2022年9月4日日曜日

ゲーテの神秘主義と人文・社会科学 ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その4

 ゲーテは端的に詩人であり同時に科学者であったといわれ、本人も自らをそのように規定していたといわれる。ここで科学者とはもちろん自然科学者であり、社会科学者ではない。第一当時はまだ社会科学とか人文科学というような概念が確立していたとは考えられないが、科学者としてのゲーテの業績はすべて自然科学に分類されるものである。もっとも、自然科学の著作とされる色彩論などには当時の科学研究への批判や言語の問題なども多く、評論的な部分はむしろ人文科学的である。私はかつて岩波文庫版の「色彩論」を読んだことがあるが、この本に収録されていたのは色彩論とされる著作の一部分で、そこに含まれていたのはむしろ、そういう近代科学の一傾向に対する批判に該当する内容が多く、特に科学における言葉の用い方に対する考察と批判が多くみられ、それはむしろ言語論といってもよいような印象を受けた。とはいっても、ゲーテのそういう著作が自然科学とされていることは確かである。ただし、当時に自然科学という表現があったのかどうかは知らない。自然科学という言葉は社会科学と対になった言葉であるから、少なくとも当時はまだあまり一般的ではなかったのではないかと思われる。

詩と科学がゲーテの創作分野といえるとすれば、前回記事で取り上げた占星術や錬金術は創作分野とは言えないが、研究分野であるとはいえる。この占星術と錬金術は、今では天文学と化学の前史のような扱われ方をされることが多いが、ゲーテにとってはそうではなかったことがわかる。特に占星術の方は一般的に言っても、今でも天文学とは独立して連綿として引き継がれていることは否定できない。

占星術は神秘主義的ではあるが、取り扱う素材や内容は、個人または国家や社会あるいは人類の歴史と未来に関わることであって社会科学や人文科学で取り扱われる諸々であるといえる。一般に占いは統計学であると言われることがよくあり、確かにそういう一面はある。しかし占星術の場合はそのような社会・人文的な諸々を天体とその動きと関連付けることに特徴がある。こういうことは社会科学ではありえないことであり、占星術が神秘主義である所以であるだろう。

占いに関連して言えば、ゲーテは有名な観相学者と付き合いがあり、観相学にも興味を持ったことがわかる。もちろんこれは当時の一般社会の傾向でもある筈である。観相学とは人相学であり、一言でいえば、身体の外見と人の精神性との関係性であり、この場合の身体は医学や生理学とは異なり、身体そのものではなく、身体の表情といえる。この点はまた非常に興味深い問題につながるが、当面はまあ保留である。

一方の錬金術の場合、これは後にゲーテの影響を強く受けたユングがここに心理学との関係を見出して「心理学と錬金術」を著したことにみられるように、現代の心理学と関係付けられるとすれば、内容的に人文科学的要素を持つことになる。

錬金術が現代の心理学や脳科学と異なる点は、錬金術においては物質と精神が関連付けられていたことであり、ここでの物質は人間や生物の身体ではなく無機物であり、元素でもある。実は私はユングのこの本をその日本語訳が出版されたときに購入して、一応は通読した記憶がある。こうなると、ここでこの件で考察を掘り下げるとすればこの本を再読しなければならなくなりそうなので、この件は言及するだけにとどめておかざるを得ない。

以上をまとめると、近代科学が切り捨てたように見える学問あるいは知的な営みは、実質的に途絶えたわけでもなく、何らかの形を変えて、あるいは変えずに受け継がれ続けていることがわかり、ゲーテにおいて特に顕著にそれらを総合的に掘り下げた考察が行われたということかもしれない。

ここまでの議論は前回の書き出しのとおり、ヨーロッパのキリスト教文明の歴史における話であって、当然それ以前からヨーロッパ文明は存在しており、またヨーロッパ文明自体、その他の文明と隔絶していたわけでもないことはもちろんである。