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2023年5月1日月曜日

神秘からの逃走先としての科学と科学からの逃走先としての芸術 その1、科学と憧れ ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その7

科学と憧れ ― 憧れとは何者だろうか

 少年期から青年期初期にかけて、私にとって自然科学は最高の憧れの対象であった。しかし ― 数年間の就職期間と浪人期間を経た後であったが ― 自然科学を専攻する目的で大学入学した時点では、一面においてではあるが、すでに自然科学に幻滅を抱いていた。それでも自然科学を専攻した理由は、名目的には就職の適性を考えてのことであったが、当初の憧れがまだ惰性を持っていたという面もある一方で、自然科学とはいったい何なのだろうかという、いわば科学の本質について少しでも極めたいという、野心めいた気持ちもあったのである。もちろん、そういう目的が就職につながる筈もなかったが、憧れの対象の方向はそちらの方に屈折していった趣がある。

そういう間にも、いつも考えていたことは、そもそも憧れとは何であろうか?ということ。また幻滅についても、なぜ幻滅を感じるようになったのか?ということである。憧れについて言えば、憧れの対象は何であれ、何かに憧れる気持ちというものは、人により程度の違いはあろうけれども、何か止むに已まれぬ欲望のような処がある。もちろん小学校低学年程度の子供時代にそれが憧れであるというような意識は持つわけもないが、その後の科学への思いは確かに憧れという言葉でしか表現できないものであった。憧れとは、何か心を満たすものを求めるという意味で、欲望と共通するところがある。では欲望とはどこが違うのかと問えば、それはいろいろと考察する切り口はあるが、差し当たって言える一つのことは、欲望の方はそれ自体が科学的考察の対象となっていることである。もちろんそれは心理学の対象であるが、フロイトが始めた精神分析ではその中心概念になっている。こういう点で、憧れはいまのところ、科学の対象外である。であるからこそ、私は科学に憧れることができたとも言える。「科学への憧れ」は言葉になるが、「科学への欲望」は、言葉にならない。欲望の対象は物質的なものか、生理的なものであるからである。

ともあれ、私にとって科学はそういう憧れの気持ちと強く結びついていた。後から訪れた科学への幻滅の気持ちも、それが憧れであったからこそであろう。

一方、科学に憧れるといっても、科学とは何であるかを最初から分かったうえで憧れたわけではない。そもそも憧れの対象は最初からそれについて知っているものではない。科学という言葉から何とはなしに受け取れる印象あるいはイメージから憧れに気持ちを抱いたに過ぎない。そうだからこそ、将来にわたって科学とは何かについて考え続ける羽目になったのである。

そもそもの発端は、記憶が及ぶ限りで、小学校の科目で理科という科目の授業を受け始めたことにある。理科という科目は私にとってその他の、国語や社会とは明らかに違ったインパクトを持つものであった。それは理科という言葉の語感とも関係していたように思う。今まであまり考えた記憶はないが、いま改めて理科に相当する言葉を英語やヨーロッパの言語で調べてみると、いずれも「科学、Science」かそれに相当する言葉である。中国語でも「科学」となっている。調べてみると、実際にアメリカの小学校の授業科目としての理科はScienceとなっている。日本で「理科」という言葉を誰がいつ頃小中学校の科目として使われるようになったのか、何故、中国でこの言葉が使われないのかについては興味深いところがある。普通の辞書や従来の百科事典にはあまり「理科」という項目は見つからないが、ウィキペディアには「理科」の項目があり、その記述には結構興味深いものがある。やはり、日本発祥の言葉であるが、中国語には取り入れられていないらしいことも興味深いものがある。それによると「理科」という言葉は当初、江戸時代の蘭学者によって、物理学を意味するオランダ語の訳語として発案されたとある。とすれば、「物理学」は「理」に「物」を付けた言葉であるからその後にできた言葉と思われる。やはりウィキペディアで調べてみると、「物理学」については語源的な記述はなく、また「物理」を引くと「物理学」に転送される。おそらく「物理」と「心理」は共に、「物理学」と「心理学」の後からできた言葉であろう。

以上から、詳細な論理は省略して一つの結論を出すと、理科という言葉の概念は基本的に自然科学を意味するが、可能性として心理学をも含みうるもののように思われる。現在、科学とされている社会科学や歴史は含まれないことになる。もちろん、現実に小学校や中学校の理科には心理学的なものは含まれていなかったはずである。また高校以上になれば理科という科目はなくなり、個別科学になるが、それでも大学やそれ以上の教育を含めて理科という概念は意味を持ち続けていると言えるだろう。

ともあれ私の憧れの対象としての科学は、理科という言葉による概念に始まるということができる。

2022年12月14日水曜日

一神教、科学主義、および神秘主義という三つの概念ないし理念を個人的体験をとおしてみると (2):キリスト教文化的芸術の私へのインパクト ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その5

 明治以降の日本人が学校教育で教えられたり、広く社会や家族を通して得られたキリスト教文化的なインパクトというものに注目し、分析するという場合で、その対象が科学や哲学に該当する場合、個々の対象についてそれがキリスト教文化に固有のものであるかどうかという判別は簡単にはできそうもない。哲学的なものや科学的な考え方や成果といったものはキリスト教以前、特にヨーロッパではギリシャの哲学や科学という伝統があったはずである。もちろんヨーロッパ以外にもある。中世のキリスト教神学にはアリストテレスの哲学や科学が取り入れられていたことはよく知られている。シリーズの最初の記事で、近代科学が一神教としてのキリスト教と深い関係があるという考え方については、それを検証すること自体がこのシリーズ記事の目的の一つでもあるので、それについては後回しにしたい。

明確なキリスト教のラベルがついている文化的なものと言えば、それは芸術分野に属すものだといえるだろう。建築では教会建築がキリスト教文化を代表している。しかしキリスト教の教理と関係があるのは建築様式や形式であって、建築の与える印象そのものとは言えない。絵画では宗教画と言われる分野がある。しかしその場合も教理と関係があるのは図像的な意味であって、形式と様式のような約束事に関わるものであり、絵画が与える芸術的な感銘とは異なるものだと思う。音楽の場合はさらにそれがはっきりする。そもそも純粋な音楽でキリスト教の教理とか一神教の理念とかを表現できるわけがない。音楽で表現できるものは、言語で表現される理念や概念のようなものではない。それは造形芸術でも同だろうが、音楽の場合はその点で造形芸術に比べて純粋であるといえる。造形芸術の場合はそれが、先に述べたような図像的な意味と分かちがたく結びついている。一方で音楽は言葉と結びつくことが多いが、必ずしも常にそうではなく、言葉と音楽は明確に区別できるものである。

それに加えて、西洋音楽の場合、キリスト教は特に音楽を重視してきたことはよく言われることであり、またクラシック音楽そのものの発祥の起源がキリスト教の教会の儀式にあるといわれ、多少ともクラシック音楽に親しみ、馴染んで、知識をもっている日本人なら、だれでもそういう印象を持っていると思われる。日本の義務教育で行われている西洋音楽史の授業でもその程度のことは教えられている。また一部の賛美歌やクリスマスソングなども日本人一般に浸透しているし、カトリックのミサ曲などもクラシック音楽の一分野として、ある程度の人気のある分野である。ただ興味深いことは、ミサ曲の中でもレクイエム、日本語で鎮魂ミサ曲の人気が高いことである。死者の鎮魂という風習は人類に普遍的であって、日本人にとっても何の違和感もない。この傾向はヨーロッパにおいてもそうなのだろうか。たとえば、ブラームスはプロテスタントであるにもかかわらず、鎮魂ミサ曲を書いたことで知られる。もっとも、同じプロテスタントであったバッハの書いた、有名なロ短調ミサ曲という例もある。

このように、クラシック音楽は西洋のキリスト教ないしはキリスト教会が発祥と言われていても、クラシック音楽自体はすでにキリスト教の教会音楽そのものではなくなり、実際に教会で儀式や祈祷に使われるミサ曲や賛美歌自体がキリスト教からも離れてキリスト教徒ではない日本人にも親しまれている。私自身もそういう日本人の一人でもある。このように、多くの日本人にとってと同様、私の場合も、クラシック音楽一般のみならず、キリスト教の教会音楽についても、キリスト教の教理とも一神教の理念とも無関係に、端的に言って有難い「芸術」として受け入れているという他はない。

とはいうものの、やはりクラシック音楽のなかでも、何かジャンルとして宗教音楽と分類されるものや、キリスト教との関わりを想起させるような、あるいは宗教的といわれるような作品にはなにか特別に高尚な作品群であるという印象を持っているのは私だけではないだろうと思う。

一つの典型的な例と思われるものはブルックナーの交響曲を主とする作品群である。一般にブルックナーと言えば、彼が熱心なカトリック教徒であったことからカトリックの信仰との結びつきについて語られることが多い。ウィキペディアの記述を見てもそうだが、古いブリタニカ国際大百科事典の日本語版を見ても、次のような記述がある:
「敬虔なカトリックの世界観に根ざす彼の深い精神性も、当時の知的潮流から彼を遮断してしまった。」

実のところ、私はブルックナーの生涯や人となりについてあまり知らなかったので、最近になって短い伝記作品を読んだが、だいたいそれまで持っていた印象のとおりで、彼が幼少期からカトリック教会に聖歌隊の隊員として預けられたことに始まり、何度も教会の専属オルガニストとして人生の長期間を過ごしたことや、交響曲以外にはミサ曲やオルガン曲を作曲した一方でオペラや派手な協奏曲などは書かなかったことなど、まだ人となりについては、やはり敬虔なカトリック教徒という表現がふさわしいが、かといって聖職者のような生活をしていたわけでもないことなど書かれている。

ただし、私が若いころに初めてブルックナーに関する短い文章を読んだのは、彼の有名な指揮者フルトヴェングラーの『音と言葉』という日本語訳タイトルの著作の一部で、著者一流のブルックナー論とでもいえる内容の、二十数ページからなる一章であった。そこではキリスト教、キリスト教会、カトリック、といった言葉は使われていなかった。もっともそれはブルックナーの伝記的な紹介のようなものではなく、深く掘り下げた作曲家論とでもいうべきものである。全体としてかなり主観的で理解しづらい文章だったが、次に引用する一節がある。

「彼(ブルックナー)に課された運命は、超自然的なものを現実化し、神的なものを奪い取って、吾々人間的世界の中へ持ち込み、吾々の世界に植え付けることでありました。魔神との戦いの中にも、また至高の浄福を歌う響きの中にも、――この人の全思と観念とは彼の内部の神的なるものに向かって、彼の上に司宰する神々に向かってその深遠な情感を尽くして捧げられています。彼は決してただ音楽家であるという様なものではありませぬ。この音楽は真の意味に於いてあのドイツの神秘思想家、あのエックハルト、ヤーコプ・ベーメ等の後継者であります。(芳賀壇訳)」

これは、簡単にいってブルックナーは神秘主義者であり、その音楽は神秘主義的である、と述べていると言ってよいだろう。ブルックナーが具体的にエックハルトやヤーコプ・ベーメを研究して音楽にそれが反映しているのかどうかについてまでは、フルトヴェングラーは何も書いていない。またもちろん、私のように、専門的に音楽を研究しているわけでもなく、趣味的に、しかも殆ど録音で音楽を聴いているだけでは知る由もない。また、「神秘思想」や「神秘主義」も、キリスト教の教義や一神教の理念などと同様に、言葉でしか表現できない概念や理念であって、音楽で表現できるわけではない。しかし神秘、神秘感、あるいは神秘性、神秘的な感情といった何か神秘的としか言いようのないものは音楽で表現されうるものであり、聞き手は音楽から感じ取ることはできる。これは造形芸術でも同様で、同じ西洋美術の範疇でもモナリザの微笑や聖堂建築の荘厳さなど、多くの例を挙げるまでもない。

一つの結論として、私にとっても、多くの日本人にとっても、西洋のキリスト教のラベルが付いた芸術が持つ魅力、そこから得られる感銘はキリスト教の教理や一神教の理念ではなく、むしろその神秘感ないし神秘性にあると言え、宗教との関わりでいえば、むしろ一神教よりも多神教に馴染むものであるといえる。上記のフルトヴェングラーの言葉の中でも、「魔神」とか「神々」という言葉が使われているように。

上記の事情は、次に引用するフロイトの指摘にも関係がある。
フロイトの「モーセと一神教」から「Ⅲ モーセ、彼の民族、一神教」の第一部の終わりに近く、ユダヤ教からキリスト教が誕生する経過のまとめとして次のような一節がある。「この新しい宗教は、古いユダヤの宗教に照らしてみるならば文化的退行を意味していた。キリスト教はユダヤ教が上りつめた精神化の高みを維持できなかった。キリスト教はもはや厳格に一神教的ではなくなり、周辺の諸民族から数多くの象徴的儀式を受け入れ、偉大なる母性神格をふたたび打ち立て、より低い地位においてではあるにせよ、多神教の多くの神々の姿を見え透いた隠しごとをするような仕方で受容する場を設けてしまった。これらを要約するに、キリスト教は、アートン教やそれに続くモーセの宗教のようには迷信的、魔術的、そして神秘的な要素の侵入に対する峻拒の態度をとらなかったのであり、結果としてこれらの要素はその後の二千年間にわたって精神性の展開を著しく制止することになってしまった。」

このフロイトの分析では、一方的に一神教が高次の優れた宗教であり、多神教が低級な宗教ないしは文化であることを前提に語っている。それはフロイトの科学思想にも関係が深いように思われる。フロイトの精神分析については、フロイト自身はそれが科学であることを誇っているように見えるが、一方で一部の科学者からは、精神分析が科学ではない、または科学的ではないというような批判がある。この点では、フロイトも、フロイトの精神分析を科学ではないという理由で批判する側も、どちらも科学主義者であるといえる。また、神秘主義や神秘主義的な思想を批判し、神秘的なものを否定するという点でも共通している。例えば、フロイトはユングの神秘主義的傾向に批判的である。上記の引用においても、フロイトは明確に神秘主義的な要素を拒否し、「アートン教やそれに続くモーセの宗教」を高く評価していることは明らかである。上記引用中のフロイトが「精神性の展開」と呼んでいるものは、科学的精神とでも呼ぶべきものなのであろうか。

他方、上述のフルトヴェングラーからの引用中には、日本語訳ではあるが、「魔神」と「神々」という、神的なものに二極性の表現が用いられる。実際、一般に芸術に表現され、感じ取られる神秘性には不気味で恐ろし気なものと対極の神々しさや神聖さという、両極を含んでいる。それに対してフロイトの思想においては神秘性そのものが全体として克服されるべき低級なものとみなされているように見える。

【以下は12月22日に追記】

科学主義的な傾向は一般に、宗教よりも神秘主義を批判し、否定しようとする。それはフロイトのように一神教を多神教よりも高次の宗教として評価する傾向と符合する。

ところで、科学主義的な言説は宗教における言説と同様、基本的に言語で表現され、規定されるものであり、科学それ自体、個々の科学分野も言語で表現されるものである。一方の音楽は言語ではない。造形芸術も言語ではない。芸術は、特に音楽は言語的ではない。造形芸術も言語ではないが、図像は象形文字やピクトグラム、絵文字、あるいは文章中のイラストレーションなどのように言語と組み合されても使われるなど、音楽よりも言語に近いところもあるように思われる。音楽ももちろん言語と結びつくが、音楽の場合は科学的な言語ではなく詩やドラマのような形でのみ、つまり芸術的な表現でのみ言語と結びつく場合があると言える。この問題も深入りすると際限がないので今は打ち切らざるを得ないが、一つの重要な、事実とまでは言えないが、少なくとも傾向として、科学主義は神秘主義と神秘性を受け入れないが、音楽を始めとする芸術は神秘性と馴染みが深く、見方によっては、神秘性と神秘主義こそが芸術の究極でないかとみなす考え方があってもおかしくはないと思われる。

次回からは、科学主義(あるいは科学志向)と芸術という両極との、私個人的な関わりを反省してみることから、両者の関係について考えてゆきたいと思う。

2022年10月9日日曜日

一神教、科学主義、および神秘主義という三つの概念ないし理念を個人的体験をとおしてみると(1)― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その5

 前回は一神教、科学主義、および神秘主義という三つの概念が持つ相互関係ないしは構造をゲーテという特別な人物の思想において考察してみたということになるだろうか。次にはこれを特定の個人ではなく、もっと大きな単位、例えばヨーロッパ文明とか世界文明などにおいて考察したいものだが、ここでいきなりそこまで壮大な試みに切り込むのは無謀な話である。そこでゲーテにおいてさらにこの問題を掘り下げるのも意義深いと思うが、それにしても今の私の身に余る試みに変わりはない。そこでまず、私の個人的体験を振り返ることから始めて、それを考察してみたいと思う。

私は、最近はあまり使われる機会も少なくなった言葉で団塊世代の一人であり、日本生まれの日本人である。日本人のキリスト教徒は非常に少ないといわれるが、私の場合は人生の始めからキリスト教とはわりと関わりが深い方であったと思う。まず、母の実家の家族の多くがキリスト教徒であるかそれに近い位置にあった。母の兄たちは長男を筆頭に、幼少時に親から洗礼を受けさせられたとのことである。女の子たちは特に強制されなかったので、母は洗礼を受けなかった。なんでも学校友達にヤソ、ヤソと言って冷やかされるのが嫌だったという。それでも日曜学校には通わされたそうで、年をとってからも時どき賛美歌を懐かしそうに口ずさんでいたこともある。そういう環境になった原因というのは、私の祖父にあたる人が宣教師に英語を教えてもらうことを条件にヤソに入信したという話であった。その宣教師は英国人だから当然、教会は英国系の教会である。その祖父がその後英語を活用できたのかどうかなど、そういう話は全く聞く機会がなかったので祖父の話はこれまでである。母の兄たちには何度か会った記憶があるが、あまりキリスト教を匂わせるような印象はなかった。母の弟にあたる叔父は私には身近な存在だったが、兄たちのように洗礼は受けなかったそうである。たぶん当の叔父は私の母に比べてもかなり年下であったから、そういう問題が出る頃には祖父も年を重ねて考え方も変わっていたのかもしれない。

その叔父は、近くにあった教区の教会に通っていたような形跡は見られなかったが、そこの信徒連とは付き合いがあったらしく、信徒の女性と結婚して教会で結婚式も挙げ、これは数年前になるが、葬儀も教会で行われた。洗礼を受けていなかったので、本来は教会で葬儀はできない規定であったところが、何らかの条件で、死後洗礼というような形で葬儀を行うことができたということらしい。実際、本人が常々、冠婚葬祭はキリスト教式が良いと話していたから、これは本人にとっても良いことではあったはずである。

その妻すなわち私の叔母とその娘すなわち従妹はどちらも洗礼を受けた信徒であり続けている。従妹の方は信徒のなかで役員も務め、教会のカギも預かり、クリスマスや何やらの行事があると相当に忙しい思いをしているらしい。ただ、本人が語ったところによれば、息子を教団系列の私立大学に入れたこと、その他の便宜を図ってもらえるので、役員をやっているとのことで、心から教団の活動に熱心なわけでもなさそうである。とはいっても信徒の数が減る一方であることに寂しい思いをしているらしい。叔母についていえば、私の家族を含めた間でキリスト教の話をしたことなど一切なかった。当地とはやや離れた県の出身であったがなぜそのキリスト教会の信徒になったのかなど、一切話したことがなかった。もう相当なお歳だが、今からでも機会があれば聞いてみようかと思っている。それにしても私の方からそういう話を聞きたいと思ったこともなかった。

ここでちょっとした結論めいたことを言うと、叔父にとってキリスト教は結婚相手をみつけるためと、結果的に自分の葬式を挙げてもらうことが目的で入信したようなものである。その娘にしても、キリスト教の理念に殉じるというよりも教団やコミュニティへの精神的な依存や団体の持つ利点などが利用できるという意味合いが強いように思われる。

結果的に、以上の文面を書いた後の挿入になってしまったが、つい最近、当の叔母にその話を聞けるような機会があったので聞いてみた。それによれば、彼女は実家は仏教であったが、地元にあった今のグンゼ株式会社の繊維工場に勤めたことがきっかけで入信したということだった。グンゼの創業者が熱心なキリスト教徒であったことが発端である。後で例のごとくウィキペディアを見るとグンゼの歴史が結構詳しい。― ちなみに、ウィキペディアには企業情報が、その歴史を含め結構詳しいのはありがたく重宝している。― 私はこれまでグンゼがそれほどの歴史のある会社であることも、創業者がキリスト教徒で、宗教家といえる一面もあったこともなおさら、知らなかった。こちらの方はこちらの方で興味深いが、それはそれとして、叔母の場合も結局のところキリスト教との関係は叔父の場合と似たり寄ったりというところか。叔父の場合は生前に洗礼を受けなかったのだから教義には懐疑的であったことには間違いがない。叔母の場合は実際に入信して洗礼も受け、家に伝わる仏教を放棄したことになる。またその父親もキリスト教に好感を持ったらしい。その理由は、仏教では戒名その他のランクがお金次第であるのに対してキリスト教では洗礼名を自由に選べるという点で感心していたとのことである。そういうわけで信心に懐疑的であったとは言えないが、とはいえ敬虔な信者であったわけでもない。正統的なプロテスタントの指導者は一般に他の一切の宗教(キリスト教系ではないところの)を容認しないことはもちろん、神秘主義的な傾向の多くをも否定するものである。例えば霊魂、神霊、悪霊、霊界、カルマ、生まれ変わり、といったものを否定するように説教するものである。しかし信徒の多くは内心ではそうではない。彼女もその例にもれずそのようなことには頓着しなかった。実際のところ、これは本場である西欧の一般信徒もそうではないかと思うものである。

次に、親戚関係ではなく友人の例で一つのケースを振り返ってみたい。かつて、私が中国地方のある都市の事業所に勤務していたときで、少し年下の同僚に起きた事例である。あるとき彼が、当時地元で活動を開始したばかりの独立系プロテスタント教会に通いだしたことを私に告げ、私にも入信を勧めるべく布教活動を始めたのである。指導的な活動家や牧師にも紹介され、私としては入信する可能性はほとんど想定していなかったけれども、関心はあったので、教会まで講演会を聞きに行ったり、牧師さんとも何度か話をする機会を持った。興味本位でともいえるが、不真面目な冷やかしというわけでもなく、かなり強い関心を持っていたのである。

紹介されたある熱心な布教活動家の話によれば、その教会は特定の教団に属すのではなく独立系であり、教義としてはカルヴァン派に近いという話であった。それとの関係かどうか、当時東京からやってくる講演者たちの講演内容は、当時は割とよく知られていた言い方でファンダメンタリズム ― 根本主義 ― に近いように思われた。ただし、当の牧師さんやかの活動家の語るところによれば、自分たちの立場はファンダメンタリズムではないと断言していたが、当時アメリカでフィーバーといわれるほど人気を博していた伝道師のビリー・グラハムのファンで支持者でもあり、いま改めて確認してみるとそれは福音派と呼ぶべきものらしい。いずれにしてもプロテスタントの中でもかなり急進的であることは確認できたように思う。ただし当の友人はあまり深くは考えたり議論したりはしないたちで、例えば本人は大学で地質学を専攻していたにも関わらず、かの福音派の主張するような、地球の年齢は6,000年だとする主張にも頓着する様子は見られなかった。このような問題は絶対的な真理は確実に知りえないとしても、議論における誠実さや捏造とかについては見過ごすことはできないというのは私の考え方である。当の教会はどこの教団にも所属していないとは云うものの、当時は東京から当地の教会まで、牧師さんが呼ぶのか、はたまた向こうから派遣されてくるのか、何らかのプロテスタント系布教団体の活動家がよく講演に訪れ、そういう機会に私も招待され、聞きに行くこともあったが、その内容はだいたいそういうアメリカの福音派などで作成された資料や教材をそのまま翻訳したようなものであった。

そういう教材はだいたい科学あるいは科学主義への攻撃という形をとり、事実上の攻撃の対象は進化論とそれにつながる地質学であった。はっきり言ってそれらは地質学に関して相当に悪質な捏造と曲解に満ちた低級な内容で、端的に言って科学以前のいい加減で誠実さを欠く論理に基づくものである。当時からこういうアメリカのファンタメンタリズムとか福音派などの非科学性あるいは反科学性については新聞雑誌などのマスコミでも取り上げられ、批判されることが多かった。

そういう問題には私は興味があったので、図らずも身近なところで、アメリカのそういうキリスト教の動向が、日本にも波及していて、その波が私自身にも及んできたことが実感できた次第であった。というわけでこういったファンダメンタリスムや福音派などの主張だけを元にキリスト教と科学との関係を論じることにはあまり意味がなく危険でもある。それは現実に科学の方法と科学の理念的なものを否定するというよりも、進化論と地質学の具体的な成果を否定することに過ぎず、それは聖書の具体的な記述に合わないという一点が根拠になっているに過ぎない。実際、太陽系の構造とか、物理学理論などについては批判はしていなかったように思われる。

神秘主義との関係でいえば、当の教会の牧師さんに、その点について尋ねたことがある。そのときの牧師さんによれば、そういう、霊魂、神霊や悪霊、霊界や生まれ変わりといったものについては否定も肯定もしないが、神はそういうものについて詮索することを禁じているという話であった。プロテスタント一般についてそう言えるのかどうかは今のところ不勉強でよくわからない。

さて、その友人は最初は妹から教会を紹介されたということだが、結局本人と母親を含めて家族ぐるみで入信したそうで、本人は信徒連の女性から結婚相手を見つけて結婚するに至った。私はその後しばらくして会社を辞め、関東地方に移住したのちもしばらく連絡していたが、私に入信する気がないことが確実になったころから、お互い連絡することもなくなった。

彼自身の言葉によれば、彼が入信に至った理由は心の平安を得るためであり、人間にとって宗教は必要欠くべからざるものであるという信念である。実際のところ、洋の東西を問わず何らかの宗教に入信する動機はこの言葉に尽きるであろう。よく使われる別の表現では、『救済』である。その意味で結婚相手を見つけるためとか、信徒のコミュニティを持つことで孤独から逃れたいといった、いわば実利的ともいえる目的も、つまるところは心の平安を得るための条件の1つであり、その限りでは不純ともいえない。

とはいえ、だれにとっても、心の平安を得るためにはどんな宗教でもよいというわけにはゆかないはずである。教理や教団の活動に対して少しでも不信があれば真の心の平安は得られない、と私は思うが、この辺りから程度の問題や、個人の性格や、人生観の違いが表面化するともいえる。と同時に他方であまたある諸宗教間の共通点と相違点が問題になり、普通はまず多神教と一神教のどちらかに分けられ、キリスト教は一神教に該当するわけだが、上述の私の親戚関係にしても、友人にしても、広い意味で心の平安を得るという目的は、宗教一般について言えることであって、一神教であるか多神教であるかという点にはあまり関係がなかったようである。たまたま彼らにとって日本の既存の宗教、特に仏教ではもうそういう心の平安を得るための条件を満たしてくれず、簡単に言って陳腐化していたのではないかとみられるのである。彼らにとって新来の宗教がそれを満たすものであったといえるが、しかし同じ意味で新来の宗教は明治以来の日本では、他にもたくさんあった。新興宗教とか新宗教とか言われてきたものがそれで、日本では普通神道系と仏教系に分類されているが、キリスト教系で海外由来のものも新興宗教といわれるものがある。例えば、先に述べた友人が所属していた教会の牧師さんによればエホバの証人はキリスト教ではなく新興宗教であると話していた。

以上のような次第で、少なくとも洋の東西を問わず一般信徒の場合にはその宗教が一神教であるか多神教であるかといった問題はあまり意味をなさないように思われる。もちろんそれは個人のレベルを超えて文明の単位や民族の文化にとって重要ではないということにはならないことには留意しなければならないと考える次第である。

以上が、私の身辺の人々をとおしてみた、キリスト教(一神教としての)、科学主義、および神秘主義という三つの理念についての単純素朴な分析である。次には、私自身が受け止めたところの、西欧のキリスト教文明のインパクトについて、反省してみたいと思っている。

2022年9月4日日曜日

ゲーテの神秘主義と人文・社会科学 ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その4

 ゲーテは端的に詩人であり同時に科学者であったといわれ、本人も自らをそのように規定していたといわれる。ここで科学者とはもちろん自然科学者であり、社会科学者ではない。第一当時はまだ社会科学とか人文科学というような概念が確立していたとは考えられないが、科学者としてのゲーテの業績はすべて自然科学に分類されるものである。もっとも、自然科学の著作とされる色彩論などには当時の科学研究への批判や言語の問題なども多く、評論的な部分はむしろ人文科学的である。私はかつて岩波文庫版の「色彩論」を読んだことがあるが、この本に収録されていたのは色彩論とされる著作の一部分で、そこに含まれていたのはむしろ、そういう近代科学の一傾向に対する批判に該当する内容が多く、特に科学における言葉の用い方に対する考察と批判が多くみられ、それはむしろ言語論といってもよいような印象を受けた。とはいっても、ゲーテのそういう著作が自然科学とされていることは確かである。ただし、当時に自然科学という表現があったのかどうかは知らない。自然科学という言葉は社会科学と対になった言葉であるから、少なくとも当時はまだあまり一般的ではなかったのではないかと思われる。

詩と科学がゲーテの創作分野といえるとすれば、前回記事で取り上げた占星術や錬金術は創作分野とは言えないが、研究分野であるとはいえる。この占星術と錬金術は、今では天文学と化学の前史のような扱われ方をされることが多いが、ゲーテにとってはそうではなかったことがわかる。特に占星術の方は一般的に言っても、今でも天文学とは独立して連綿として引き継がれていることは否定できない。

占星術は神秘主義的ではあるが、取り扱う素材や内容は、個人または国家や社会あるいは人類の歴史と未来に関わることであって社会科学や人文科学で取り扱われる諸々であるといえる。一般に占いは統計学であると言われることがよくあり、確かにそういう一面はある。しかし占星術の場合はそのような社会・人文的な諸々を天体とその動きと関連付けることに特徴がある。こういうことは社会科学ではありえないことであり、占星術が神秘主義である所以であるだろう。

占いに関連して言えば、ゲーテは有名な観相学者と付き合いがあり、観相学にも興味を持ったことがわかる。もちろんこれは当時の一般社会の傾向でもある筈である。観相学とは人相学であり、一言でいえば、身体の外見と人の精神性との関係性であり、この場合の身体は医学や生理学とは異なり、身体そのものではなく、身体の表情といえる。この点はまた非常に興味深い問題につながるが、当面はまあ保留である。

一方の錬金術の場合、これは後にゲーテの影響を強く受けたユングがここに心理学との関係を見出して「心理学と錬金術」を著したことにみられるように、現代の心理学と関係付けられるとすれば、内容的に人文科学的要素を持つことになる。

錬金術が現代の心理学や脳科学と異なる点は、錬金術においては物質と精神が関連付けられていたことであり、ここでの物質は人間や生物の身体ではなく無機物であり、元素でもある。実は私はユングのこの本をその日本語訳が出版されたときに購入して、一応は通読した記憶がある。こうなると、ここでこの件で考察を掘り下げるとすればこの本を再読しなければならなくなりそうなので、この件は言及するだけにとどめておかざるを得ない。

以上をまとめると、近代科学が切り捨てたように見える学問あるいは知的な営みは、実質的に途絶えたわけでもなく、何らかの形を変えて、あるいは変えずに受け継がれ続けていることがわかり、ゲーテにおいて特に顕著にそれらを総合的に掘り下げた考察が行われたということかもしれない。

ここまでの議論は前回の書き出しのとおり、ヨーロッパのキリスト教文明の歴史における話であって、当然それ以前からヨーロッパ文明は存在しており、またヨーロッパ文明自体、その他の文明と隔絶していたわけでもないことはもちろんである。

2022年8月20日土曜日

政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その3 ―キリスト教文明史における ゲーテの思想

 近代科学はキリスト教文明の下でのみ成立可能であったとは比較的よく聞く言説である。その根拠についてはどうであれ、事実としてそうであったことは一般人の目から見ても確かである。科学一般は古代ギリシャ文明にもあったし、古代中国文明にも古代インド文明にもあったといわれるし、日本を含めて他にもなかったとは言えない。それゆえここでは科学一般ではなく近代科学が問題であることがわかる。近代科学を科学一般と区別するものは、非常に難しい問題ではあるけれども、一言で言って、後付けで考えた結果としても、表現形式と方法論的な自覚とでもいえるものだと思う。その意味で、事実として近代科学が西欧のキリスト教文明圏で成立したことは一般常識でもある。

このキリスト教文明と近代科学の母体が西欧文明そのものであることは即いえる。しかし西欧文明にそれら以外の思想的な流れがなかったと言えないことはもちろんである。その意味でゲーテに注目することには意義があるように思われる。というのも、ゲーテはキリスト教文明の中で近代科学が成立し始めたころに活躍したけれども、キリスト教にも近代科学にも深い関心を持ちながらも、どちらにも距離をおいて批判的な目を持っていたからである。とはいえゲーテは自らを科学者と考えていたという人もいる。少なくとも当時の本流ともいえる近代精密科学の発展方向に対しては批判的で危惧をさえ抱いていたことはいくつもの著作から明らかである。端的に言えば、キリスト教思想と近代科学思想を含む一つの流れとは別の流れの中に身を置いていた、といえるように思われる。

私の一般人としての感性でというか見方で、ゲーテの思想を1つの系譜の中にみるなら、それは神秘主義の系譜に属すといえるのではないかと思う。私はゲーテに詳しいわけでは全くないし、関わりのある諸々について専門的な研究者としての知識はないが、大雑把な一般読者、一般教養レベルでもその程度の考察はできるのではないかと思っている。私が最初に読んだゲーテのまとまった作品は、遅い学生時代に読んだウィルヘルム・マイスターの徒弟時代と遍歴時代であるが、このどちらかを一読するだけでもゲーテを神秘主義者であると想定することは可能である。その後相当の期間が過ぎ、つい最近になって、一昨年から読み始めた『詩と真実』を読了した。この書でゲーテは第一章の書き出しから自らの誕生を占星術における星位から書き始めているのをみて私は少々驚いた。このとき私はもちろん神秘主義一般に興味はあったが、占星術のことはあまり考える機会はなかったからである。しかし、ゲーテが神秘主義者であることを思えば自然なことともいえる。

 『詩と真実』によれば、ゲーテは若いころ母親とその女友達の女性たちと共に、神秘主義とされる著作群の研究を続けていたり、錬金術や化学の研究も行っていたことが書かれている。ちょうどそのころ、重い病気に罹って死ぬかと思われるほど重篤になったとき、ある医者が持っていた「万能の霊薬」なるものによって救われたことが書かれている。そしてそれが塩類であって、アルカリ性の味がしたとも書いている。このようにゲーテは当時の医学にも化学にも通じ、学者たちと交流し、地質学や生物学への貢献も行っている。

このようにゲーテは科学の諸分野において積極的な研究を行っていると同時に、このときすでに100年以上も前に偉大な天文学者達が完全に切り捨てた占星術や 当時すでに化学に移行していたところの以前の錬金術も並行して研究し、同時に神秘思想の研究も行っていた。ゲーテの作品や業績に詳しい人であればもっといろいろな面を指摘できると思われるが、このようにゲーテはキリスト教文化の中で独自に近代科学が確立して発達を続ける中で何かキリスト教文化とは別の系譜というか脈絡の中で、キリスト教については横からというか、むしろ客観的に眺めて関心を持ちながら諸々の科学研究も行い、神秘思想の研究も行っていた。そういうゲーテの思想を1つの主義として代表させるなら、それは神秘主義というほかはないと思うのである。

一つのまとめとして次のような表現が可能であると思われる。

キリスト教文明の中で近代科学が確立し、その近代科学のみが独立して世界に広まり拡大し続けてきたが、全体としての科学はその近代科学的部分のみで成り立っているわけではない。西欧文明の中に限っても、キリスト教文明の外側に、少なくともその一部として神秘主義の伝統があり、あるいは神秘主義を含む伝統があり、全体としての科学の何らかの構成要素を占めている。現在に至るまではその近代科学的な特徴のみが注目され、拡大され続けてきたともいえるのではないか。

今回はここまでを一つの区切りとしておきたい。


2022年7月20日水曜日

政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その2

 ― 前回に続けて―

ここでもう一度、改めて科学主義と、科学を尊重すること、について考えてみたい。例えば、ニュートン力学は現在、絶対的な真理とはみなされていないが、少なくとも日常レベルでは絶対的な権威があるといえる。それは現実的な日常レベルではそれに代わる理論がないからである。つまりニュートン力学が成立するまでそれに相当するものはなかったし、工学的にも有効で生産活動に寄与することにもなったからである。一方、CO2温暖化説はどうだろうか?これは言うまでもなく地球の平均気温上昇の主要原因をCO2を始めとする温室効果ガスの増加に求めるという理論であるが、こちらの方はニュートン力学とは違い、他にもいろいろ説明理論がある。歴史的に、あるいは事実上の地球温暖化自体がすでに終わっている可能性があるが、温暖化のメカニズム自体にいろいろな要因が想定できる。その主要原因として太陽活動主因説こそが、CO2主因説に対立する重要な理論である。であるからこの場合、無条件に一方の学説を妄信することは、科学を尊重することとは言えない。ただしCO2主因説も科学的な形式と方法論をとっているとは言える。ここでこれ以上この問題を掘り下げる暇はないが、少なくとも現在の太陽活動主因説は、現在のCO2主因説に比べて遥かに包括的(CO2温室効果をも含めて)な考察に基づいた優れた理論であって、より真実に近いと考えられるのである。少なくとも現在のCO2主因説はこの比較を厳密に行っていないし、高度な太陽活動主因説では重要な役割を担っている化学熱力学の関与についても無知であるか、無視している。両者の優劣を考えた場合、CO2主因説は他方に比べて格段に劣っているのである。

以上の点で、共産主義思想と制度あるいはその体現者たちはいずれも、科学主義的であるとはいえるが、科学を尊重しているとも重視しているとも考えられない。これはもちろん現実の政治や共産主義以外の政治理念の体現者の大半にとっても言えることではある。ただし共産主義は理念として科学的であること、さらに言えば科学を尊重することを建前としているので、この点では他の政治思想や党派より深刻に受け止める必要があると思うのである。一言でいえば現在の共産主義は科学主義的ではあるが、科学の運用においても科学的真理の追究においてもご都合主義的であると言わざるを得ない。このご都合主義は科学以外のもの、端的に言って宗教に対しても適用されうる。中国共産党は宗教弾圧を行ってきたことで有名だが、日本共産党の場合は明確にあらゆる宗教を否定するわけではなく、一部の宗教に対してはむしろ融和的であるともいえる。キリスト教徒で日本共産党を支持する人たちも多いように思われる。では、現実の共産党やそういう組織・団体はどういう宗教を敵視しているのだろうか。これは、一言で言って共産主義を敵視し攻撃する宗教を敵視しているということになろう。というのは、宗教の側でも反共を趣旨とする宗教とそうでもない宗教があることが反映している。

だいたい伝統的な宗教はすべて唯物主義を否定し、共産主義をも否定することに例外はないように思われるが、特に反共を前面に掲げて活動するようなことは大半の宗教団体はあまりないように思われる。ただし、排他的と言われる宗教、つまり他の宗教や宗派に非寛容で全否定するような宗教や宗派は共産主義に対しても当然非寛容になる。この種の宗教や宗派は一神教か多神教かという分け方では、一神教である、ということになる。

ということで、一般に政治思想と宗教との関係で対立関係を生じるのは、宗教側についていえば、一神教的な宗教である場合が多いということはできそうである。これは一つの結論であるとともに、以後の考察において一つの前提事項として、重要な考えであろう。少なくとも理念的にはそう言える。

2022年7月3日日曜日

政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その1

 かつて、というか私の若いころの話だが、「反共」、あるいは「反共主義」という言葉の意味するところはそれだけで印象が悪い内容であったように思う。少なくとも私にとって印象の悪い言葉であった。もちろんそれには当時の社会一般の常識的な印象を反映していたはずである。共産主義そのものに同調する人は多くはないものの、日本共産党は安定して勢力を伸ばし続け、極端な反共主義者は共産主義者以上に嫌われるような風潮があったように思う。私の場合、そんな深くも強力にでもないが外面的な共産主義の影響を受け、少なくともあこがれる程度までは影響を受けていたとはいえる。

ソ連崩壊後はソ連や東欧諸国で実際に効力を持っていた共産主義や依然として共産主義国家であった中国の共産党も含めて共産主義や共産主義政党に対する反感は増大し、理念としての共産主義の権威性も大幅に低下した印象がある。しかしだからと言って、反共や反共主義に対する印象が向上したとか、悪い印象がなくなったかといえばそうでもない。むしろ反共や反共主義という概念自体が希薄になって、この言葉が使われることも少なくなってきたのではないかと思われる。

共産主義体制や理念としての共産主義も事実上破綻したにもかかわらず、反共産主義が盛り返すようには見えないのはなぜなのか?私は、それは宗教と科学主義の問題が絡んでいるように思われる。というのは、共産主義は一応、少なくとも形式的には反宗教であり、逆方向から言えば多くの宗教は反共産主義であった。つまり共産主義は唯物主義であり、科学主義であることが建前であったということである。

言い換えると、理念としての共産主義は科学主義であるという点で、今でも一部の知識人、常識人の心をとらえ続けていると思うのである。反共主義は反科学主義であり、宗教的である場合が多いという点で、一部の知識人や一般人にもに忌避される傾向は今でも持続しているといえる。

要するに、共産主義と反共産主義との対立関係が科学主義と宗教との対立を含意しているともいえようか?もっと単純に言い切ってしまえば、科学主義と宗教との対立関係を置き換えているともいえるのである。そこで科学主義と宗教との対立関係を分析する必要が生じるのであるが、これはまあ難しい問題である。

なによりも、その前に、現実の共産主義団体や反共主義団体が、各々それらの理念を体現しているかどうかはまた別の問題としてあることである。こういう問題は理念だけを取り出して考察することはまず不可能だから厄介なのである。

一方現実の科学上の諸問題で科学を尊重することと科学主義とはまた別物であることも考慮しなければならない。例えば、端的に言えば特にCO2温暖化説において日本共産党を含めて共産主義的勢力の科学無視、あるいは科学的ないい加減さについては、今はもうあきれるばかりである。一般的に言えば形式的に科学的な表現を使用するだけに過ぎない場合や一部の科学者の所説を盲目的に支持するに過ぎないことが多いのである。いわば科学は内容よりもむしろ形式と方法であって、この形式と方法でカバーできる内容というのは限られているともいえるし、適した対象もあれば不適切な対象もあり、人間の知的活動の分野としては極めて限定的なものであることが次第に明らかになってきたのが現在ではないかと思う。その点で、いまや政治思想の拠り所を科学に求めたり、逆に科学の拠り所を政治思想に求めたりすることは、時代遅れになりつつあるのではないかと思うのである。

公開日2022年7月3日

修正および加筆2022年7月6日

2019年6月17日月曜日

科学、科学主義、唯物主義、個人主義、および民主主義をキーワードとして日本の戦前・戦中・戦後問題を考えてみる(その3)― 『国体論(白井聡著)』に見られる戦後「変節」の分析を参照する

このタイトルシリーズを書き始めるきっかけとなったのはその1で述べた通り、太田原和橆 著『祖父たちの昭和』の中で、ある意味身近な例として見出されることとなった戦前から戦後にかけての日本人の「変節」の問題だった。実は『祖父たちの昭和』を読む次第となる前、去年の中頃あたりから少しづつ読み始めていたひとつの本があって、それは白井聡 著『国体論』である。実のところ私はこのような現代史や政治に関わる本や記事に近づく習慣を持たなかった。若い頃には多少は読んでいる振りをしていた時期もあった程度である。そういう次第で本書の濃密な内容に参ってしまい、時期的な多忙も重なって殆ど中断していたころに上述の『祖父たちの昭和』を読了する機会を得た結果、このシリーズを書き始めた次第なのだが、その後に改めてこの『国体論』を何とか読了し、改めて、やや精度を高めて再読したところである。本シリーズ記事は前者『祖父たちの昭和』に触発されて私自身の問題意識で書き始めたので、全体としての前者への論評ではなかったのと同様、今回の記事も後者『国体論』の一部に触発されて本シリーズ記事の文脈で書いたものであり、決して全体としてのこの著作への論評ではないことを、まずお断りしておかなければならない。

本書の第四章と第五章で、当の「変節」が詳細に分析されている。まず、アメリカの占領軍に対して予期された抵抗が皆無であったことについて「ひとことで言えば、途轍もない変節が生じたのである」(同書)と書かれている。そして理由として天皇による日本国民への戦争終結宣言を挙げることを端緒として、それ以後に継続したこの持続的な変節の問題を国体概念の分析をとおして展開していると言える。

先般の『その1で 私はその変節の理由として、敗戦の結果としてもたらされた個人主義指向的な諸々の制度変革がもたらす環境の居心地の良さと開放感を指摘したのだけれども、それに関連すると思われる表現として、『国体論』の著者が次のように述べているくだりがある:
 様々な意味で「あの戦争に負けてよかった」とは、多くの場面で語られてきた戦後の日本人の本音であるが、このような本来あり得ない言明が半ば常識化し得たのは、われわれが「新しい国体」を得たことによると考えるならば、合点が行く。(『国体論』第五章より)
 つまり著者はその「本音」を正当化する、あるいは正当化できるための論拠として想定される国体の概念とその変化を緻密に考察しているように見られる。この論理は、本音の反対概念とされる建前という言葉を使用すれば建前論ともいえるが、建前論という表面的な見方ではその心理、心情を深く掘り下げることはできないだろう。むしろ倫理的な心情の文脈というべきと思われる。

しかし個人主義の論理を用いれば、上述の本音はストレートに正当化できるように思われる。確かに個人主義の論理を適用することは、いわゆる忠君愛国という戦前と戦中の建前としての大義を全面的に否定することになるという意味で、途轍もない変節ではある。しかし個人主義的な思潮というか傾向がそれまでの日本に全くなかったわけではない。個人主義的指向にもとづく民主主義運動と多様な活動家も存在していたので、波や反動があったにしても、多少の民主主義的制度も採り入れられつつあったはずである。(これについては著者自身が大正デモクラシーとの関連で考察の対象としている)。戦時中にその動向がどのように変遷したのかという詳細については曲折があろうけれども、この戦後の変節がアメリカから強制されたものであっても、政権の当事者ではない限り、この制度的な変節自体に何の負い目も罪悪感をも感じる必要はないはずである。むしろこれらの制度的変節がアメリカによる日本の政権への要求ないし押し付けによるものであったがゆえに、アメリカに対して恩義を感じなければならない点に負い目を感じる向きが多かったのではないかと思う。敗戦により日本は海外での権益を失い、それ以外にも私などのあずかり知らぬ経済的負担があったのだろうと思う。アメリカはそれらに加えて民主主義の普及喧伝者として正義という大義の下で内政干渉をしてきたことになる。そのために多くの日本人にとってその要求、少なくとも民主主義と個人主義的な諸制度が与えられた点で、戦争によって日本人にひどい仕打ちを行ったアメリカに恩義を感じることを余儀なくされたことにおいて、何らかの正当化を必要とする負い目あるいは罪悪感が生じたのだろう。少なくともこういった負い目や罪悪感を感じることにおいて、殆どの日本人は日本人あるいは日本国民としてのアイデンティティーと一体感を持ったはずである。この日本国民としてのアイデンティティーと一体感は、個人主義とは逆方向のベクトルを持つものと言える。個人主義は各個人のアイデンティティーを優先あるいは重視するからである。

個人主義の対義語は集団主義とされ、心理学ではこの二つの用語と概念を基礎にさまざまに考察されているように思われる。しかし集団といっても小は家族から大は人類全体に至るまで多種多様である。当面、この一対のセットを二つの反対方向を持つベクトルのセットと考えることで、多種多様な集団のベクトルを大きさと方向のずれによって差別化できるであろう。ただし、個人の対義語が集団とされることに抵抗を感じるのは私だけだろうか。例えば、集団を和英で調べると、まずgroupという訳語が代表語として出てくる。しかし集団主義に相当するのはどうやらcollectivismらしい。collectivismをネットのhttp://learnersdictionary.comで調べると、"a political or economic system in which the government owns businesses, land, etc."とあり、またcollectivistという副項目があってcollectivist ideologyに加えてcollectivist culture/societyという例が挙げられている。また英辞郎にはgroupismという語があり、「集団順応(主義)」の訳語が出ている。web検索でこの語の用例を見るとどうやら日本人のメンタリティーを表現するために作られた造語であるのかもしれない。

別の英和辞典にはcollectiveの訳語のひとつに「共同体」という言葉がでている。少なくとも日本語で個人主義の対義語を集団主義と固定して考察していては不都合な局面も出てくるように思われるのである。

『国体論』には集団という言葉や概念は見当たらないが、共同体という表現は2回ほど出てくる。私の考え方では、個人主義の対義語が集団主義となるのは仕方がないにしても、個人の対義語としては共同体の方が相応しいような気がする。ただし「共同体主義」という言葉をざっとWEB検索してみると、この表現はcommunitarianismの訳語で、特定の学者の主張に由来する特定の思想と言うべきものらしい。という次第で人間一般が普遍的に持つ二つの反対方向を持つ心情的な傾向という意味では、また特に政治学的な文脈では個人の対義語は共同体とみなせば見通しが良くなるのではないだろうか。家族も一つの共同体であり、地域コミュニティーや企業や宗教団体も共同体であり、当然、親族、氏族、民族、国民、さらには人類に至るまでそれぞれが何らかのレベルで共同体といえる。現代の政治を語る場合はとりあえず民族と諸国民を扱うわけで、日本の場合は日本国民であり、当然、『国体論』の扱う対象は日本国民である。とはいっても、日本国民の意思はもちろん、心性や心情やを考察するには各個人の心情を通して以外にはありえず、各日本人は日本人としてのアイデンティティーと同様に各個人としてのアイデンティティーを持っている。同様に上述のように多様なレベルで多様な共同体としてのアイデンティティーをも持っている。


『国体論』では当然のこととして、基本的に日本人としてのアイデンティティーに基づいた心情と論理が分析され考察されているといえるが、個人としてのアイデンティティを指向する個人主義については本書でよく用いられている表現を使うとすればやや不可視化されているようにも見られる。個人主義と関係の深いとみられる民主主義については、もちろん本書の主要なテーマであるが、もっぱら戦後民主主義という限定された形で分析され、もっと広い意味あるいは抽象的なレベルでの民主主義については無条件で理念的に言及されるにとどまっている。いわばブラックボックスではないが、輝いて中身が見えない光球のようなものとして扱われているような印象を受けたのである。

一方、国民としてのアイデンティティーを超えた意識として個人や集団は、世界人あるいは人類そのものといった概念によるアイデンティティーを持ち得る可能性を否定できない。著者の視野にそれがないとは思えないが、少なくとも本書では個人主義と同様、不可視化の状態にあると言える。

さらに本書では霊的という言葉が最初の方と終わりの方で、使われている。いずれも天皇に関わる文脈であり、最初の方では「日本という共同体の霊的中心」、「共同体の霊的一体性」という形で使われ、最後の方では「天皇の発言に霊性に関わる次元を読み込むこと」、「霊的権威」という表現で使われている。この霊性についても、本来その正体がとらえ難いものであるゆえか、本書でもそれが詳らかにはされていない。

一般に霊的、霊性という言葉で表現されるものが宗教と関わりが深いことは言うまでもない。しかしそれは特定の宗教や宗教団体にのみ関わるものではない。その意味で著者が宗教性を視野に入れていることは間違いないと思われるが、それは本書でカバーされるものではないようだ。


という次第で、『国体論』の最初と最後に一瞬の三日月のように姿を見せる霊的霊性という言葉で表現されているものは科学主義唯物主義、あるいは物質主義などという言葉で表現されるものと対置され、対比されることが多いものである。ただしそこまでの分析と考察にまで行き着くにことは簡単ではないようだ。

2019年5月25日土曜日

象徴的なものと言葉たち ―(1)血の象徴性―その1

このシリーズのはじめに
今回のシリーズはシリーズのタイトルに該当する内容を毎回、各回の連続性や関連性などをあまり考慮することなく思い付きのまま書き連ねるというものになりそうです。

血統、血族、血縁など

大抵の言葉は他の言葉から派生したものなので人が日常的に言葉の由来を考える暇などないし、血統という言葉もこれが血という言葉に由来することは明白だとはいえ、人はもはや血統という言葉から流れる赤い血液そのものをイメージするということは殆どなく、血統という概念自体も割と明確に規定されているように思われます。それはそれで何の問題もないとは思うのですが、一方でなぜ、血が血統や血縁など、親族関係を象徴することになったのかを考えることにも意義があるように思います。最近私はなぜか、このことが気になり始めました。

英語にも blood line という血統に相当する言葉があるので、血統は blood line の訳語としてできた可能性も考えられ、ありあわせの辞書で調べてみましたが、そういう記述は見つかりません。そこで古語辞典(岩波古語辞典、1974年)を調べてみると、確かに血統という言葉も血縁という言葉、血族という言葉も見つかりません。ただし血脈という言葉がありました。本来は血管を意味するようですが、象徴的には仏教の用語になっているようです。引用すると「仏の教えを師から弟子へと代々うけ伝えること。法統。」とあります。これは生物学的な血統であるよりもむしろ精神的な系譜という意味になりますね。やはり、「血統」は英語か西欧語由来のように思われます。ちなみに「血族」や「血縁」を和英で調べてみると blood relative とか blood tie など、ちゃんと対応語が見つかるので、英語に由来すると見た方が自然に思われます。しかし、それにしては翻訳語とは思えない自然さが感じられるように思われます。もっとも明治以後にできた英語からの翻訳語はあまりにも数多いので、目立たないことも確かです。

そこで気になるのが英語でこれらの言葉が成立したのはいつ頃なのかという問題です。(以下継続予定)

2019年5月12日日曜日

個人主義、民主主義と民主制 ―― 科学、科学主義、唯物主義、個人主義、および民主主義をキーワードとして日本の戦前・戦中・戦後問題を考えてみる(その2)

確かに、民主主義という言葉とその概念には問題があるように思われる。例えば、最近あるウェブサイト ― 教えられるところの多いウェブサイトではあるが ― では次のような表現が見られる。「私、副島隆彦は、×「民主主義」というコトバは、使わない。× デモクラティズム  democratism というコトバはない。」。

確かに、有名な辞書にdemocratismという言葉は見つからない。しかしWebを検索してみるとこの言葉は現実に使われていないわけではない。意味付けについてはいろいろ問題がありそうだし、日本語の民主主義に相当するのかどうかも問題があろうが、権威ある辞書に載っていないというだけでその言葉が存在しないとは言えない。ましてその言葉で表現されている概念まで存在しないとは。

確かに、「Democracy」を「民主主義」と訳すのは不正確であると思う。 「制度」は「主義」、言い換えると「思想」ではないからである。しかしだからと言って日本語で「民主主義」と表現される概念が「ない」とは言えない。民主制という「制度」 ― Wikipediaを見ると英語では"System”と表現されているが ― はそれなりの人々の思想、希望、意志、心情、心性、あるいは欲求の反映であり、そういう心理的なものに支えられているのだから、民主主義という言葉で表現される概念はあるはずである。個人主義がその大元にあるように思われるが、個人主義がそのまま民主制の根拠となるわけでもないと思われる。

簡単に言って、個人主義と民主制の間に民主主義が介在していると考えれば、あるいは『個人主義⇒民主主義⇒民主制』という系列または順序を考えればわかりやすいのではないか。個人主義と民主主義との関係を多面的に考察することで実り多い成果が得られるような気がする。

2019年4月22日月曜日

科学、科学主義、唯物主義、個人主義、および民主主義をキーワードとして日本の戦前・戦中・戦後問題を考えてみる(その1)

注記: 今回のテーマは、昨日ひと通り読み終えた本『祖父たちの昭和―化血研創設期の事ども―(田原和橆著)』の一節に触発されて着想を得ました。この著作は先般、私の別のブログ『矢車SITE』で言及したとおり、昨年に友人である著者から贈られたものです。当該作品についての全体的または部分的な感想や紹介についてはまた別の機会に別のブログかまたは本ブログで取り上げてゆきたいと思っています。この記事はあくまで上記著作の一節のみに触発された私自身の問題意識で書き始めました。


 まず当該書籍の引用から:「戦後生まれの私にとって、第三日記に見られる最も際立った特徴は、やはり、戦時中と終戦後の極短期間で祖父豊一が示している心象の大きな変化、一種の『変節』である。― 中略 ― もっとも、終戦直後における手のひらを返したような変節は、日本国民の間でよく見られたようで、昨日まで軍国主義者だった中学の先生が、終戦を境にアメリカ贔屓に豹変したという類の逸話も珍しくない。また、そのような変節は、GHQの操作により促された節もある。」

上記引用のような複雑な戦後日本の状況は、著者や私のような団塊世代の人間にとっても自然に環境から伝わってきたように思えるが、私個人的には祖父に関する知識は一切なく、父親も戦争以外の原因で亡くなっていたため、著者の祖父に相当するような公人的立場の知識人はもちろん、何らかの記録を残すような人物には身近に恵まれず、この点で当事者的な感覚からは比較的遠かったと言える。しかし、今回のように友人の祖父の日記という形でこの間の経緯を具体的に目にしてみると(日記の文章は長くなるので上記の引用では省略)、これまでに比べてより当事者体験に近いものが感じられたように思う。

かかる「変節」のメカニズム、正当性、または非正当性を考察するのにまず自分自身の心情から類推してみると、端的に言って、戦時中と終戦の過程においてアメリが日本と日本人に対していかにひどい仕打ちを行ったとしても、アメリカがもたらした終戦後の社会環境はそれ以前の社会に比べて少なくとも一面でそれまでになかった居心地の良さと開放感をもたらしたことは紛れもない事実ではなかったかと思われる。その根拠となる思想を一言で言い表すとすれば個人主義という表現以外には考えられない。

個人主義と民主主義との関係性については多様な論理付けが可能だろうが、まず直観的に、民主主義的制度の根拠が個人主義に求められることは明らかだろう。結果から言えば、アメリカから押し付けられた民主主義的制度と不可分に伴う個人主義的な諸々の社会制度の変化が、殆どの国民にとって居心地の良さと開放感をもたらすものであって、これはいわゆる知識層と一般庶民に共有されていたもののように思われる。この個人主義の先進国であるアメリカへの憧れが科学技術の面での先進性とあいまって、戦勝国への反感を凌駕するものだったのだろう。


個人主義の根拠についても多様な論理があるだろうが、まず直観的に科学、科学主義、唯物主義、物質主義、といった思想、思潮、風潮との密接なつながりは眼に見えて明らかではないだろうか。人間、ヒト、家族、国民、人類、といった単位の中で物理的に、視覚的に、そして触覚的に明らかに区別できる単位は個人だけである一方、各人が意識的に自覚できる単位も、それぞれの個人以外にはありえない。

この科学、科学主義、唯物主義、物質主義が現今、再考、再吟味、あるいは反省と批判の対象になりつつあり、一方でますます増長する科学主義との対比が明瞭になりつつあるように思われる。

2016年4月27日水曜日

『ブッダは実在しない(島田裕已著、角川新書)』を読んで

この本のタイトルには確かに一定のインパクトはある。しかし一方で少々違和感を感じさせることも事実である。一つには、人物について「実在しない」という用語を、しかも現在形で語ることにも多少の違和感を感じるが、それ以上に、「ブッダ」という微妙な言葉が「実在しない」の主語として使用されている点にも違和感が伴う。

というの、歴史上の仏教の開祖とされる人物については一般の日本人は「お釈迦さま」という名前で馴染んできたし、今もそうである。一方のブッダは近代の学問的なカタカナ語であり一般の日本人はあまり使わないことばであるが、 ブッダが「仏さま」という言葉に相当することはだれでも気が付く。というのも「仏陀」という言葉も昔から知られているからである。いずれにせよ、仏(ホトケ)が固有名詞ではなく、この本で「ブッダ」について語られているように「悟った人」に類する意味を持っていることは一般の日本人にとっては常識であるといってもよいと思う。そういう点で、「ブッダは実在しない」という表現は、「実在」という用語自体の違和感と相まって、せっかくのインパクトが少々抑えられた感じがする。

この本が直接論証しようとしている事柄は、いわゆるお釈迦さま、仏教の歴史的な開祖としての個人が実在しなかったということである。だから、もっと分かりやすく即物的に言えば「お釈迦さまは実在した人物ではなかった」ということになるだろうか。

この本でカタカナ語の「ブッダ」が使われているのは、著者が宗教学、仏教学の学者であって、近代仏教学の文脈で語っているからに他ならない。というのも近代仏教学はパーリ語やサンスクリットの原典を解読することから始まっているからである。その原典を追う文脈ではお釈迦様をブッダという言葉で表さざるを得なかったのであろう。

同様の、ヨーロッパ経由で、従って近代仏教学経由で日本に入ってきたところのお釈迦様の名前に「ゴータマ・シッダルタ」という言い方がある。読んだことはないがドイツ文学『シッダルタ』というヘッセの作品があるのは有名である。ところが、本書の著者によると、「ゴータマ」も「シッダルタ」も、必ずしも固有名詞とは言えないらしい。またこの本には江戸時代以前にもそれに起源をもつ言葉が使用されていて、例えば歌舞伎の勧進帳に「クドンシャミ(漢字は省略)」という名前が使われていたり、江戸時代に読まれていたブッダの伝記で「悉達(シッダ)太子」という表現などもあり、江戸時代以前にお釈迦さまがどのように認知されていたか、興味深い。


 以上のように著者はパーリ語などの文献をたどることで仏教の開祖としての歴史的なただ一人のブッダは、複数のブッダ達から神話的に形成された象徴的な存在であると結論付けている。どうやらこれは著者が初めて主張する新しい知見のようである。もちろんいくつかの先行研究が挙げられているが、本書の主張は近代仏教学でも初めての主張であるらしい。著者は文献調査の結果として次のように述べている。「近代仏教学が、歴史上の存在としてのブッダの姿を十分に明らかにしたとは必ずしも言えないのである。」
 
確かに、 近代仏教学が確立されてからも、西洋でも日本でもお釈迦さま個人が実在したことが疑われたことはなさそうである。例えば、私がその昔読んだ小冊子で『日本人と日本文化(司馬遼太郎+ドナルド・キーン著)』という本があり、読みやすく面白い本だったのでいまだにいくつかの表現が記憶に残っているが、断片を拾うと、例えば空海を話題にした章で仏教について次のような談話があるので、ちょっと司馬遼太郎が語った断片を列挙してみよう。

「密教というのはあれは本当は、仏教ではなくバラモン教でしょう。お釈迦様が教主じゃありませんね。」
「仏教のようにお釈迦さんという一個の天才が土俗の中から一つの結晶体を取り出した・・・」
「親鸞も日蓮も、ほとんどお釈迦さんとは関係のない人ですね。極端にいえばお釈迦さんという世界性がどうであれ、・・・」

ここで語られている真言密教や鎌倉仏教についてはさておき、明らかに釈迦という個人が本来の仏教を作ったのだという、つまり今までの日本に栄えてきた様々な形の仏教とは異質の、釈迦という個人が生み出した明確に区別のできる本来の仏教というものが確実に存在することを前提として語られている。その意味で司馬遼太郎も近代仏教学の現在の成果の上に立っているともいえる。本書の著者はそのような近代仏教学で得られたとされる知見に変更を迫るものといえる。

学問的にはそういうことだが、しかし著者のこの新しい見解は、仏教に対して様々な新しいアプローチを提供するものではないだろうかと著者自身考えているようだし、私もそのように思う。

一つの重要なインパクトは、本書でも重要なテーマとして扱われているとおり、いわゆる大乗仏教と、小乗仏教といわれる上座部仏教との関係に対するものである。それは近代仏教学の影響もあって小乗仏教が本来の仏教、お釈迦さまの仏教に近いものと考えられているが、釈迦の存在が実在の個人ではなく神話的に形成されたものであるとすれば、いわゆる小乗仏教あるいは上座部仏教と言われている仏教も、実在したとされる仏教の開祖、あるいは始祖の教えにより忠実であるとは言えなくなるということで、著者も本書の中で、実際にその種の仏教(ちなみにテーラワーダ仏教とも呼ばれることを初めて知った。)が必ずしも原始仏教に最も近いとは言えないことを検証している。

著者はこういう点で仏教が持つキリスト教やイスラム教とは異なった、ユニークさを強調するとともに、小乗仏教に対する大乗仏教の優位性をも指摘しているように見える。そして、それには共感できるものがある。 

本書の第5章に、「日本で一番読まれている仏教の経典は『般若心経』」という小見出しがあり、そこで般若心経の成立について触れているが、そこで著者は、「般若心経は実は大乗仏教の立場からの小乗仏教批判の性格を持っている。というよりも、そこにこそ般若心経の本質があるともいえる。」と書いている。 

それにしても日本でだけ般若心経が特別に尊重され、一般にも広く読まれてきたということは興味深いである。本書によると、般若心経のサンスクリット語原典が伝わっているのは日本だけで、それは法隆寺にあるのだそうである。大乗仏教がこれだけ栄えてきた日本特有の事情についても興味がわいてくるというものだ。

最後に著者は次のように締めくくっている。「私たちは開かれた宗教としての仏教に、いささかの誇りをもってよいのではないだろうか。」 、なるほどそうかもしれないなと思う。

2014年6月3日火曜日

佐藤亜紀著 『鏡の影』 を読んで

表記の本だが、本当に久しぶりに小説を読んだ。時々訪れるあるブログで書評というわけでもないが優れた作品として言及されていたのに少々心を動かされた結果、ネット検索で最寄りの区立図書館にある事が分かり、借り出して一読した。

とりあえず一読後、確かに優れた作品と言えるのだろうと、一応は納得している。しかしかなり読みづらく、読みなれない漢字づかいも多い。何度も行きつ戻りつしながら、なんとか最後までつじつまが合うように脈絡を追いながら読了したものの、やはり、一通りの意味を理解するには最初からの再読が必要と思われた。ただ、そこまでするだけの余裕も意欲もなかったが、最期のクライマックスと言えそうな部分だけは再読することで、一応は不完全ながら全体の脈絡を読み取ることができたように思う。

構成要素あるいは道具立てとして、(1)ヨーロッパ中世の政治社会、文化、カトリック思想、異端思想、錬金術、妖術などへの関心、(2)作者自身の思想、(3)フィクションにおける登場人物群、(4)ファンタジーの四つの要素で構想されていると見て、感想を整理してみたい。(4)のファンタジー要素というのはこの作がファンタジー小説と分類されているのでそう表現したまでだが、とりあえずこの言葉が便利であることには違いない。そのようなジャンル分けが重要であろうとなかろうと、ファンタジーの要素がある事は確かである。具体的には、①由来(どこから現れたのか、どこへ消えたのか、どこから再登場したのか、何を原資として生活しているのか)の知れない謎の登場人物(悪魔的存在)、②特異な夢や異常な眠り(眠りの美女)、③異常な亡骸(塵埃となる)、④異常な(処女の)妊娠(処女懐胎といえば聖母マリアに限られるらしいので)、⑤素性の知れない美女(ヴィーナスか)、などが挙げられる。このような道具立ての揃った有名な作品と言えばやはりファウスト伝説ないしゲートの『ファウスト』ではなかろうか。まあ今のところ当方にファウストとこの作品を比較するだけの素養はないので、今は単に言及するしかない。


この作品の主眼が上記(1)にあるとすれば、個人的には大いに興味があるのだけれども小説ではなく研究書かエッセーなどで読みたいと思う。例えば、錬金術ならユングの『錬金術と心理学』などである。ちなみにこの書は最初に翻訳書が出た頃に購入して何とか読んだがもちろん当方の読書力では字面を追った程度だった。ちょうど最近になった再読したいと思うようになったが果たせないでいる。

主眼がエンターテインメントにあるとすれば、それにしては読みづらいし難しすぎる。もっともそういうエンターテインメント性もあるように思えるが。

主眼が詩的、音楽的、絵画的な美にあるとすれば、当方の趣味と鑑賞力から言えばいまいち。

「意味」という掴みどころのない難物への取り組みが感じられる部分はある。

要するに、あくまでも当方の読書力にとっての話、いずれにしても中途半端という印象。ただしそれぞれの中途半端の程度を合計して、読んで損をしたとは思わない。

もうひとつ、かつてとりあえず字面を読んだだけのゲーテのファウストをもう一度読みたいと思う。なんといってもあのゲーテが最晩年に至るまで書き続けた有難い作品とされているのだから。この方面で当方は権威に弱いのである。

2014年2月4日火曜日

E・カッシーラー『啓蒙主義の哲学』読了 ― 哲学の最終目標は美学なのか

数日前に表記の本を読了した。この本を読み始めた経緯は、このブログか別のブログに書いたが、これはおそらく20年ほども以前に購入して殆ど読んでいなかった本である。同じ著者の『シンボル形式の哲学』は数年前に一通り読了したが、つい昨年には学生時代に読んだ、やはり同じ著者の『人間』を再読したところであり、一応だがカッシーラーの重要な著作を三冊読んだことになる。こういうこと、一人の大哲学者の著書三冊を読了したといえるのは初めてのことで、ちょっとした満足感がある。もっとも『人間』は一般人を対象に書かれた本であると言われているし、今回の『啓蒙主義の哲学』も最初に購入したのは哲学史の教科書的な印象で購入したものだったが。

そういう次第なので、どうしてもこの三冊を、どれだけ理解できたかはさておき、自分なりに比較する気が起きる。もちろん先に読んだ二著作、特に主著と言われる『シンボル形式の哲学』がどれほど頭に残っているかと言えばまったく心もとない次第である。とはいえ、先日脱稿し、テクニカルレポートとして日本認知学会に投稿して再録された鏡像問題に関わる論考は、『シンボル形式の哲学』の第二巻である『神話的思考』を読んでいなければ成立することがあり得なかったものなのである。ちょうどブログで鏡像問題の新聞記事に触れた頃に、まさに今回のレポートで引用したあたりを読んでいたのだから。

とにもかくにも少なくとも個人的に、これらの三著作を比較することは特に興味深いのである。

『シンボル形式の哲学』は第一巻が『言語』、第二巻が『神話的思考』、第三巻が『認識の現象学』というタイトルになっているが、第三巻『認識の現象学』 の後半では自然科学と数学がテーマとなり、訳者の解説によるとこの部分がこの書の「クライマックス」とされている。それに対して『人間』では人間の「文化」を対象とし、文化の要素として神話と宗教、言語、芸術、歴史、そして科学が、どちらかというと並列的に扱われていたような印象があったが、比較的に芸術と歴史に重点が置かれていたような気がする。

今回の『啓蒙主義の哲学』では、対象は表題の通り啓蒙主義の哲学という、哲学そのものである。それが自然と自然認識という認識の基礎から始まり、心理学、宗教、歴史、法、国家、社会、と、この順序で著述が進められ、最後は『美学の基本問題』という章タイトルのとおり、美学が対象となっている。分量的にも、この書物では美学の問題が「クライマックス」となっている印象であった。これにはかなり強烈な印象を受けたといってもいい。 個人的に「啓蒙主義の哲学」についても、一般人としても殆ど知識と明確な印象を持っていたわけではなかったが、それでも、美学が啓蒙主義の哲学の中で重要な位置を占めているという印象は殆どなかったからである。それがこの著作を読了することで、美学こそが哲学の最終目標であるかのような印象が得られた次第なのである。それは単に啓蒙主義の哲学についてのことではなく、哲学そのものの目標が美学にあるといえるのではないかということなのだ。

改めて木田元氏による『シンボル形式の哲学』の解説を少しだけ拾い読みしてみたところ、次のような記述があった。「彼はこの〔シンボル形式〕という概念をどこから汲みとってきたのであろうか。カッシーラー自身は、その直接の源泉として美学と物理学を挙げている」

「美学と物理学」―なるほど、意味深長。











2013年8月2日金曜日

歴史と科学 ―― カッシーラー『人間』よりやや長い引用というより抜き書き

先日、かつて学生時代に一度読んだカッシーラー『人間』宮城音哉訳、の再読を終えたので、メモしておきたい。

現実のところ、内容を今まで、具体的に記憶し続けていたわけではまったくない。しかし、改めて読み返してみると、その後自分があれこれと考えたことの多くがこの本の影響を受けていたことに改めて気づかされた。もちろん、その後で散発的に読んだゲーテなどの本の記憶や影響と重なる部分もあり、どこまでがこの本の影響なのかと言い切ることもできないではあろうけれども。それにしてもゲーテからの引用が多く、改めてゲーテの影響の深さにも気づかされたといえる。

今回特に印象に残った長い一節を抜き書きしておこうと思う。やはり年のせいか、歴史の問題に興味の重心の一部が移ってゆくようなところもある。次の引用というより抜き書きは「歴史」と題された第十章からのものである。

『偉大な科学者マックス・プランクは、科学的思考の全過程は、すべての「人間学的」要求を除去しようとする恒常的な努力だと述べた。我々は自然を研究し、自然法則を発見して、公式化するためには人間を忘れねばならぬ。科学的思想の発展において、擬人的(主観化的)要素は、次第に背景に退けられ、ついに物理学の理想的構成においては、全く姿を消すのである。歴史学は、これとは全く異なった方法をとって発展する。それは、人間世界においてのみ生き、また呼吸することができる。言語及び芸術と同様、歴史は根本的に擬人的である。その人間的側面を除去することは、その独特の性格と本性を破壊することであろう。しかし、歴史的思想の擬人性は、なんら、客観的心理の制限でもなく、客観的心理を妨害するものでもない。歴史は、外部の事実や事件ではなく、自己の知識の一形式である。自己を知るために、自己を超えて行こうとしてもむだであるし、いわば自己の影を飛越えようとすることはできぬのである。私はこれと反対の方法を選ばねばならない。歴史において人間は、つねに自己自身にかえる。人間は、その過去の経験全体を回想し、これを現実化しようと試みる。しかし、歴史的自己は、単に個人的自己ではない。それは擬人的ではあるが、自己中心的ではない。矛盾した表現形式を用いるならば、我々は、歴史は「客観的擬人性」を表現するものということができる。歴史は、人間経験の多様性を我々に教え、これによって我々を、特殊で唯一の瞬間における、気まぐれと偏見にしばられぬようにする。歴史的知識の目的は、実に自己の――我々の知る自我および感ずる自我の――このような豊富化であり、また拡大であって、これを除去することではないのである。』