2022年12月14日水曜日

一神教、科学主義、および神秘主義という三つの概念ないし理念を個人的体験をとおしてみると (2):キリスト教文化的芸術の私へのインパクト ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その5

 明治以降の日本人が学校教育で教えられたり、広く社会や家族を通して得られたキリスト教文化的なインパクトというものに注目し、分析するという場合で、その対象が科学や哲学に該当する場合、個々の対象についてそれがキリスト教文化に固有のものであるかどうかという判別は簡単にはできそうもない。哲学的なものや科学的な考え方や成果といったものはキリスト教以前、特にヨーロッパではギリシャの哲学や科学という伝統があったはずである。もちろんヨーロッパ以外にもある。中世のキリスト教神学にはアリストテレスの哲学や科学が取り入れられていたことはよく知られている。シリーズの最初の記事で、近代科学が一神教としてのキリスト教と深い関係があるという考え方については、それを検証すること自体がこのシリーズ記事の目的の一つでもあるので、それについては後回しにしたい。

明確なキリスト教のラベルがついている文化的なものと言えば、それは芸術分野に属すものだといえるだろう。建築では教会建築がキリスト教文化を代表している。しかしキリスト教の教理と関係があるのは建築様式や形式であって、建築の与える印象そのものとは言えない。絵画では宗教画と言われる分野がある。しかしその場合も教理と関係があるのは図像的な意味であって、形式と様式のような約束事に関わるものであり、絵画が与える芸術的な感銘とは異なるものだと思う。音楽の場合はさらにそれがはっきりする。そもそも純粋な音楽でキリスト教の教理とか一神教の理念とかを表現できるわけがない。音楽で表現できるものは、言語で表現される理念や概念のようなものではない。それは造形芸術でも同だろうが、音楽の場合はその点で造形芸術に比べて純粋であるといえる。造形芸術の場合はそれが、先に述べたような図像的な意味と分かちがたく結びついている。一方で音楽は言葉と結びつくことが多いが、必ずしも常にそうではなく、言葉と音楽は明確に区別できるものである。

それに加えて、西洋音楽の場合、キリスト教は特に音楽を重視してきたことはよく言われることであり、またクラシック音楽そのものの発祥の起源がキリスト教の教会の儀式にあるといわれ、多少ともクラシック音楽に親しみ、馴染んで、知識をもっている日本人なら、だれでもそういう印象を持っていると思われる。日本の義務教育で行われている西洋音楽史の授業でもその程度のことは教えられている。また一部の賛美歌やクリスマスソングなども日本人一般に浸透しているし、カトリックのミサ曲などもクラシック音楽の一分野として、ある程度の人気のある分野である。ただ興味深いことは、ミサ曲の中でもレクイエム、日本語で鎮魂ミサ曲の人気が高いことである。死者の鎮魂という風習は人類に普遍的であって、日本人にとっても何の違和感もない。この傾向はヨーロッパにおいてもそうなのだろうか。たとえば、ブラームスはプロテスタントであるにもかかわらず、鎮魂ミサ曲を書いたことで知られる。もっとも、同じプロテスタントであったバッハの書いた、有名なロ短調ミサ曲という例もある。

このように、クラシック音楽は西洋のキリスト教ないしはキリスト教会が発祥と言われていても、クラシック音楽自体はすでにキリスト教の教会音楽そのものではなくなり、実際に教会で儀式や祈祷に使われるミサ曲や賛美歌自体がキリスト教からも離れてキリスト教徒ではない日本人にも親しまれている。私自身もそういう日本人の一人でもある。このように、多くの日本人にとってと同様、私の場合も、クラシック音楽一般のみならず、キリスト教の教会音楽についても、キリスト教の教理とも一神教の理念とも無関係に、端的に言って有難い「芸術」として受け入れているという他はない。

とはいうものの、やはりクラシック音楽のなかでも、何かジャンルとして宗教音楽と分類されるものや、キリスト教との関わりを想起させるような、あるいは宗教的といわれるような作品にはなにか特別に高尚な作品群であるという印象を持っているのは私だけではないだろうと思う。

一つの典型的な例と思われるものはブルックナーの交響曲を主とする作品群である。一般にブルックナーと言えば、彼が熱心なカトリック教徒であったことからカトリックの信仰との結びつきについて語られることが多い。ウィキペディアの記述を見てもそうだが、古いブリタニカ国際大百科事典の日本語版を見ても、次のような記述がある:
「敬虔なカトリックの世界観に根ざす彼の深い精神性も、当時の知的潮流から彼を遮断してしまった。」

実のところ、私はブルックナーの生涯や人となりについてあまり知らなかったので、最近になって短い伝記作品を読んだが、だいたいそれまで持っていた印象のとおりで、彼が幼少期からカトリック教会に聖歌隊の隊員として預けられたことに始まり、何度も教会の専属オルガニストとして人生の長期間を過ごしたことや、交響曲以外にはミサ曲やオルガン曲を作曲した一方でオペラや派手な協奏曲などは書かなかったことなど、まだ人となりについては、やはり敬虔なカトリック教徒という表現がふさわしいが、かといって聖職者のような生活をしていたわけでもないことなど書かれている。

ただし、私が若いころに初めてブルックナーに関する短い文章を読んだのは、彼の有名な指揮者フルトヴェングラーの『音と言葉』という日本語訳タイトルの著作の一部で、著者一流のブルックナー論とでもいえる内容の、二十数ページからなる一章であった。そこではキリスト教、キリスト教会、カトリック、といった言葉は使われていなかった。もっともそれはブルックナーの伝記的な紹介のようなものではなく、深く掘り下げた作曲家論とでもいうべきものである。全体としてかなり主観的で理解しづらい文章だったが、次に引用する一節がある。

「彼(ブルックナー)に課された運命は、超自然的なものを現実化し、神的なものを奪い取って、吾々人間的世界の中へ持ち込み、吾々の世界に植え付けることでありました。魔神との戦いの中にも、また至高の浄福を歌う響きの中にも、――この人の全思と観念とは彼の内部の神的なるものに向かって、彼の上に司宰する神々に向かってその深遠な情感を尽くして捧げられています。彼は決してただ音楽家であるという様なものではありませぬ。この音楽は真の意味に於いてあのドイツの神秘思想家、あのエックハルト、ヤーコプ・ベーメ等の後継者であります。(芳賀壇訳)」

これは、簡単にいってブルックナーは神秘主義者であり、その音楽は神秘主義的である、と述べていると言ってよいだろう。ブルックナーが具体的にエックハルトやヤーコプ・ベーメを研究して音楽にそれが反映しているのかどうかについてまでは、フルトヴェングラーは何も書いていない。またもちろん、私のように、専門的に音楽を研究しているわけでもなく、趣味的に、しかも殆ど録音で音楽を聴いているだけでは知る由もない。また、「神秘思想」や「神秘主義」も、キリスト教の教義や一神教の理念などと同様に、言葉でしか表現できない概念や理念であって、音楽で表現できるわけではない。しかし神秘、神秘感、あるいは神秘性、神秘的な感情といった何か神秘的としか言いようのないものは音楽で表現されうるものであり、聞き手は音楽から感じ取ることはできる。これは造形芸術でも同様で、同じ西洋美術の範疇でもモナリザの微笑や聖堂建築の荘厳さなど、多くの例を挙げるまでもない。

一つの結論として、私にとっても、多くの日本人にとっても、西洋のキリスト教のラベルが付いた芸術が持つ魅力、そこから得られる感銘はキリスト教の教理や一神教の理念ではなく、むしろその神秘感ないし神秘性にあると言え、宗教との関わりでいえば、むしろ一神教よりも多神教に馴染むものであるといえる。上記のフルトヴェングラーの言葉の中でも、「魔神」とか「神々」という言葉が使われているように。

上記の事情は、次に引用するフロイトの指摘にも関係がある。
フロイトの「モーセと一神教」から「Ⅲ モーセ、彼の民族、一神教」の第一部の終わりに近く、ユダヤ教からキリスト教が誕生する経過のまとめとして次のような一節がある。「この新しい宗教は、古いユダヤの宗教に照らしてみるならば文化的退行を意味していた。キリスト教はユダヤ教が上りつめた精神化の高みを維持できなかった。キリスト教はもはや厳格に一神教的ではなくなり、周辺の諸民族から数多くの象徴的儀式を受け入れ、偉大なる母性神格をふたたび打ち立て、より低い地位においてではあるにせよ、多神教の多くの神々の姿を見え透いた隠しごとをするような仕方で受容する場を設けてしまった。これらを要約するに、キリスト教は、アートン教やそれに続くモーセの宗教のようには迷信的、魔術的、そして神秘的な要素の侵入に対する峻拒の態度をとらなかったのであり、結果としてこれらの要素はその後の二千年間にわたって精神性の展開を著しく制止することになってしまった。」

このフロイトの分析では、一方的に一神教が高次の優れた宗教であり、多神教が低級な宗教ないしは文化であることを前提に語っている。それはフロイトの科学思想にも関係が深いように思われる。フロイトの精神分析については、フロイト自身はそれが科学であることを誇っているように見えるが、一方で一部の科学者からは、精神分析が科学ではない、または科学的ではないというような批判がある。この点では、フロイトも、フロイトの精神分析を科学ではないという理由で批判する側も、どちらも科学主義者であるといえる。また、神秘主義や神秘主義的な思想を批判し、神秘的なものを否定するという点でも共通している。例えば、フロイトはユングの神秘主義的傾向に批判的である。上記の引用においても、フロイトは明確に神秘主義的な要素を拒否し、「アートン教やそれに続くモーセの宗教」を高く評価していることは明らかである。上記引用中のフロイトが「精神性の展開」と呼んでいるものは、科学的精神とでも呼ぶべきものなのであろうか。

他方、上述のフルトヴェングラーからの引用中には、日本語訳ではあるが、「魔神」と「神々」という、神的なものに二極性の表現が用いられる。実際、一般に芸術に表現され、感じ取られる神秘性には不気味で恐ろし気なものと対極の神々しさや神聖さという、両極を含んでいる。それに対してフロイトの思想においては神秘性そのものが全体として克服されるべき低級なものとみなされているように見える。

【以下は12月22日に追記】

科学主義的な傾向は一般に、宗教よりも神秘主義を批判し、否定しようとする。それはフロイトのように一神教を多神教よりも高次の宗教として評価する傾向と符合する。

ところで、科学主義的な言説は宗教における言説と同様、基本的に言語で表現され、規定されるものであり、科学それ自体、個々の科学分野も言語で表現されるものである。一方の音楽は言語ではない。造形芸術も言語ではない。芸術は、特に音楽は言語的ではない。造形芸術も言語ではないが、図像は象形文字やピクトグラム、絵文字、あるいは文章中のイラストレーションなどのように言語と組み合されても使われるなど、音楽よりも言語に近いところもあるように思われる。音楽ももちろん言語と結びつくが、音楽の場合は科学的な言語ではなく詩やドラマのような形でのみ、つまり芸術的な表現でのみ言語と結びつく場合があると言える。この問題も深入りすると際限がないので今は打ち切らざるを得ないが、一つの重要な、事実とまでは言えないが、少なくとも傾向として、科学主義は神秘主義と神秘性を受け入れないが、音楽を始めとする芸術は神秘性と馴染みが深く、見方によっては、神秘性と神秘主義こそが芸術の究極でないかとみなす考え方があってもおかしくはないと思われる。

次回からは、科学主義(あるいは科学志向)と芸術という両極との、私個人的な関わりを反省してみることから、両者の関係について考えてゆきたいと思う。

2022年10月9日日曜日

一神教、科学主義、および神秘主義という三つの概念ないし理念を個人的体験をとおしてみると(1)― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その5

 前回は一神教、科学主義、および神秘主義という三つの概念が持つ相互関係ないしは構造をゲーテという特別な人物の思想において考察してみたということになるだろうか。次にはこれを特定の個人ではなく、もっと大きな単位、例えばヨーロッパ文明とか世界文明などにおいて考察したいものだが、ここでいきなりそこまで壮大な試みに切り込むのは無謀な話である。そこでゲーテにおいてさらにこの問題を掘り下げるのも意義深いと思うが、それにしても今の私の身に余る試みに変わりはない。そこでまず、私の個人的体験を振り返ることから始めて、それを考察してみたいと思う。

私は、最近はあまり使われる機会も少なくなった言葉で団塊世代の一人であり、日本生まれの日本人である。日本人のキリスト教徒は非常に少ないといわれるが、私の場合は人生の始めからキリスト教とはわりと関わりが深い方であったと思う。まず、母の実家の家族の多くがキリスト教徒であるかそれに近い位置にあった。母の兄たちは長男を筆頭に、幼少時に親から洗礼を受けさせられたとのことである。女の子たちは特に強制されなかったので、母は洗礼を受けなかった。なんでも学校友達にヤソ、ヤソと言って冷やかされるのが嫌だったという。それでも日曜学校には通わされたそうで、年をとってからも時どき賛美歌を懐かしそうに口ずさんでいたこともある。そういう環境になった原因というのは、私の祖父にあたる人が宣教師に英語を教えてもらうことを条件にヤソに入信したという話であった。その宣教師は英国人だから当然、教会は英国系の教会である。その祖父がその後英語を活用できたのかどうかなど、そういう話は全く聞く機会がなかったので祖父の話はこれまでである。母の兄たちには何度か会った記憶があるが、あまりキリスト教を匂わせるような印象はなかった。母の弟にあたる叔父は私には身近な存在だったが、兄たちのように洗礼は受けなかったそうである。たぶん当の叔父は私の母に比べてもかなり年下であったから、そういう問題が出る頃には祖父も年を重ねて考え方も変わっていたのかもしれない。

その叔父は、近くにあった教区の教会に通っていたような形跡は見られなかったが、そこの信徒連とは付き合いがあったらしく、信徒の女性と結婚して教会で結婚式も挙げ、これは数年前になるが、葬儀も教会で行われた。洗礼を受けていなかったので、本来は教会で葬儀はできない規定であったところが、何らかの条件で、死後洗礼というような形で葬儀を行うことができたということらしい。実際、本人が常々、冠婚葬祭はキリスト教式が良いと話していたから、これは本人にとっても良いことではあったはずである。

その妻すなわち私の叔母とその娘すなわち従妹はどちらも洗礼を受けた信徒であり続けている。従妹の方は信徒のなかで役員も務め、教会のカギも預かり、クリスマスや何やらの行事があると相当に忙しい思いをしているらしい。ただ、本人が語ったところによれば、息子を教団系列の私立大学に入れたこと、その他の便宜を図ってもらえるので、役員をやっているとのことで、心から教団の活動に熱心なわけでもなさそうである。とはいっても信徒の数が減る一方であることに寂しい思いをしているらしい。叔母についていえば、私の家族を含めた間でキリスト教の話をしたことなど一切なかった。当地とはやや離れた県の出身であったがなぜそのキリスト教会の信徒になったのかなど、一切話したことがなかった。もう相当なお歳だが、今からでも機会があれば聞いてみようかと思っている。それにしても私の方からそういう話を聞きたいと思ったこともなかった。

ここでちょっとした結論めいたことを言うと、叔父にとってキリスト教は結婚相手をみつけるためと、結果的に自分の葬式を挙げてもらうことが目的で入信したようなものである。その娘にしても、キリスト教の理念に殉じるというよりも教団やコミュニティへの精神的な依存や団体の持つ利点などが利用できるという意味合いが強いように思われる。

結果的に、以上の文面を書いた後の挿入になってしまったが、つい最近、当の叔母にその話を聞けるような機会があったので聞いてみた。それによれば、彼女は実家は仏教であったが、地元にあった今のグンゼ株式会社の繊維工場に勤めたことがきっかけで入信したということだった。グンゼの創業者が熱心なキリスト教徒であったことが発端である。後で例のごとくウィキペディアを見るとグンゼの歴史が結構詳しい。― ちなみに、ウィキペディアには企業情報が、その歴史を含め結構詳しいのはありがたく重宝している。― 私はこれまでグンゼがそれほどの歴史のある会社であることも、創業者がキリスト教徒で、宗教家といえる一面もあったこともなおさら、知らなかった。こちらの方はこちらの方で興味深いが、それはそれとして、叔母の場合も結局のところキリスト教との関係は叔父の場合と似たり寄ったりというところか。叔父の場合は生前に洗礼を受けなかったのだから教義には懐疑的であったことには間違いがない。叔母の場合は実際に入信して洗礼も受け、家に伝わる仏教を放棄したことになる。またその父親もキリスト教に好感を持ったらしい。その理由は、仏教では戒名その他のランクがお金次第であるのに対してキリスト教では洗礼名を自由に選べるという点で感心していたとのことである。そういうわけで信心に懐疑的であったとは言えないが、とはいえ敬虔な信者であったわけでもない。正統的なプロテスタントの指導者は一般に他の一切の宗教(キリスト教系ではないところの)を容認しないことはもちろん、神秘主義的な傾向の多くをも否定するものである。例えば霊魂、神霊、悪霊、霊界、カルマ、生まれ変わり、といったものを否定するように説教するものである。しかし信徒の多くは内心ではそうではない。彼女もその例にもれずそのようなことには頓着しなかった。実際のところ、これは本場である西欧の一般信徒もそうではないかと思うものである。

次に、親戚関係ではなく友人の例で一つのケースを振り返ってみたい。かつて、私が中国地方のある都市の事業所に勤務していたときで、少し年下の同僚に起きた事例である。あるとき彼が、当時地元で活動を開始したばかりの独立系プロテスタント教会に通いだしたことを私に告げ、私にも入信を勧めるべく布教活動を始めたのである。指導的な活動家や牧師にも紹介され、私としては入信する可能性はほとんど想定していなかったけれども、関心はあったので、教会まで講演会を聞きに行ったり、牧師さんとも何度か話をする機会を持った。興味本位でともいえるが、不真面目な冷やかしというわけでもなく、かなり強い関心を持っていたのである。

紹介されたある熱心な布教活動家の話によれば、その教会は特定の教団に属すのではなく独立系であり、教義としてはカルヴァン派に近いという話であった。それとの関係かどうか、当時東京からやってくる講演者たちの講演内容は、当時は割とよく知られていた言い方でファンダメンタリズム ― 根本主義 ― に近いように思われた。ただし、当の牧師さんやかの活動家の語るところによれば、自分たちの立場はファンダメンタリズムではないと断言していたが、当時アメリカでフィーバーといわれるほど人気を博していた伝道師のビリー・グラハムのファンで支持者でもあり、いま改めて確認してみるとそれは福音派と呼ぶべきものらしい。いずれにしてもプロテスタントの中でもかなり急進的であることは確認できたように思う。ただし当の友人はあまり深くは考えたり議論したりはしないたちで、例えば本人は大学で地質学を専攻していたにも関わらず、かの福音派の主張するような、地球の年齢は6,000年だとする主張にも頓着する様子は見られなかった。このような問題は絶対的な真理は確実に知りえないとしても、議論における誠実さや捏造とかについては見過ごすことはできないというのは私の考え方である。当の教会はどこの教団にも所属していないとは云うものの、当時は東京から当地の教会まで、牧師さんが呼ぶのか、はたまた向こうから派遣されてくるのか、何らかのプロテスタント系布教団体の活動家がよく講演に訪れ、そういう機会に私も招待され、聞きに行くこともあったが、その内容はだいたいそういうアメリカの福音派などで作成された資料や教材をそのまま翻訳したようなものであった。

そういう教材はだいたい科学あるいは科学主義への攻撃という形をとり、事実上の攻撃の対象は進化論とそれにつながる地質学であった。はっきり言ってそれらは地質学に関して相当に悪質な捏造と曲解に満ちた低級な内容で、端的に言って科学以前のいい加減で誠実さを欠く論理に基づくものである。当時からこういうアメリカのファンタメンタリズムとか福音派などの非科学性あるいは反科学性については新聞雑誌などのマスコミでも取り上げられ、批判されることが多かった。

そういう問題には私は興味があったので、図らずも身近なところで、アメリカのそういうキリスト教の動向が、日本にも波及していて、その波が私自身にも及んできたことが実感できた次第であった。というわけでこういったファンダメンタリスムや福音派などの主張だけを元にキリスト教と科学との関係を論じることにはあまり意味がなく危険でもある。それは現実に科学の方法と科学の理念的なものを否定するというよりも、進化論と地質学の具体的な成果を否定することに過ぎず、それは聖書の具体的な記述に合わないという一点が根拠になっているに過ぎない。実際、太陽系の構造とか、物理学理論などについては批判はしていなかったように思われる。

神秘主義との関係でいえば、当の教会の牧師さんに、その点について尋ねたことがある。そのときの牧師さんによれば、そういう、霊魂、神霊や悪霊、霊界や生まれ変わりといったものについては否定も肯定もしないが、神はそういうものについて詮索することを禁じているという話であった。プロテスタント一般についてそう言えるのかどうかは今のところ不勉強でよくわからない。

さて、その友人は最初は妹から教会を紹介されたということだが、結局本人と母親を含めて家族ぐるみで入信したそうで、本人は信徒連の女性から結婚相手を見つけて結婚するに至った。私はその後しばらくして会社を辞め、関東地方に移住したのちもしばらく連絡していたが、私に入信する気がないことが確実になったころから、お互い連絡することもなくなった。

彼自身の言葉によれば、彼が入信に至った理由は心の平安を得るためであり、人間にとって宗教は必要欠くべからざるものであるという信念である。実際のところ、洋の東西を問わず何らかの宗教に入信する動機はこの言葉に尽きるであろう。よく使われる別の表現では、『救済』である。その意味で結婚相手を見つけるためとか、信徒のコミュニティを持つことで孤独から逃れたいといった、いわば実利的ともいえる目的も、つまるところは心の平安を得るための条件の1つであり、その限りでは不純ともいえない。

とはいえ、だれにとっても、心の平安を得るためにはどんな宗教でもよいというわけにはゆかないはずである。教理や教団の活動に対して少しでも不信があれば真の心の平安は得られない、と私は思うが、この辺りから程度の問題や、個人の性格や、人生観の違いが表面化するともいえる。と同時に他方であまたある諸宗教間の共通点と相違点が問題になり、普通はまず多神教と一神教のどちらかに分けられ、キリスト教は一神教に該当するわけだが、上述の私の親戚関係にしても、友人にしても、広い意味で心の平安を得るという目的は、宗教一般について言えることであって、一神教であるか多神教であるかという点にはあまり関係がなかったようである。たまたま彼らにとって日本の既存の宗教、特に仏教ではもうそういう心の平安を得るための条件を満たしてくれず、簡単に言って陳腐化していたのではないかとみられるのである。彼らにとって新来の宗教がそれを満たすものであったといえるが、しかし同じ意味で新来の宗教は明治以来の日本では、他にもたくさんあった。新興宗教とか新宗教とか言われてきたものがそれで、日本では普通神道系と仏教系に分類されているが、キリスト教系で海外由来のものも新興宗教といわれるものがある。例えば、先に述べた友人が所属していた教会の牧師さんによればエホバの証人はキリスト教ではなく新興宗教であると話していた。

以上のような次第で、少なくとも洋の東西を問わず一般信徒の場合にはその宗教が一神教であるか多神教であるかといった問題はあまり意味をなさないように思われる。もちろんそれは個人のレベルを超えて文明の単位や民族の文化にとって重要ではないということにはならないことには留意しなければならないと考える次第である。

以上が、私の身辺の人々をとおしてみた、キリスト教(一神教としての)、科学主義、および神秘主義という三つの理念についての単純素朴な分析である。次には、私自身が受け止めたところの、西欧のキリスト教文明のインパクトについて、反省してみたいと思っている。

2022年9月4日日曜日

ゲーテの神秘主義と人文・社会科学 ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その4

 ゲーテは端的に詩人であり同時に科学者であったといわれ、本人も自らをそのように規定していたといわれる。ここで科学者とはもちろん自然科学者であり、社会科学者ではない。第一当時はまだ社会科学とか人文科学というような概念が確立していたとは考えられないが、科学者としてのゲーテの業績はすべて自然科学に分類されるものである。もっとも、自然科学の著作とされる色彩論などには当時の科学研究への批判や言語の問題なども多く、評論的な部分はむしろ人文科学的である。私はかつて岩波文庫版の「色彩論」を読んだことがあるが、この本に収録されていたのは色彩論とされる著作の一部分で、そこに含まれていたのはむしろ、そういう近代科学の一傾向に対する批判に該当する内容が多く、特に科学における言葉の用い方に対する考察と批判が多くみられ、それはむしろ言語論といってもよいような印象を受けた。とはいっても、ゲーテのそういう著作が自然科学とされていることは確かである。ただし、当時に自然科学という表現があったのかどうかは知らない。自然科学という言葉は社会科学と対になった言葉であるから、少なくとも当時はまだあまり一般的ではなかったのではないかと思われる。

詩と科学がゲーテの創作分野といえるとすれば、前回記事で取り上げた占星術や錬金術は創作分野とは言えないが、研究分野であるとはいえる。この占星術と錬金術は、今では天文学と化学の前史のような扱われ方をされることが多いが、ゲーテにとってはそうではなかったことがわかる。特に占星術の方は一般的に言っても、今でも天文学とは独立して連綿として引き継がれていることは否定できない。

占星術は神秘主義的ではあるが、取り扱う素材や内容は、個人または国家や社会あるいは人類の歴史と未来に関わることであって社会科学や人文科学で取り扱われる諸々であるといえる。一般に占いは統計学であると言われることがよくあり、確かにそういう一面はある。しかし占星術の場合はそのような社会・人文的な諸々を天体とその動きと関連付けることに特徴がある。こういうことは社会科学ではありえないことであり、占星術が神秘主義である所以であるだろう。

占いに関連して言えば、ゲーテは有名な観相学者と付き合いがあり、観相学にも興味を持ったことがわかる。もちろんこれは当時の一般社会の傾向でもある筈である。観相学とは人相学であり、一言でいえば、身体の外見と人の精神性との関係性であり、この場合の身体は医学や生理学とは異なり、身体そのものではなく、身体の表情といえる。この点はまた非常に興味深い問題につながるが、当面はまあ保留である。

一方の錬金術の場合、これは後にゲーテの影響を強く受けたユングがここに心理学との関係を見出して「心理学と錬金術」を著したことにみられるように、現代の心理学と関係付けられるとすれば、内容的に人文科学的要素を持つことになる。

錬金術が現代の心理学や脳科学と異なる点は、錬金術においては物質と精神が関連付けられていたことであり、ここでの物質は人間や生物の身体ではなく無機物であり、元素でもある。実は私はユングのこの本をその日本語訳が出版されたときに購入して、一応は通読した記憶がある。こうなると、ここでこの件で考察を掘り下げるとすればこの本を再読しなければならなくなりそうなので、この件は言及するだけにとどめておかざるを得ない。

以上をまとめると、近代科学が切り捨てたように見える学問あるいは知的な営みは、実質的に途絶えたわけでもなく、何らかの形を変えて、あるいは変えずに受け継がれ続けていることがわかり、ゲーテにおいて特に顕著にそれらを総合的に掘り下げた考察が行われたということかもしれない。

ここまでの議論は前回の書き出しのとおり、ヨーロッパのキリスト教文明の歴史における話であって、当然それ以前からヨーロッパ文明は存在しており、またヨーロッパ文明自体、その他の文明と隔絶していたわけでもないことはもちろんである。

2022年8月20日土曜日

政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その3 ―キリスト教文明史における ゲーテの思想

 近代科学はキリスト教文明の下でのみ成立可能であったとは比較的よく聞く言説である。その根拠についてはどうであれ、事実としてそうであったことは一般人の目から見ても確かである。科学一般は古代ギリシャ文明にもあったし、古代中国文明にも古代インド文明にもあったといわれるし、日本を含めて他にもなかったとは言えない。それゆえここでは科学一般ではなく近代科学が問題であることがわかる。近代科学を科学一般と区別するものは、非常に難しい問題ではあるけれども、一言で言って、後付けで考えた結果としても、表現形式と方法論的な自覚とでもいえるものだと思う。その意味で、事実として近代科学が西欧のキリスト教文明圏で成立したことは一般常識でもある。

このキリスト教文明と近代科学の母体が西欧文明そのものであることは即いえる。しかし西欧文明にそれら以外の思想的な流れがなかったと言えないことはもちろんである。その意味でゲーテに注目することには意義があるように思われる。というのも、ゲーテはキリスト教文明の中で近代科学が成立し始めたころに活躍したけれども、キリスト教にも近代科学にも深い関心を持ちながらも、どちらにも距離をおいて批判的な目を持っていたからである。とはいえゲーテは自らを科学者と考えていたという人もいる。少なくとも当時の本流ともいえる近代精密科学の発展方向に対しては批判的で危惧をさえ抱いていたことはいくつもの著作から明らかである。端的に言えば、キリスト教思想と近代科学思想を含む一つの流れとは別の流れの中に身を置いていた、といえるように思われる。

私の一般人としての感性でというか見方で、ゲーテの思想を1つの系譜の中にみるなら、それは神秘主義の系譜に属すといえるのではないかと思う。私はゲーテに詳しいわけでは全くないし、関わりのある諸々について専門的な研究者としての知識はないが、大雑把な一般読者、一般教養レベルでもその程度の考察はできるのではないかと思っている。私が最初に読んだゲーテのまとまった作品は、遅い学生時代に読んだウィルヘルム・マイスターの徒弟時代と遍歴時代であるが、このどちらかを一読するだけでもゲーテを神秘主義者であると想定することは可能である。その後相当の期間が過ぎ、つい最近になって、一昨年から読み始めた『詩と真実』を読了した。この書でゲーテは第一章の書き出しから自らの誕生を占星術における星位から書き始めているのをみて私は少々驚いた。このとき私はもちろん神秘主義一般に興味はあったが、占星術のことはあまり考える機会はなかったからである。しかし、ゲーテが神秘主義者であることを思えば自然なことともいえる。

 『詩と真実』によれば、ゲーテは若いころ母親とその女友達の女性たちと共に、神秘主義とされる著作群の研究を続けていたり、錬金術や化学の研究も行っていたことが書かれている。ちょうどそのころ、重い病気に罹って死ぬかと思われるほど重篤になったとき、ある医者が持っていた「万能の霊薬」なるものによって救われたことが書かれている。そしてそれが塩類であって、アルカリ性の味がしたとも書いている。このようにゲーテは当時の医学にも化学にも通じ、学者たちと交流し、地質学や生物学への貢献も行っている。

このようにゲーテは科学の諸分野において積極的な研究を行っていると同時に、このときすでに100年以上も前に偉大な天文学者達が完全に切り捨てた占星術や 当時すでに化学に移行していたところの以前の錬金術も並行して研究し、同時に神秘思想の研究も行っていた。ゲーテの作品や業績に詳しい人であればもっといろいろな面を指摘できると思われるが、このようにゲーテはキリスト教文化の中で独自に近代科学が確立して発達を続ける中で何かキリスト教文化とは別の系譜というか脈絡の中で、キリスト教については横からというか、むしろ客観的に眺めて関心を持ちながら諸々の科学研究も行い、神秘思想の研究も行っていた。そういうゲーテの思想を1つの主義として代表させるなら、それは神秘主義というほかはないと思うのである。

一つのまとめとして次のような表現が可能であると思われる。

キリスト教文明の中で近代科学が確立し、その近代科学のみが独立して世界に広まり拡大し続けてきたが、全体としての科学はその近代科学的部分のみで成り立っているわけではない。西欧文明の中に限っても、キリスト教文明の外側に、少なくともその一部として神秘主義の伝統があり、あるいは神秘主義を含む伝統があり、全体としての科学の何らかの構成要素を占めている。現在に至るまではその近代科学的な特徴のみが注目され、拡大され続けてきたともいえるのではないか。

今回はここまでを一つの区切りとしておきたい。


2022年7月20日水曜日

政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その2

 ― 前回に続けて―

ここでもう一度、改めて科学主義と、科学を尊重すること、について考えてみたい。例えば、ニュートン力学は現在、絶対的な真理とはみなされていないが、少なくとも日常レベルでは絶対的な権威があるといえる。それは現実的な日常レベルではそれに代わる理論がないからである。つまりニュートン力学が成立するまでそれに相当するものはなかったし、工学的にも有効で生産活動に寄与することにもなったからである。一方、CO2温暖化説はどうだろうか?これは言うまでもなく地球の平均気温上昇の主要原因をCO2を始めとする温室効果ガスの増加に求めるという理論であるが、こちらの方はニュートン力学とは違い、他にもいろいろ説明理論がある。歴史的に、あるいは事実上の地球温暖化自体がすでに終わっている可能性があるが、温暖化のメカニズム自体にいろいろな要因が想定できる。その主要原因として太陽活動主因説こそが、CO2主因説に対立する重要な理論である。であるからこの場合、無条件に一方の学説を妄信することは、科学を尊重することとは言えない。ただしCO2主因説も科学的な形式と方法論をとっているとは言える。ここでこれ以上この問題を掘り下げる暇はないが、少なくとも現在の太陽活動主因説は、現在のCO2主因説に比べて遥かに包括的(CO2温室効果をも含めて)な考察に基づいた優れた理論であって、より真実に近いと考えられるのである。少なくとも現在のCO2主因説はこの比較を厳密に行っていないし、高度な太陽活動主因説では重要な役割を担っている化学熱力学の関与についても無知であるか、無視している。両者の優劣を考えた場合、CO2主因説は他方に比べて格段に劣っているのである。

以上の点で、共産主義思想と制度あるいはその体現者たちはいずれも、科学主義的であるとはいえるが、科学を尊重しているとも重視しているとも考えられない。これはもちろん現実の政治や共産主義以外の政治理念の体現者の大半にとっても言えることではある。ただし共産主義は理念として科学的であること、さらに言えば科学を尊重することを建前としているので、この点では他の政治思想や党派より深刻に受け止める必要があると思うのである。一言でいえば現在の共産主義は科学主義的ではあるが、科学の運用においても科学的真理の追究においてもご都合主義的であると言わざるを得ない。このご都合主義は科学以外のもの、端的に言って宗教に対しても適用されうる。中国共産党は宗教弾圧を行ってきたことで有名だが、日本共産党の場合は明確にあらゆる宗教を否定するわけではなく、一部の宗教に対してはむしろ融和的であるともいえる。キリスト教徒で日本共産党を支持する人たちも多いように思われる。では、現実の共産党やそういう組織・団体はどういう宗教を敵視しているのだろうか。これは、一言で言って共産主義を敵視し攻撃する宗教を敵視しているということになろう。というのは、宗教の側でも反共を趣旨とする宗教とそうでもない宗教があることが反映している。

だいたい伝統的な宗教はすべて唯物主義を否定し、共産主義をも否定することに例外はないように思われるが、特に反共を前面に掲げて活動するようなことは大半の宗教団体はあまりないように思われる。ただし、排他的と言われる宗教、つまり他の宗教や宗派に非寛容で全否定するような宗教や宗派は共産主義に対しても当然非寛容になる。この種の宗教や宗派は一神教か多神教かという分け方では、一神教である、ということになる。

ということで、一般に政治思想と宗教との関係で対立関係を生じるのは、宗教側についていえば、一神教的な宗教である場合が多いということはできそうである。これは一つの結論であるとともに、以後の考察において一つの前提事項として、重要な考えであろう。少なくとも理念的にはそう言える。

2022年7月3日日曜日

政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その1

 かつて、というか私の若いころの話だが、「反共」、あるいは「反共主義」という言葉の意味するところはそれだけで印象が悪い内容であったように思う。少なくとも私にとって印象の悪い言葉であった。もちろんそれには当時の社会一般の常識的な印象を反映していたはずである。共産主義そのものに同調する人は多くはないものの、日本共産党は安定して勢力を伸ばし続け、極端な反共主義者は共産主義者以上に嫌われるような風潮があったように思う。私の場合、そんな深くも強力にでもないが外面的な共産主義の影響を受け、少なくともあこがれる程度までは影響を受けていたとはいえる。

ソ連崩壊後はソ連や東欧諸国で実際に効力を持っていた共産主義や依然として共産主義国家であった中国の共産党も含めて共産主義や共産主義政党に対する反感は増大し、理念としての共産主義の権威性も大幅に低下した印象がある。しかしだからと言って、反共や反共主義に対する印象が向上したとか、悪い印象がなくなったかといえばそうでもない。むしろ反共や反共主義という概念自体が希薄になって、この言葉が使われることも少なくなってきたのではないかと思われる。

共産主義体制や理念としての共産主義も事実上破綻したにもかかわらず、反共産主義が盛り返すようには見えないのはなぜなのか?私は、それは宗教と科学主義の問題が絡んでいるように思われる。というのは、共産主義は一応、少なくとも形式的には反宗教であり、逆方向から言えば多くの宗教は反共産主義であった。つまり共産主義は唯物主義であり、科学主義であることが建前であったということである。

言い換えると、理念としての共産主義は科学主義であるという点で、今でも一部の知識人、常識人の心をとらえ続けていると思うのである。反共主義は反科学主義であり、宗教的である場合が多いという点で、一部の知識人や一般人にもに忌避される傾向は今でも持続しているといえる。

要するに、共産主義と反共産主義との対立関係が科学主義と宗教との対立を含意しているともいえようか?もっと単純に言い切ってしまえば、科学主義と宗教との対立関係を置き換えているともいえるのである。そこで科学主義と宗教との対立関係を分析する必要が生じるのであるが、これはまあ難しい問題である。

なによりも、その前に、現実の共産主義団体や反共主義団体が、各々それらの理念を体現しているかどうかはまた別の問題としてあることである。こういう問題は理念だけを取り出して考察することはまず不可能だから厄介なのである。

一方現実の科学上の諸問題で科学を尊重することと科学主義とはまた別物であることも考慮しなければならない。例えば、端的に言えば特にCO2温暖化説において日本共産党を含めて共産主義的勢力の科学無視、あるいは科学的ないい加減さについては、今はもうあきれるばかりである。一般的に言えば形式的に科学的な表現を使用するだけに過ぎない場合や一部の科学者の所説を盲目的に支持するに過ぎないことが多いのである。いわば科学は内容よりもむしろ形式と方法であって、この形式と方法でカバーできる内容というのは限られているともいえるし、適した対象もあれば不適切な対象もあり、人間の知的活動の分野としては極めて限定的なものであることが次第に明らかになってきたのが現在ではないかと思う。その点で、いまや政治思想の拠り所を科学に求めたり、逆に科学の拠り所を政治思想に求めたりすることは、時代遅れになりつつあるのではないかと思うのである。

公開日2022年7月3日

修正および加筆2022年7月6日