2019年5月25日土曜日

象徴的なものと言葉たち ―(1)血の象徴性―その1

このシリーズのはじめに
今回のシリーズはシリーズのタイトルに該当する内容を毎回、各回の連続性や関連性などをあまり考慮することなく思い付きのまま書き連ねるというものになりそうです。

血統、血族、血縁など

大抵の言葉は他の言葉から派生したものなので人が日常的に言葉の由来を考える暇などないし、血統という言葉もこれが血という言葉に由来することは明白だとはいえ、人はもはや血統という言葉から流れる赤い血液そのものをイメージするということは殆どなく、血統という概念自体も割と明確に規定されているように思われます。それはそれで何の問題もないとは思うのですが、一方でなぜ、血が血統や血縁など、親族関係を象徴することになったのかを考えることにも意義があるように思います。最近私はなぜか、このことが気になり始めました。

英語にも blood line という血統に相当する言葉があるので、血統は blood line の訳語としてできた可能性も考えられ、ありあわせの辞書で調べてみましたが、そういう記述は見つかりません。そこで古語辞典(岩波古語辞典、1974年)を調べてみると、確かに血統という言葉も血縁という言葉、血族という言葉も見つかりません。ただし血脈という言葉がありました。本来は血管を意味するようですが、象徴的には仏教の用語になっているようです。引用すると「仏の教えを師から弟子へと代々うけ伝えること。法統。」とあります。これは生物学的な血統であるよりもむしろ精神的な系譜という意味になりますね。やはり、「血統」は英語か西欧語由来のように思われます。ちなみに「血族」や「血縁」を和英で調べてみると blood relative とか blood tie など、ちゃんと対応語が見つかるので、英語に由来すると見た方が自然に思われます。しかし、それにしては翻訳語とは思えない自然さが感じられるように思われます。もっとも明治以後にできた英語からの翻訳語はあまりにも数多いので、目立たないことも確かです。

そこで気になるのが英語でこれらの言葉が成立したのはいつ頃なのかという問題です。(以下継続予定)

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