2019年4月22日月曜日

科学、科学主義、唯物主義、個人主義、および民主主義をキーワードとして日本の戦前・戦中・戦後問題を考えてみる(その1)

注記: 今回のテーマは、昨日ひと通り読み終えた本『祖父たちの昭和―化血研創設期の事ども―(田原和橆著)』の一節に触発されて着想を得ました。この著作は先般、私の別のブログ『矢車SITE』で言及したとおり、昨年に友人である著者から贈られたものです。当該作品についての全体的または部分的な感想や紹介についてはまた別の機会に別のブログかまたは本ブログで取り上げてゆきたいと思っています。この記事はあくまで上記著作の一節のみに触発された私自身の問題意識で書き始めました。


 まず当該書籍の引用から:「戦後生まれの私にとって、第三日記に見られる最も際立った特徴は、やはり、戦時中と終戦後の極短期間で祖父豊一が示している心象の大きな変化、一種の『変節』である。― 中略 ― もっとも、終戦直後における手のひらを返したような変節は、日本国民の間でよく見られたようで、昨日まで軍国主義者だった中学の先生が、終戦を境にアメリカ贔屓に豹変したという類の逸話も珍しくない。また、そのような変節は、GHQの操作により促された節もある。」

上記引用のような複雑な戦後日本の状況は、著者や私のような団塊世代の人間にとっても自然に環境から伝わってきたように思えるが、私個人的には祖父に関する知識は一切なく、父親も戦争以外の原因で亡くなっていたため、著者の祖父に相当するような公人的立場の知識人はもちろん、何らかの記録を残すような人物には身近に恵まれず、この点で当事者的な感覚からは比較的遠かったと言える。しかし、今回のように友人の祖父の日記という形でこの間の経緯を具体的に目にしてみると(日記の文章は長くなるので上記の引用では省略)、これまでに比べてより当事者体験に近いものが感じられたように思う。

かかる「変節」のメカニズム、正当性、または非正当性を考察するのにまず自分自身の心情から類推してみると、端的に言って、戦時中と終戦の過程においてアメリが日本と日本人に対していかにひどい仕打ちを行ったとしても、アメリカがもたらした終戦後の社会環境はそれ以前の社会に比べて少なくとも一面でそれまでになかった居心地の良さと開放感をもたらしたことは紛れもない事実ではなかったかと思われる。その根拠となる思想を一言で言い表すとすれば個人主義という表現以外には考えられない。

個人主義と民主主義との関係性については多様な論理付けが可能だろうが、まず直観的に、民主主義的制度の根拠が個人主義に求められることは明らかだろう。結果から言えば、アメリカから押し付けられた民主主義的制度と不可分に伴う個人主義的な諸々の社会制度の変化が、殆どの国民にとって居心地の良さと開放感をもたらすものであって、これはいわゆる知識層と一般庶民に共有されていたもののように思われる。この個人主義の先進国であるアメリカへの憧れが科学技術の面での先進性とあいまって、戦勝国への反感を凌駕するものだったのだろう。


個人主義の根拠についても多様な論理があるだろうが、まず直観的に科学、科学主義、唯物主義、物質主義、といった思想、思潮、風潮との密接なつながりは眼に見えて明らかではないだろうか。人間、ヒト、家族、国民、人類、といった単位の中で物理的に、視覚的に、そして触覚的に明らかに区別できる単位は個人だけである一方、各人が意識的に自覚できる単位も、それぞれの個人以外にはありえない。

この科学、科学主義、唯物主義、物質主義が現今、再考、再吟味、あるいは反省と批判の対象になりつつあり、一方でますます増長する科学主義との対比が明瞭になりつつあるように思われる。