2017年4月18日火曜日

鏡像の意味論その17 ― 常に像、光、および物体、三者の存在を想定しなければならないこと

【今回のキーポイントまたは結論】
  • 鏡映反転を含め鏡像の問題はすべて立体像すなわち三次元の像を基本として考察しなければならない
先回には像、光、および物体、三者間の区別の重要性について考えてみましたが、今回は鏡像の問題を考える際には必ずこの三者(三種類)の存在(存在形態)を想定しなければならないことを強調したいと思います。

例えば文字の場合、文字が物質性を持たない平面であること、さらに抽象的な記号としての形状であること、この二重の意味で物質性を持つ物体からは切り離して検討することできます。しかし、そもそも現実の鏡面で生じる鏡映反転という現象は、物質性を持つ物体を欠いては絶対に生じない現象なのです。

【光】
光は照明により物体から乱反射を介する場合と発光体がそのまま鏡に映る場合とがありますが、何れも光の存在が不可欠であることは自明のことでしょう。

【物体】
鏡については、これも物体ですが、この際一応鏡面という抽象的な機能が問題になっているので必ずしも物体としての鏡を想定する必要はないかもしれません。しかし、鏡面で反射する光の光源としての物体は、絶対に想定しなくてはいけません。そうして物体は常に三次元の存在であることも忘れられてはならないことです。

【像】
鏡像の問題なのだから像の存在が前提であることもまた自明であるといえます。ここで重要なことは、像は抽象的な形状つまり幾何学的な形状そのものではないことです。幾何学的な形状は像の属性と考えることができますが、像そのものは全体としても部分的にも何らかの意味を持つので、単に幾何学的な形状ではないということです。また像の存在は常に観察者の存在をも想定していることになります。

以上から、一つの帰結として、鏡像の問題は常に三次元の立体でなければならない物体の存在を前提として考察する必要があることがわかります。

何度も繰り返し取り上げて申し訳ないのですが、高野先生の「表象反転」は、抽象的な記号としての文字だけを他の場合と完全に切り離して全く異なった原理、つまり他のケースと共通する原理を含めずに説明している点でも、今回の要請からも容認できないものです。記号としての文字であっても鏡映が実現するには何らかの物体表面に書かれていなければなりません。どんなに薄い紙であっても、透明フィルムに書かれていようとも、質量を持つ物体なしに鏡像は成立しえないわけですから。

もちろん、抽象的な記号としての文字の鏡映反転を考察することは可能であるとしても、一つの付加的な条件として、すべての鏡映反転に共通する条件への付加的な条件として考察すべきものです。
(2017年4月18~20日 田中潤一)

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