2014年4月9日水曜日

E・マッハ著、野家啓一編訳 『時間と空間』 を読んで

この書は、編訳者がマッハの二つの著書から時間と空間を主題にした論文六篇を選んで一書に編んだものとのことである。次の六篇からなっている。Ⅰ計測的空間に対する生理学的空間、Ⅱ幾何学の心理学と幾何学の自然発達、Ⅲ自然研究の立場から見た空間と幾何学、Ⅳ計測的時間に対する生理学的時間、Ⅴ時間と空間―物理学的考察、Ⅵ時間・空間に関する一考察。

当初の個人的な目当てはⅠの『計測的空間に対する生理学的空間』を読む必要を感じたからだったが、事実上、六編の論文すべてがこのテーマに発する問題を扱っていると言える。Ⅰでは、幾何学的な空間は生理学的な空間から由来していることを示し、さらにそれが生理学的な空間とははっきりと異なり、区別されるべき空間であることが強調されている。ⅡとⅢは、いずれも生理学的な起源と物理学的な認識との絡みで幾何学が発展する過程を追ったものと言えるかもしれない。Ⅱではユークリッド幾何学の範囲であるけれども、生理学的空間の異方性とは異なる幾何学空間の等質性ないし等方性がそのまま位置と運動の相対性でもあることが示されている。

Ⅱの方はさらに多様体とか非ユークリッド空間に及び、平行線公準の証明といった問題やガウス曲率といった高度な問題が論じられるので、当方にとってすべて数式を追いながら理解して読むのは当然、無理である。もちろん理解は無理であるが、それでも非ユークリッド空間やこれまで言葉だけでしか知らなかった多様体について、この本を読む前に比べて多少の親しみが持てるようになったような気がする。そんな気にさせるのはさすがにマッハが優れた研究者、学者で、説得力のある本質的な内容を述べているからであろうと思わせる。

マッハの科学思想といえばアインシュタインの相対性理論とのつながりが有名で、確かにこれらの論文を読むと、特殊相対性理論も一般相対性理論についても良く理解していない当方であっても、そのことが改めて納得されるのであるが、同時に、空間の相対性というもの、つまり位置と長さ、運動などの相対性が事実上は空間の等方性と同じことであって、この相対性はもっと卑近な、日常的な物理現象の理解にも深く関わっていることに気付かされるのである。つまり空間の相対性は相対性理論のみではなく物理学一般の基礎でもあるということ、当面の個人的な課題では、幾何光学の空間も相対的な物理学的空間、すなわち幾何学的空間であるということである。マッハ自身がそういう問題を論じていないとすればそれはそういう卑近な応用問題ではなく理論的な問題自体をさらに一般的で高度な幾何学に対応させて展開することや、逆に認識論への沈潜を考えていたためであろうと思われる。

上述の例として一か所を抜き書きしてみよう。
「手を使うのであれ、人工的な物差しを使うのであれ、物体相互の比較を〔を始める〕と同時に、われわれはすでに物理学の領域に足を踏み入れているのである。物理学的規定はすべて相対的である。」(『自然研究の立場から見た空間と幾何学』)。

この書物の持つ最大の意義は、物理学と認識論とが不可分の関係にあることを改めて認識させられることにあるように思われる。

ちなみに、この本を小さな区立の図書館で借りた際、自然科学の書架を探して見つからなかった。同じ出版社の「叢書・ウニベルシタス」に含まれる他の書籍が並んでいた中にこの本だけがなかったので、係の人に探してもらったところ、哲学の書架に置かれていたのだった。まあこの本が哲学に分類されるのは順当だと思われるが、それに気付かなかった一つの理由は、図書分類では哲学と自然科学が対極と言えるほど離れていることで、当然書架も反対側といえるほど離れているのも一つの問題と言える。日本ではあまり一般的ではないようだが、書架を円形というか円環状に並べる方法はこの点で非常に有利ではないかと思う。

それにしてもこの本は図書館にしても書店にしても科学の欄に分類されていればもっと広範な読者に読まれていたのではないかという気もする。マッハ自身が生理学者でもあり心理学者でもあったのだから、心理学や認知科学の書籍として扱われたとしても不自然ではないといえる。いずれにせよ、多方面の分野の科学者や学生に読まれるべき名著ではないだろうか。

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