2017年10月3日火曜日

鏡像の意味論その24 ― 等方的な幾何学空間としての鏡像認知空間と異方的な知覚空間としての視空間

【今回の要点】
  1. 視空間は、各自の眼球内に物理的に結像する実像に対応する。換言すると実像に基づいて同時的に成立する虚像空間であり、異方的な知覚空間である。
  2. 鏡像認知空間、記憶された虚像(鏡像としての虚像および直視像としての虚像)をその中で移動や回転など思考操作する等方的な幾何学空間である。
  3. 上下・前後・左右は、基本的に各自の視空間それぞれに固有の直交する三方向軸(座標軸ではない)である。このような空間は各点が固有の価値をもつので異方的な空間と定義されている(マッハ、カッシーラーによる)
  4. 鏡像認知空間で比較操作される各像は視空間で認知された上下・前後・左右をそのまま引き継いでいるが、それらを包含する全体としての空間は等方的であり、上下・前後・左右などの区別はなく、位置も長さも方向も相対的に規定されるのみである。
  5. 観察者は常にこの両方の空間を使用するが、認知プロセスにおいてあるときは視空間を選択し、ある時は鏡像認知空間を使用する。その際に個人と環境の条件により大幅な差異が生じる。

先般の2回のテクニカルレポート:(1)鏡像を含む視空間の認知構造と鏡像問題の基礎、(2)鏡像を含む空間の認知構造の解明に向けての予備的考察 はいずれも、等方的な幾何学空間と異方的な知覚空間との対比に基づいた鏡映反転の認知メカニズムを骨子として鏡像の問題を扱っていたのですが、十分に理解を得るのが難しかったようです。いま改めて反省してみれば、自分でも明確に把握できていない部分があったことも事実です。等方空間についても異方空間についてもただ抽象的に論ずるだけで、それが現実のプロセスでどの局面で妥当するのか、どの空間に該当するのかという具体性の点で、今一つ明らかにできていなかったように思います。

そもそも視空間だけで鏡像認知空間をまったく用いなければ鏡像を鏡像として認知できず、直接見る像と区別できないことになります。他方鏡像認知空間だけで考察すると、単に対掌体の説明で終わることになります。人間に固有の能力か他の高等動物にも見られるかは別として、鏡像を直視像と比較する場合は必ず両方の空間を使用しているといえるでしょう。
 
高野説は基本的に視空間だけしか考察していないと言えます。ただ文字や記号の場合だけ「記憶」というものを加味しています。一方、高野説が考慮していない等方的な鏡像認知空間は記憶像の存在が前提となっています。思考操作するには記憶像がなければ始まりません。ですから鏡像認知空間を使用する場合は、わざわざ新たに記憶を持ち込む必要はないのです。

今回は殆ど要点のみで簡単ですが、これまでとします
(2017年10月3日 田中潤一)

(10月5日追記)タイトルの「その23」 が前回と重複していましたので「その24」に訂正しました。

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