべきでしょう。「科学リテラシー」などという言葉も必要のない、むしろ有害な言葉だと思います。まだ数学リテラシーとか物理学リテラシーなどは意味があるかも知れませんが、しかしそれも程度の問題です。数学の場合は割とはっきりしているので、よく「中学校程度の数学」とか「高卒程度の数学」とか、もっと具体的に微積分とか、明確に指定する場合が多いとおもいますが、リテラシーという言葉はそのように具体的でなければ意味がないと思います。科学一般に通用するリテラシー、抽象的な「科学」についてのリテラシーなど幻想に過ぎないと思います。

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