2025年10月17日金曜日

鏡像問題と哲学あるいは認識論 ― そのⅠ プラトンの着眼点

 本ブログで一時期、『鏡像の意味論』というシリーズタイトルで扱っていた鏡像問題はその後、現在まで私の別のブログ『発見の発見』にて更新を続けてきました。そちらのブログではすでにお知らせしましたが、この問題で筆者はこのたび新著をアマゾンのKDPにより出版しました。http://yakuruma.blog.fc2.com/blog-entry-490.html (アマゾンの販売サイト https://kdp.amazon.co.jp/amazon-dp-action/jp/dualbookshelf.marketplacelink/B0FSPLD5M1


この本のタイトルは『鏡映反転現象における 純粋な物理過程と認知過程』で、「鏡像問題の分析と解決そのⅡ」という副題が付けられているように、『鏡像問題の分析と解決』の続編になります。「そのⅠ」の方はタイトルが『視覚的認知過程における 等方空間と異方空間』で昨年、同様にアマゾンのKDPで出版したものですが、こちらは英吾版もあり、英語版はすでにLambert Academic Publishingから発行されていた『Resolution of Mirror Problem』の、事実上の日本語版に相当します。

「そのⅠ」の方は最初、Philsci Archiveにプレプリントとして公開した論文『Concept of the Isotropic Space and Anisotropic Space as principal Methodology to Investigate the Visual Recognition』が元になっており、今回の「そのⅡ」は、今般、オープンアクセスジャーナルから出版された『Tanaka., J. (2025). Purely physical processes of mirror reversal and its application to vision research. Nov Joun of Appl Sci Res,2(3), 01-11.』を指します。この論文は、最初Jxivに登録し、さらにOptica Openに登録したプレプリント版の最終改訂版に相当します。


上記二つの論文、個人的に第一論文、第二論文と称していますが、何れにおいても哲学者E・マッハとE・カッシーラーによって定義された等方性空間と異方性空間の相違という概念が考察の基調となっており、今回の新著で追加した「論文の解説と補足」では知覚研究一般における物理過程と認知過程の関係について考察し、特に認識論的カテゴリーの重要性について述べています。

鏡像問題において哲学的問題が相当に深く関わっているらしいことは、従来からよく指摘されていたことですが、それは全くその通りであることは私のこれまでの研究でも明らかにされてきたものと考えています。これは単に、よく言われるように、哲学者であるプラトンが考えたけれども回答を与えていないとか、同様に哲学者であるカントが考えた事柄と関係があるから、というような問題ではなく、鏡映反転のメカニズムの説明には哲学的な説明を要するという、さらに踏み込んだ意味で哲学的問題と言うべきだと思います。そう考えるとこの場合の哲学は、具体的に認識論ということになるのでしょう。その点を踏まえ、本稿ではあらためて哲学、特に認識論の視点でこの問題を振り返ってみたいと思います。冒頭でも述べたように、当初は本ブログで扱っていた鏡像問題関連は別ブログ『発見の発見』に移動させましたが、そちらのブログは科学的問題に関する関心が主体となっています。本ブログはどちらかというと ― 私自身は哲学に関して、素人としても、いまだ老年の初心者ではありますが ― 哲学に傾いた考察を行っていますので、今回のテーマは本ブログ『意味の周辺』で採り上げることにしました。


高野陽太郎東京大学名誉教授の著書『鏡映反転』は「紀元前からの難問を解く」という副題が与えられ、その前文で、「いまから2000年以上も前、紀元前四世紀に、哲学者のプラトンがすでにこの問題を論じている。」と書かれています。また吉村浩一法政大学名誉教授による著作『鏡の中の左利き』に寄せられた多幡達夫大阪府立大学名誉教授のコメントには次の記述があります。「グレゴリー(1997/2001)によれば、『鏡像ではなぜ左右が逆になるのか』という問題は、プラトン(427~347BC)の『ティマイオス』中ですでに論じられているそうである。」とあります。しかし、それらの記事には具体的にプラトンが鏡像の問題をどのように論じているのかについては全く記述がないのです。当初は私もそれについて、ただ2000年以上も前から知られていた問題であるという事実というだけの話で聞き流していたようなものですが、ごく最近になって改めてプラトンが実際どのように論じていたのかが気になってきました。

そんな今年の夏、近隣の町にある市立図書館で偶然、文庫本『ティマイオス』を見かけたのを契機としてティマイオスを読んでみようかと思ったのですが、その時は図書館内で読むことも借りることもなく、数日後に改めてその図書館に行くと、もうそのティマイオスはありません、その後、通常の貸出期間が十分に過ぎてからでも、別の町の図書館にいっても、見つからなかったことから、このティマイオスはプラトンの著作の中でも、人気のある本なのだな、と気づきました。そしてその人気がある理由の一つは多分、この本こそ、かの有名なアトランティス大陸伝説の発祥元であるからという事でしょうか。そこでどうせならいつでも読めるようにと自分で購入して、とりあえず関係のある箇所を探して読んでみることにしたのです。

購入した翻訳書は昨年、2024年に講談社学術文庫から発行されたばかりで、それもこの本が図書館で人気が出ているらしい理由の一つなのでしょう。翻訳者である土屋睦廣氏の解説に次のような記述があります。「『パイドン』などで自然学をあれほど厳しく批判していたプラトンが、物体の成り立ちから初めて、さまざまな自然物や人体の構造を嬉々として(私にはそう思えた)論じていることに衝撃を受けた」。ということは、これはプラトンの著作としても哲学というより、自然学に該当するという事でしょうか。読み始めてみると、普通の哲学書とは多少違った意味での難しさ、とっつきにくさがあります。一言で云うと、ティマイオスが語るのは一つの世界創世神話であって、神話的表現につきものの解釈の難しさがあるからです。というわけで、短編ではありますが今すぐこの本を読破する余裕もないので、鏡像問題に関係すると思われる箇所だけを、とりあえず読んでみました。

当該箇所は7ページ程度から成る第16節に含まれますが、この節は全体を神による宇宙創造過程とするなら、人体と人体機能の創造過程に相当すると言えそうです。この部分も全体として神話的象徴的な表現で解釈は容易ではないので、理解できる部分についてだけでの検討になりますが、まず興味深い記述として次のような記述があります。

「神々は後ろより前のほうが尊重されるべきで、支配するにふさわしいと考えたので、私たちの進行の大部分をその方向に定めました。そこで、人間は前方が後方とは区別され、異なっていなければなりませんでした。それゆえ、神々はまず、頭という容器にはそちらの方に顔を取り付け、魂がすべての先々の配慮ができるようにと、そこに諸々の器官を据え付けて、指導の任にあたるのはこの本性上の前であると指定しました。」― この箇所は前後という方向概念の起源であり、その意味で興味深く思われます。次に、
 「神々は器官のなかでも光をもたらす眼を最初に作り上げて据え付けましたが、それは以下のような原因によってでした。」で始まるところから眼の創造のプロセスに対応してその構造と機能の説明が続き、この説明に続いて鏡が映像を作る作用の説明にいたり、その中でいわゆる左右の鏡映反転のメカニズムも説明されています。そのメカニズムの説明原理はやはり神話的というか、今日の我々が持つ概念で納得できるものではありませんが、ただ重要なことは眼の機能と視覚メカニズムとの関係で説明されていることははっきりとわかります。

このように、眼の構造と機能との関係で左右の鏡映反転が説明するという発想は、その点に関する限り、私の前回および今回の第一論文と第二論文における説明根拠と同じでなのです。他方、その発想は、私がこれまでに鏡像問題で参照したどの先行論文でも見られなかったことです。これは実に興味深い問題性を提供してくれます。

ウィキペディアの幾つかの項目を参照したところでは、幾何光学は古代ギリシャ時代にはある程度確立されていたそうですが、それはプラトンの時代以降のようです。ただし、眼の機能に関してはプラトンの考え方が幾何光学の成立に影響を与えたとの見方もあるようです。いずれにせよ、幾何光学的説明として、プラトンによる眼のメカニズムの説明に現代人から見てわけの分からないところがあるのは、当然の事でしょう。

それにしても、プラトンが眼の構造と機能との関係で鏡映反転を説明しているのに対して近現代の専門科学者たちがその点を見逃していたという事実には、相当深刻に考えさせられるものがあります。それは一方でプラトンの慧眼によるものという事もできますが、他方では、近現代科学の方法論的慣習に、何か研究者の目を曇らせるような問題性が潜んでいるのではないかという気がするのです。

その問題性の少なくとも一つは、幾何学と数学への過度の依存ということにあるのではないかと思うのです。鏡像問題の場合は対掌体や鏡面対称性の幾何学的な性質と、座標系における数学的な記述や処理といった手法に、短絡的に依存するという傾向が伺えます。挙句の果てに、幾何学的なモデルに過ぎない鏡面対称性を成す虚像と実物の対を、実在する物体の対とを同等に扱うという錯誤に行き着いてしまうことにもなります。

私が第二論文をある科学ジャーナル(Optics Continuum)に提出した際、一人の査読者の拒絶理由に、科学に認識論を持ち込んではいけないということ、そして数学的モデルができていない事が挙げられていました。これはまさに上述の問題性を裏書きしている事になるのではないかと思います。ただし、当のジャーナルの編集長 ― 女性でしたが ― は私の論文に好意的であったように見受けられました。この種のジャーナルでは編集長の意向は必ずしも最終的な判断にはつながらない様に見受けられました。




2023年6月20日火曜日

別ブログへの関連記事更新のお知らせ。

 筆者の別ブログに本ブログに連載中シリーズ記事に関連する記事を掲載したのでお知らせします。タイトルは『柄谷行人著『反文学論』の一読に思う』https://yaguruma.hatenablog.jp/entry/2023/06/18/204451

です。この記事は本ブログに掲載しても良いテーマで、内容的にも連載中記事と多少は関係あるのですが、現在連載中の記事を中断しないため、筆者の別ブログ『矢車SITE』に掲載した次第です。

2023年5月1日月曜日

神秘からの逃走先としての科学と科学からの逃走先としての芸術 その1、科学と憧れ ― 政治思想と宗教と科学、宗教と神秘主義と科学(共産主義、反共主義と宗教、神秘主義)― その7

科学と憧れ ― 憧れとは何者だろうか

 少年期から青年期初期にかけて、私にとって自然科学は最高の憧れの対象であった。しかし ― 数年間の就職期間と浪人期間を経た後であったが ― 自然科学を専攻する目的で大学入学した時点では、一面においてではあるが、すでに自然科学に幻滅を抱いていた。それでも自然科学を専攻した理由は、名目的には就職の適性を考えてのことであったが、当初の憧れがまだ惰性を持っていたという面もある一方で、自然科学とはいったい何なのだろうかという、いわば科学の本質について少しでも極めたいという、野心めいた気持ちもあったのである。もちろん、そういう目的が就職につながる筈もなかったが、憧れの対象の方向はそちらの方に屈折していった趣がある。

そういう間にも、いつも考えていたことは、そもそも憧れとは何であろうか?ということ。また幻滅についても、なぜ幻滅を感じるようになったのか?ということである。憧れについて言えば、憧れの対象は何であれ、何かに憧れる気持ちというものは、人により程度の違いはあろうけれども、何か止むに已まれぬ欲望のような処がある。もちろん小学校低学年程度の子供時代にそれが憧れであるというような意識は持つわけもないが、その後の科学への思いは確かに憧れという言葉でしか表現できないものであった。憧れとは、何か心を満たすものを求めるという意味で、欲望と共通するところがある。では欲望とはどこが違うのかと問えば、それはいろいろと考察する切り口はあるが、差し当たって言える一つのことは、欲望の方はそれ自体が科学的考察の対象となっていることである。もちろんそれは心理学の対象であるが、フロイトが始めた精神分析ではその中心概念になっている。こういう点で、憧れはいまのところ、科学の対象外である。であるからこそ、私は科学に憧れることができたとも言える。「科学への憧れ」は言葉になるが、「科学への欲望」は、言葉にならない。欲望の対象は物質的なものか、生理的なものであるからである。

ともあれ、私にとって科学はそういう憧れの気持ちと強く結びついていた。後から訪れた科学への幻滅の気持ちも、それが憧れであったからこそであろう。

一方、科学に憧れるといっても、科学とは何であるかを最初から分かったうえで憧れたわけではない。そもそも憧れの対象は最初からそれについて知っているものではない。科学という言葉から何とはなしに受け取れる印象あるいはイメージから憧れに気持ちを抱いたに過ぎない。そうだからこそ、将来にわたって科学とは何かについて考え続ける羽目になったのである。

そもそもの発端は、記憶が及ぶ限りで、小学校の科目で理科という科目の授業を受け始めたことにある。理科という科目は私にとってその他の、国語や社会とは明らかに違ったインパクトを持つものであった。それは理科という言葉の語感とも関係していたように思う。今まであまり考えた記憶はないが、いま改めて理科に相当する言葉を英語やヨーロッパの言語で調べてみると、いずれも「科学、Science」かそれに相当する言葉である。中国語でも「科学」となっている。調べてみると、実際にアメリカの小学校の授業科目としての理科はScienceとなっている。日本で「理科」という言葉を誰がいつ頃小中学校の科目として使われるようになったのか、何故、中国でこの言葉が使われないのかについては興味深いところがある。普通の辞書や従来の百科事典にはあまり「理科」という項目は見つからないが、ウィキペディアには「理科」の項目があり、その記述には結構興味深いものがある。やはり、日本発祥の言葉であるが、中国語には取り入れられていないらしいことも興味深いものがある。それによると「理科」という言葉は当初、江戸時代の蘭学者によって、物理学を意味するオランダ語の訳語として発案されたとある。とすれば、「物理学」は「理」に「物」を付けた言葉であるからその後にできた言葉と思われる。やはりウィキペディアで調べてみると、「物理学」については語源的な記述はなく、また「物理」を引くと「物理学」に転送される。おそらく「物理」と「心理」は共に、「物理学」と「心理学」の後からできた言葉であろう。

以上から、詳細な論理は省略して一つの結論を出すと、理科という言葉の概念は基本的に自然科学を意味するが、可能性として心理学をも含みうるもののように思われる。現在、科学とされている社会科学や歴史は含まれないことになる。もちろん、現実に小学校や中学校の理科には心理学的なものは含まれていなかったはずである。また高校以上になれば理科という科目はなくなり、個別科学になるが、それでも大学やそれ以上の教育を含めて理科という概念は意味を持ち続けていると言えるだろう。

ともあれ私の憧れの対象としての科学は、理科という言葉による概念に始まるということができる。