2025年12月17日水曜日

鏡像問題と哲学あるいは認識論 ― その4― アリストテレスはなぜ鏡映反転現象について語らなかったのか。

 プラトンが『ティマイオス』の中で、鏡像反転現象について、ある説明を行っていることから、それではアリストテレスはこの問題について何も語らなかったのだろうか、という関心を持つのは自然な事だろうし、気になることである。そこで、幸い市立の図書館にアリストテレス全集があったので、関係のありそうなタイトルの巻から目次内容や索引をたよりにこの件を探ってみた。それ以外にも、アリストテレスの思想についても、一般教養程度の断片的な認識しかなかった私はこの際アリストテレスの思想を多少は体系的に学習してからとも思って、一冊のアリストテレス入門書の一部を読んでみたりしたりしてみたが、全集の自然学系の著作から検索してみると、この際、アリストテレスとプラトンの思想的な違いなどを踏まえて深堀りするまでもなく、もっと直截で分かりやすい理由が見つかったので、とりあえずそれについて取り上げてみたい。

それは『自然学小論集』の巻第二章で、プラトンが『ティマイオス』で述べている眼の仕組みについて批判している箇所があったことにある。それによると、プラトンが述べている眼の仕組みは、エムペドクレスの「視官が火である」という説を用いていることがわかる。それは、眼から光がでるときに視覚が発生するという説であって、プラトンの『ティマイオス』では眼から視線として出た光が対象から出る光と衝突したところで視覚が発生するというような意味にとれる。アリストテレスは、闇の中ではこの眼から出た光が消失するという点を不合理であるとし、この、眼から光が出るというエムペドクレスの説を否定しているわけである。

つまり、アリストテレスは『ティマイオス』で説かれる眼のしくみそのものを否定しているわけで、当然、プラトンによる鏡像反転現象の説明も否定されることになる。ではアリストテレスは鏡像反転現象について考えなかったのかどうかといえば、この現象自体はプラトンが『ティマイオス』で述べているとおり、すでに知られ、語られている現象であり、それをアリストテレス自身が解明したわけでもないので繰り返し述べる必要もなかったのだと思われる。

彼は別のところで「光学の専門家たち云々」という記述をしている。つまりアリストテレスは自分自身を光学の専門家とは考えていなかったことになる。そして光学の研究は光学の専門家に任せるつもりであったように思われる。では、光学現象としてではなく心理現象として鏡像反転現象について考えることはなかったのか、と問う事もできよう。それがなかったという事は、アリストテレスもやはり鏡像反転現象を眼の仕組みと関わる光学的な現象であると考えていたからであると思われる。それで、それも光学の専門家の今後の研究にゆだねる気持ちであったという事はできないであろうか。

このように考えてくると、鏡像反転現象が光学とは関係しない純粋な心理現象であるという発想は、近代科学の成立以降に発生した一つの迷妄ともいえるのではないかとも思えるのである。もちろん、心理学的、および認識論的な側面の重要性が浮かび上がってきたことは有意義ではあると思う。

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