2009年3月11日水曜日

進化生物学の比喩について ― ブログへのコメント

蒼龍氏のブログ
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20090306
へのコメントをさせて頂いたのですが、同じ問題で3回目になり、長くなったので先方のコメント欄からこちらの方に切り替えました。

ひとまず安心しました。何度もご回答頂き有り難うございます。
ただ私の言いたかったことはちょっと違っています。
ネオダーウィニズムと進化心理学の全体像について何もコメントする気はありませんし、できもしませんが、コンピューターとのアナロジーの問題に限っては、前回のコメントは意味のあることだと確信しています。その点からのみですが、それで進化心理学に対して批判が有るというのももっともだなと思った次第です。

要するに脳をコンピューターに例えることの意味をもっと深めていく必要があるのではないかと言うことです。数理的理論、シミュレーションなどの高度な手法は何れも形式的な、また数学的な手法ないし技術といえると思いますが、そういう高度な手法で研究を進めてゆくのであれば他方、なおさら基本的な意味を深めていかなければ、あるいは比較することの意味を厳密にしていかなければならないのではないかと。脳をコンピューターに喩えるというのはこの場合、それはコンピューターに適用されている情報理論やプログラムや手続きを脳にも適用するということだと思うのですが、そのコンピューターはそれを繰る人間とのセットと考えなければ意味をなさないと思うのです。

あとは長くなりますので私のブログ(ブロッガー)の方で続けさせて頂きます。そちらも見て頂ければうれしいです。


シミュレーションについては色々問題が指摘されているように思います。私のブログでも以前に取り上げたのですが、BBCニュースの記事でネズミの脳を当時世界最高のスパコンでシミュレーションしたという紹介記事がありました。ネズミの脳の片方半分を実際の速度の10倍で10秒間だけシミュレートしたという内容ですが、それでもスパコンにとって相当な負担だったようです。一方当時その世界最高のスパコンに追い越された、その1/10の性能の日本製「地球シュミレータ」は、「地中をまるごとシミュレートする」と豪語しています。地球と言っても実際には温暖化に関わる範囲のことでしょうが、ネズミの脳と地球とはまるで違います。シミュレーションできるからということで言えば地球をコンピューターに喩えることもできる訳です。もちろん素人には脳をどのようにシミュレートしたのかは分かりませんし、専門家にはネズミの脳のシミュレーションで有益な知見が得られたものと思いますが、すくなくともコンピューターでシミュレーションできるからと言ってコンピューターとのアナロジーの意味が明らかにされたわけではないと思います。

ちなみに、コンピューターシミュレーションによる温暖化予測についても大いに疑問が呈されています。これも私のブログで、何度も取り上げていますが、私はたった一冊ですが、地球温暖化の太陽活動主因説の根本順吉氏の本を読み、それとインターネット上の鎚田敦氏のサイトその他一部の専門家による幾つかのサイトを参照してから太陽活動主因説の正しさを可成り確信し、BBCニュースを初めとする科学ニュース記事の内容と比較してみたわけです。もちろん科学ニュース記事にはそこで紹介されたIPCC報告の内容も含まれます。実際には多少は科学ニュース記事以外も見ていますが、国立環境研究所の地球環境センターの広報ページなども見ました。それらの何れの説明を見ても根本氏等の太陽活動主因説の基本主張を覆すだけの説明はなく、素材としての調査結果あるいはデータがある場合は逆に太陽活動説を補強すると考えられるものばかりでした。はっきり言って「ニセ科学」批判とか「科学リテラシー」云々、また無条件に「疑うこと」の薦めなどを盛んに喧伝している人たちがCO2主因説を主張したり支持しているのを見ると、科学の信用を落とすのに貢献しているとしか思えませんね。それはともかく、コンピューターシミュレーションも単なる技術で用い方次第で、それを用いているから信頼がおけるとかそう言った問題ではないでしょう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そこが私の進化心理学への批判の要点ではないのですが、それは置いておきます。

コンピューターシミュレーションに関しては、最近では認知科学の中心部分ではなくなっていると思うので、あまり心配する必要はないと思います。人工知能が人間と同じになれるという強い人工知能の立場をとる人は今ではあまり多くないと思いますし、もっと弱い前提でもコンピューターシミュレーションでの研究に意義があることの変わりはありません。コンピューターシミュレーションもそれを用いているから信頼がおける訳ではない、という意見自体には賛成します。あくまで一研究手法であることに変わりありません。

また、科学者の間でも意見が一致しないことはたくさんあります(温暖化の原因はその一例)。ひとつだけ注意すべき点は、科学には専門家にしか分からないことがいっぱいあるので素人がそう判断できるものでないことです。科学にも比較的に合意が得られているものから得られないものまでいろいろあります。明らかに合意が得られてないものに対しては素人は距離を置くのがいいと思います。もちろん興味を持つことや意見を持つことは自由ですが、自分で正しい判断が出来るなんては思わない方がいいです。ただ問題は、そもそもにおいてどの程度に見解の一致が見られるかに関して自体を知ることが出来るかです。日本はこの点では特に悲惨です。この問題は論じ始めると長くなりそうなのでやめておきます

何だか偉そうに語ってすいません。一応これが私の意見ってことで。

田中潤一 さんのコメント...

ご丁寧な説明有り難うございます。
また安心しました。
たしかにそうですね。
ただ専門とは何かということをまた考え始めざるを得なくなるわけです。そのことを別の記事としてこのブログに書くことにしました。今回は大変失礼しました。