2012年1月12日木曜日

「再生可能エネルギー」の意味 ― 「胡散臭い」ひびき?


再生可能エネルギーという言葉が使われる頻度が着実に増してきているようだ。

去年、この言葉を使用した法律案が提出される頃の話、ある日曜日、昼のテレビ番組でコメンテーターのK氏がこの法案について「胡散臭い」という表現をしていたのが記憶に残っている。

たしかに、脈絡なしでこの言葉を聞いただけでも何か胡散臭いという感じがする言葉である。もちろんこのような言葉はいくらでもある。極端な話、言葉、言語そのものが胡散臭いといえば言えないこともないが、それを言ってしまえばお終いということになろう。

ともかく法律にまで使われている言葉である。きちんと意味を明らかにしておく必要がある筈である。

ちょうど昨日読み終わった書物、内橋克人著「浪費なき成長」に、この言葉が次のように定義されている。
「地球の自然環境のなかで繰り返し再生している現象を利用する無限に近いエネルギー。風力や、バイオマス、太陽光・熱発電など」

この定義は一応、論理的な定義であると思う。これによれば「再生可能」というのは「自然現象」にかかる修飾語であり、エネルギー自体を修飾しているのではないことがわかる。しかし普通に使われている「再生可能エネルギー」あるいは「再生エネルギー」という言葉をそのまま聞いた印象ではエネルギー自体が再生されるとかいう意味になり、実際多くの人はそのような印象を受けるであろう。

この場合、エネルギーという言葉が物理的なエネルギーを指していることに疑う余地はないが、物理的なエネルギーについてはエネルギー保存の法則という大原則がある。その不滅である筈のエネルギーが再生するとか再生可能であるということの奇妙さがまずある。まだ「再生可能」ではなく「再利用可能」であれば何らかの意味があるのだが、それはこの場合当てはまらない。

次に、先の内橋氏の定義が正解であるとすればそのような現象、つまり風や太陽光・熱などが再生しているというのはわかるが、「再生可能」というのは意味不明ではないだろうか?風は地上の何処かで自然に吹き荒れているし、太陽光は常に何処かに降り注いでいる。何が「可能」だというのであろうか?「可能」をつけることにどの様な意味があるのだろうか?

いずれも自然に再生されているとは言えるが、また自然に途切れる場合もある。特定の場所で風は止むこともあり、太陽は雲に隠れることもある。それらのコントロールが「可能」であるならそれは大した技術であるといえるのだが。ちなみに水力はダムによってこのコントロールが可能になっていると言える。
要するに「再生」あるいは「再生可能」が自然現象にかかる修飾語であるとしてもおかしいし、エネルギーにかかる修飾語としてもおかしいのである。

結局この「エネルギー」を「エネルギー資源」とすれば分かりやすくなる。エネルギー資源を簡単にエネルギーと言うのだという事かもしれないが、エネルギーとエネルギー資源は全く異なった概念である。略称という考え方もあるが、略称の場合はちゃんとした正式な名称があってのことである。また「再生」であるのか「再生可能」であるのかも決まっていないようだ。

この場合は日本語と英語のニュアンスの違いによる面があるかも知れない。英語では恐らく「reproducible」に決まっているのだろう。

しかし端的に無尽蔵エネルギー資源とでも言えばそれで済むことではないだろうか、「再生可能エネルギー」とは何か思わせぶりで「胡散臭く」思われても仕方が無いだろう。とりあえず少なくとも「資源」を付けて「再生(可能)エネルギー資源」と呼ぶべきだろうと思う。

そこで「再生可能エネルギー資源」と変えた場合、印象はどの様に変わるだろうか?

単にエネルギーというのではなく「エネルギー資源」になると、かなり具体性が出てくるように思われる。そしてさらに具体的にその資源とは何をさすのであるかという問題が浮かび上がってくるように思われる。

この問題を考える場合に及んで始めて「再生」と「再生可能」との違いが意味を持つようになってくるといえる。太陽光や風力、あるいは水力の場合は「再生」という表現が最適であるとは思えないが、まあとりあえず自然に、不規則ではあるが「再生」されているとは言える。「再生可能」にあたるのはバイオ燃料のことであろう。とくに穀物や燃料用作物を栽培する場合は「可能」が重要な意味を帯びてくる。

天然林の薪などを使う場合はまたこの「可能」の意味合いも異なってくる。天然の森林は人間がコントロールして再生しているとは言えないからである。それでも常に再生はしている。

さらに、石油石炭、天然ガスなどの化石燃料の場合も「再生可能」ではなく自然に「再生」される範疇に入ると考えられる。ただし地質学的スケールで進行する現象だけに、人間的スケールでは「再生」とも「再生可能」とも言うことはできないということであろう。しかし埋蔵量のことなどを含め、わからないこと、解明されていないこと、あるいは隠されていること、公表されていないことなどが多すぎる。

この様に見てくると、事実上、すべてのエネルギー資源は再生エネルギー資源または再生可能エネルギー資源といって差し支えない。ところが、例の再生エネルギー関連の法律では事実上太陽光発電と風力発電のことを意味しているとみなさざるを得ない。再生可能エネルギー資源といってもその意味合いは千差万別であるから、この様なカテゴリーを使うことに科学的な意味は無いのである。

具体的に風力発電とか太陽光発電などといえば良いのである。風力発電と太陽光発電の2つをまとめる必要があるのであれば「気象エネルギー」という言い方が適当だと思われる。いずれも気象に左右されるからである。

いずれにしてもエネルギー資源を「再生可能エネルギー」と「非再生可能エネルギー」の2つに分ける二分法には何の意味もなく誤解や欺瞞が入り込む隙間だらけであるといえる。


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