2012年2月14日火曜日

「再生」と「再生可能」および「エネルギー」と「エネルギー資源」

前回2度目に「再生可能エネルギー」の言葉上の問題を取り上げたときは、「可能」と「可能性」とのニュアンスの違いについて述べましたが、この件では「再生」と「再生可能」との違いについても考える必要があるようです。


前回考えたように、「可能」という言葉には主語としての人間の存在が暗黙のうちに想定されていると言えます。人間の能力として、あるいは人為的に、あるいは任意に可能というニュアンスがあり、総体的に「任意に可能」であることが本来の「可能」の意味ではないでしょうか。

それに対し、「可能」がとれた単なる「再生」エネルギーの場合は印象として「自然に再生する」という意味になるように思われます。風力と太陽光の場合は、どちらかと言えばこちらのほうがより適切といえるかも知れません。

この場合あくまでも再生を自然に頼るわけですから、任意に利用が可能というわけには行かないことが意識されるように思います。

また、さらに、この場合は再び「エネルギー」と「エネルギー資源」の違いが問題になってくるように思われます。

前回、エネルギーとエネルギー資源の違いについて言及した際、エネルギー資源は再生し得るがエネルギーそのものは再生不可能であるといった原理的なことに言及した次第ですが、それよりも実際的な、言葉の効果といった面で重要な違いがあるように思われます。

「エネルギー資源」という場合、それがあくまでも資源にとどまっており、エネルギーとして利用する前段階であることが意識されるはずです。つまり、実際に使用可能なエネルギーに変換する工程の存在が意識されるはずなのですが、単に「エネルギー」では、その部分が見えなくなってしまい、天然のエネルギー資源がそのままエネルギーとして利用できるかのような印象を与えるように思います。

結局、風力や太陽光の場合は「自然再生エネルギー資源」バイオ燃料の場合は「人為再生可能エネルギー資源」と呼べば一応は納得できるように思います。もっとも化石燃料も広い意味で「自然再生エネルギー資源」に含まれるわけですが。前回も書いたように風力と太陽光の場合は気象エネルギーと呼ぶのが最もその性格をよく表すと思われることに変わりありません。


なお、この件で前回、「再生可能」に対応する英語をreproducible と考えましたが、それは間違いでrenewableのようです。語感としてはたしかに「自然再生」に近いかなという印象はあります。

またウィキペディアを見ると「広義には、太陽・地球物理学的・生物学的な源に由来し、自然界によって利用する以上の速度で補充されるエネルギー全般を指す」というIPCCで用いられているという定義が紹介されていますが、これもあくまでIPCCの定義であり、各国各団体によって定義の仕方は様々なようです。

特に、「利用する以上の速度で補充される」とはどういう意味なのかまったくわかりません。少なくとも現在、風力も太陽光も一定の場所で利用せざるを得ないわけですが、いずれも天候によって刻々と変化する風や太陽光にこのようなことがどうして言えるのか、意味不明としか言いようがありません。


いずれにせよ、「再生エネルギー」、「再生可能エネルギー」という言葉があまりにも安易に使われ、あたかもそれが倫理的に優れたエネルギー資源であるかのような印象を伴いながら善意あると思われる人々によって頻繁に使われていることにやりきれない思いがします。

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