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CATEGORY: 読後メモ
DATE: 12/17/2011 15:47:19
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(この記事は最初、読後のちょっとしたメモとして、簡単に1日で仕上げるつもりでしたが、書き始めると一向にまとまらず、結果的にかなりの長期間にわたって筆者の時間を奪うものになってしまいました。またかなり長いものになってしまい、文脈的にも整合されたものになっていませんが、とりあえずこの辺りでひとまず打ち切ってアップしておきたいと思います。)
先月、表記の本が真新しい表紙で書店の文庫本コーナーで平積みにされているのを見て、他の購入予定であった本と併せて衝動的に購入してしまった。もちろんこの有名な著作のことは知っていたが、内容についてはっきりとした記憶がなかったので、この際読んでおこうという気になったのかもしれない。購入後数日たってから思い出したように読み始めたら非常に早く読める。一気に2日程で読んでしまったのだが、それもそのはずで、確かに昔、同じ内容を読んでいたのだった。しかし全く同じ本ではなかったように思う。章句を思い出したわけでもなかった。少なくともかつて読んだ本よりは、今回は分量が増えているようだ。前の本を捨てたはずは無いので、探せば見つかるだろうが、必要もないので探さなかった。ただちょっとネットで過去の版を調べるには調べてみた。
というわけで、大体の内容は過去に読んでいたのでそれを思い出したといっても良いのだが、しかし今回は再読したから思い出したのであって、「文明の生態史観」のコンセプトはこういうことだという概念が身についていたわけでもなかった。今回再読しなければ、「文明の生態史観」というタイトルを読むだけではその概念を思い起こすことはできなかった。
【文明の生態史観とエコロジー】
その程度の記憶ではあるが、それでも覚えていることと覚えていないことがある。あるいは今回の本に含まれていて以前の本には含まれていない内容があったことも確かである。どちらでも良いけれども、今回始めて気づいたことの一つは、著者の元来の専門分野が本来の、つまり生物学の一分野である生態学であったということだった。著者はよく、自分は理科系の出身であるということを発言されていたように思うけれども、実際どの分野であったのかは記憶がなかった。今回始めて、著者が生物学者として出発し、生態学が専門であったことに気づいた次第である。
今回、私がこのことに注目したのはやはり昨今、なにかと生態学、というよりエコロジーが問題になることが多く、私自身も関心を持ち、つい最近になって、特に最近の日本ではエコロジストとして言及されることの多い南方熊楠に関する本、それも特にエコロジーとの関連で、エコロジストとして南方熊楠をテーマとした本を2冊程読んだばかりでもあったからでもある。
梅棹忠夫自身はしかしエコロジーというカタカナ語はつかってはおらず、この本以外のところでも「エコロジー」について発現されているのを見たり聞いたりした記憶があまりない。どうも今流行のエコロジー運動とは無縁であった学者文化人であったように思う。という次第で、著者がエコロジー運動についてどういう考えていたのかに興味を持ち、詮索したくなったのである。
今回読んだ文庫本(中公文庫)には「生態史観から見た日本」という講義録が収録されているが、それには次に引用する章句が含まれている。
【文明の生態史観は「べき」、「ゾレン」、「当為」の議論ではない】
『しかし、読んでくださればわかるように、「生態史観」は「べき」の議論ではございません。それは、世界の構造とその形成過程の認識の理論であって、現状の価値評価ないしは現状変革の指針ではございません。それは、ザインの話であって、ゾレンの話ではないのであります。そこからは、どんなにきばってもみても、「べき」の話はでてこないのであります。』
『私はむしろ、そのような「べき」の立場にたたなかったからこそ、生態史観のようなものができたのであるとかんがえているのです。わたしにも、一般的な実践について、あるいは「べき」について関心や意見がまったくないわけではありません。しかし、この問題に関しては、わたしはやはり、区別ははっきりしておいたほうがいいとおもうのです。』
『ところが、「生態史観」を発表して以来、よせられた反響のひじょうにたくさんの部分が、この「べき」を問題にしているのであります。』
『生態史観というようなものは、私は、なによりも単なる知的好奇心の産物であるとかんがえています。』
以上に引用した個所は非常に重要な問題を含んでいるように思われる。端的に言って著者の考え方は正しいと思う。「べき」の問題、つまり倫理や政治的な問題は学問的、とくに科学的な問題とは区別しなければならない。
但し著者自身は、「区別ははっきりしておいたほうがいいとおもう」とは言うもののそれに対してそれ以上に熱を入れて非難することもなく、そういう傾向を打破すべく活動を始めることもなく、その事自体に興味を持って次のように考察を始める。
【政治と知識人】
「わたしはむしろ、日本の知識人たちが、理論的関心よりも、実践的関心のほうを、よりつよくもっているという現象そのものに興味をそそられるのであります。」
という文脈につらなり、知識人のこういう態度を日本とヨーロッパに共通する特徴であるとして「文明の生態史観」のなかに、知識人の「生態」とは言わないまでも学問的姿勢を組み込むような考察を始める。そして「生態史観の応用的展開の一部としての比較知識人論、ないしは比較教育論へのいとぐちにすることができるかもしれないと、こうおもうのであります」という抱負を語ることでこの講義を終えている。
ただここで、著者は考察をさらに進めるにあたって「べき」の問題、「当為の主張」の問題を「政治指向」の問題に置き換えている。「当為の主張」という広い範囲の問題を政治の問題に限定あるいは狭めているとも言えるが、問題をそらせている訳ではないし、政治が重要な問題であることには変わりがない。
なお、著者は当為を表す言葉として最初にカッコつきの「べき」という言葉を使い、次にドイツ語のゾレンをつかい、あとから「当為」という言葉を使っているが、この記事では以降「当為」を使うことにしたい。
【「文明の生態史観」と「エコロジー思想、運動」との平行関係】
この「比較知識人論」の契機になった問題というのは、著者が提起した「文明の生態史観」に対する知識人側からの反響であった。著者自身が純粋に知的好奇心の産物と考えていた生態史観に、現状の価値評価ないしは現状変革の指針を見ようとした知識人層を見てのことであって、今問題になっているエコロジーの問題、エコロジー思想やエコロジー運動については何も語っていない。
けれども、著者の生態史観も、世界的なエコロジー思想や運動も共に、基本的に、言葉どおり生物学の生態学に由来しているわけであるから「文明の生態史観」とエコロジー思想との間に何らかの並行的な見方ができる筈である。
すなわち、梅棹忠夫はその本来の専攻分野である生物学の一部門である生態学から出発し、それを人間の歴史に応用して「文明の生態史観」を提起したが、一方でちょう時期的にもそれと平行して同じ生物学の生態学をやはり人間に関する問題に応用したと言えるエコロジー思想あるいはエコロジー運動が展開してきたと見ることができるわけで、見方によっては同じ生態学に由来し、それを人間に適用する際の二通りの道が示されたとも言える(二通りしかあり得ないという意味ではなく)。
そして、著者がその一方の道として提起した「文明の生態史観」に対する反響が「知識人の政治指向」に由来するものであると著者が考えたわけだが、その同じ「知識人の政治指向」が、文明の生態史観と平行して展開していたエコロジー運動に大きく関わっていたと見ることができるわけである。
【文化系知識人が目立つエコロジー運動】
そう考えるには当然、根拠がある。著者がここで知識人と言っているのは主として人文科学系の知識人のことを指しているといって間違いはないだろう。エコロジー運動の方も、推進しているのは、少なくとも日本の学者知識人でエコロジー思想を喧伝しているのは、目立つのは社会学者や文化人類学者など文化系の学者や文化人の方である。
【当為の主張が入ることでエコロジーが文化系知識人のものになった】
専門的な生態学や地球科学系の出身者よりもむしろ社会学者や文化人類学者やその他の文化系学者、あるいはジャーナリストなどの活動が目立っている。またエコロジー運動の活動家は学者というよりも文字どおりに「活動家」でしかないようなケースも多いだろうし、知性派的な芸術家や芸能人の創作活動に取り込まれたりという場合も多い。職業的な芸術家や芸能人の創作活動とは即ビジネスである。当然いずれも生物学や地球化学を基礎とした生態学や環境科学の本格的知識を持っているとは思えない。もちろん中にはそれなりの勉強をしている人もいると信じるが、あくまで当為が先に立ち、偏見のない自由な、それこそ純粋な知的好奇心から勉強をしているとは考えられない。そのような立場の人の場合は当然、当為、「べき」の方が出発点になっているからである。
つまり、人文科学系出身の学者や芸術家や芸能人などが本来の生態学や地球科学を専門的に勉強することがあっても、エコロジー運動からその分野に入って行く場合はもはや先入観を持たずに純粋な知的興味から知識を取り入れることができにくくなくなっているのである。もちろんこれは傾向としてである。
【本来のエコロジー以外の自然科学者が主導するエコロジー運動】
また自然科学系の知識人であってもエコロジー運動に積極的に関わっている人物はむしろ本来の生態学や地球化学からは隔たった分野の専門家が多いように思われる。例えば今エコロジー運動の最たるものは地球温暖化対策という問題といってよいと思われるが、私見では地球温暖化問題に最も関係の深い自然科学の特定分野があるとすればそれは地球化学をおいて他にはないと思っている。もちろん気象学も、気象学がその一分として含まれると言われる地球物理も関係が深いが、地球化学はそれらをも包含するものだと思う。もちろん、生態学もそれなりの関わり型で関係していることも確かである。
ところが、自然科学系の専門家で、特にエコロジー的な発想で地球温暖化対策に熱心で発言機会が目立つのは計算科学者、物理学者、原子力工学の出身者などで、本来の生態学者も地球化学者も、あるいは地球物理、地質学など地球科学一般の専門家も一向に目立つところに姿を現さないように見えるのである。もちろん政府所属の研究機関などに所属する専門家は別である。
【エコロジー思想に取り込まれた地球科学、特に温暖化問題】
それはこういうことだと思う。地球温暖化問題がエコロジー問題となることで、この問題を扱うのに最も相応しい分野は何かという問題からフォーカスが外されることになるのである。覆い隠されるとも言える。そこでこの問題に高い関心を持ち、エコロジー運動に熱心な他の分野の科学者が主導的な意見を主張することが不自然ではなくなる。この問題が、当為の議論を含むエコロジーの問題となり、エコロジストの扱うべき問題ということになり、「現状の価値評価」、「現状変革の指針」を含むエコロジーの権威が強調され、ありのままの現状認識の問題が副次的な問題とされてしまい、フォーカスを外されてしまうのである。こういう現象自体が梅棹忠夫のいう「知識人論」の対象となるような知識人の生態とも言えるような事態が生じている。
要するに自然科学系専門家の場合も人文系の学者や芸術家、芸能人の場合と同様である。
一般に自然科学者の間では、分野の違いによる専門の独立性を尊重する気風が文化系の学者よりも強いのではないかという印象がある。お互いの専門性を尊重し、他の専門分野に立ち入ることを差し控えるような傾向が強いのではないだろうか。その結果、自分の専門ではない分野については、自分の頭で考えることを放棄してしまうのは文化系の学者や芸術家の場合と変わらない場合も多いように思われる。むしろ学問的な専門分野を持たない一般人のほうが公平に、真実に近づきやすい面もないとは言えないと思う。
他方、政治の立場からすれば環境問題は重要な問題であり、政治が、環境問題への回答を自然科学の様々な分野に求めるのは当然のことである。当然、好むと好まざるとに関わらず、科学者も政治に向けて何らかの対応を迫られる。その相手は狭い意味の政治家に限らず、それ以上に行政組織、さらに利益団体とか、イデオロギー団体とか、活動家など、あらゆる政治的な立場から自然科学者の方に向けられる働きかけに対応せざるを得ない。
このように地球科学がエコロジーに取り込まれた、というか飲み込まれたような形になっているが、それは正当なことなのかが問題になってくるのである。
【物質科学、生命科学、人文科学、歴史と科学】
ここまで、梅棹忠夫の「文明の生態史観」と「エコロジー思想」とをただ、当為の立場に立っているかいないか、あるいは当為の立場であるか、単なる知的好奇心の立場からであるかという点における違いのみを問題にして比較してきた。著者は自らの生態史観を「世界の構造とその形成過程の認識の理論」であり、「現状の価値評価ないしは現状変革の指針」ではないと言っている。一方、エコロジー思想は「現状の価値評価ないしは現状変革の指針」に該当しているので、これまで見てきたようにこの2つの思想を単純に当為の立場であるか当為の立場を含まないかという点だけで比較してきたわけだが、それでもこれら2つの思想にはその点以外にも大きな違いがあり、またそれらのコンセプトには違いがありすぎるとも言える。
というのも、何よりも人間の当為の議論を含んだ、あるいは当為の指針を求めるとも言える「エコロジー思想」は、本気で考えればあまりにも、途方もなく壮大なものになる筈だからである。
「文明の生態史観」の方は、もちろんこれも壮大ではあるが、ただ生態学の方法を人類の歴史の理解に応用するということであって、地球全体としての理解などは含まれていない。ここでは地球環境は人類史の外部にあるシステムであって、地球環境への人間からの働きかけについては、基本的に考察の対象外であるように見える。
他方のエコロジー思想の方は恐らく、人間を含めた地球全体を人間の立場を離れて考察しようとする立場であろう。その中では自然に対する人間からの働きかけが含まれる。この辺りの事情から「地球に優しく」とか、「地球を愛する」とか、「地球が好きだ」とか、「すべてを地球のために」といったキャッチフレーズが飛び出すようになったのだろう。
しかし、生態学という生物学の段階ですでに生命現象を取り扱っているわけだが、人間活動をも含めるとなると、一体どうなることか。生物学の段階ですでに物理化学現象を主題として扱っているわけではなくなっている。それに人間の文明をも含めるとなると一体どういうことになるのだろう。
【歴史でつながる生物学と地球科学】
元来生物学には地球という概念は存在しない。少なくとも表面には登場せず、学問のテーマそのものではない。環境という概念なら当然、生態学にはあるのだろうが、しかしそれも主題ではなく、あくまで背景あるいはシステムの外にあることは「文明の生態史観」の場合と同じである。物理的な物体や化学的な物質を扱っているわけではない。地球を物理的な物体または化学的な物質として扱うのは地球物理や地球化学である。「文明の生態史観」が物理的、化学的な物質としての地球を研究対象とせず、またできないのと同様に、生物学の生態学も生態学の枠内で地球を物理科学的に研究することはできないのである。
ただ、地球科学には歴史の概念がある。地質学の目的は地球の歴史を明らかにするものであるという考え方がある。その地球には当然、生物と人間も含まれ、生物と人間が物質としての地球に何らかの足跡を残し、地球の歴史と重なる部分があることから伝統的に地球科学と生物学はつながってきたといえる。ダーウィンは地質学者として出発したが、生物の進化を研究することによって結果的に生物学者に転向したという事になった。
このように生物学と地球科学が繋がっているとはいえ、それはあくまでも別物が繋がっているだけであって、決して1つの纏まった統一体に統合されたものであるとは言えない。
もしも統一体であると言えるとすれば、空間的にも時間的にも、生物も人類も地球のごく一部として包含されることになる。しかし、地球を物理的な物体、化学的な物質として扱う地球科学が、生命や精神現象を扱う生物学や人文科学を包含することはできないことは言うまでもない。という次第で、地球科学と生物学はこれまで一体のものであったことはなく、なりそうにも思えない。
【エコロジーの現在と可能性または幻想】
ところが、エコロジー思想によって地球と生物、人類が一体のものとして把握できるような印象、気分が醸成されてきたように思われる。確かにこれは興味深い問題ではある。しかし精神的な要素を含めて地球全体を科学的に理解するような方法は現在存在しない。
精神的なものが物理現象に影響を与えることやその逆の現象について、例えば超心理学や物理学あるいは哲学的に研究されたり考究されたりしていることに関しては、色々と情報があり、興味深いことは確かである。しかし現在のエコロジー思想や運動に、すでにそういった方面の成果が取り入れられているわけではない。今のところ地球と生命を持つ生物、精神性を持つ人間を一体のものとして統一的に理解できるというのは幻想といったほうが良いのではないか。宗教的直感というものもあるかも知れないが、まあ今のところは幻想であり、少なくとも科学ではない。
要するに現在のエコロジー思想は、本来一体のものではない地球科学と生態学とが一体であるかのように装い、エコロジーを地球全体に拡張しているのだといえる。
【地球の人格化】
一方で、生態学に人間をも含めることになれば、梅棹忠夫の「文明の生態史観をも、またそれこそ「比較知識人論」まで、さらにありとあらゆる社会学的なものをも包含させなければならない。それは途方も無いことである。ところが現在のエコロジー運動は人間の歴史とか社会学とかではなく、当為の主張、あるいは政治的、倫理的なものの方に偏って取り込んできたといえる。その結果、地球の擬人化が始まった、というか、むしろ人格化が始まったとも言える。これは本来科学思想というか科学的言語全般に含まれている擬人的な要素とは別次元の擬人化あるいは人格化である。
大地の神格化なら古くからある。しかし今のエコロジー運動は神格化ではなく人格化に近い。
しかし現実に、表層で行われている議論は、実際に地球が神であるとか人間のような心を持っているかといった議論とは別の次元で行われている。というのは、現在のエコロジー運動が実際に地球が神であるとかまたは地球が心を持っているというようなことを認めた上で科学的議論をしているわけではないからである。少なくともIPCCのようなCO2温暖化説のオーソリティーがそのような議論をするわけもなく、一般の科学者でもCO2温暖化説を支持している層はとくに、神秘主義を批判することにも熱心である場合が多い。さらに工学的な発想が加わり、CO2を地中に圧入して自然をコントロールしようという、自然を改変することに批判的であるはずのエコロジー思想とは大いに矛盾しそうな発想を実行に移そうとする。
要するに、矛盾に満ちているのである。まともで論理的な議論が行われていないように見える。
【地球の人格化ないし神格化が当為と結びつく】
(この部分は再考の予定)
・・・・そういった諸々の結果、エコロジー思想を構成する当為の要素が、地球化学の問題であり、地球化学の問題として解釈できるはずであり、実際に解決済みである地球温暖化の原因論にまで影響力を行使しようとしているとも言えるのである。
もちろん一方で生態学的知見、他方で人間社会の福利、また信仰や精神性からの要請で自然保護や動物の愛護が主張されるのは自然なことであってそれはそれで尊重し、議論が必要であれば議論が必要なことは言うまでもない。しかし、梅棹忠夫が生態史観について述べたように、当為の問題と現象とははっきりと区別しなければならない。そうでなければ結果的に政治とビジネスに翻弄されることになる。現にそうなっているように見える。
地球化学は人間活動をも含めたすべての生命現象をもすべて化学現象に還元(還元という言葉に語弊があるとすれば、むしろ解消または消去)して地球全体を把握することと理解しており、今のところ地球全体を科学的に理解するには地球化学が最も適切な分野であると思われる。
【南方熊楠】
最初の方で触れたとおり、少し以前、南方熊楠の解説本を2冊ほど読んだ。鶴見和子著[南方熊楠」および中沢新一「森のバロック」。非常に難解だが、南方熊楠がこういった問題、つまり自然科学と人文科学の統一といった問題に迫っていることはなんとなくわかる。
しかし南方熊楠のエコロジー思想にそのような展開の可能性があるからと言って、熊楠思想の研究から現在の段階で政治的な当為が出てくるであろうか。
すでに見てきた通り、今の政治的なエコロジー運動は当為、倫理的な先入観による予断と偏見から客観的な地球科学ないし地球化学現象を歪めて解釈する可能性を孕み、政治とビジネスに翻弄される可能性が多々あるところの未熟で歪んだものである可能性が高く、現にCO2温暖化説という誤った学説を強硬にサポートし続けるという欺瞞に陥っている。それ以外にもそのような欺瞞が多々あるようなことが言われている。
ましてエコロジー思想家、活動家の多くは専門の生態学すなわち本来のエコロジーの専門家でもない場合が多いようなのだ
このような状況で、難解な南方熊楠の思想の研究が即、政治的に有効な運動に転化できるとはとても思えない。そこから地球温暖化の原因論に到達できるわけでもないし、エネルギー問題の技術的、経済的、政治的な解決策が得られるとも思えない。地球温暖化問題の場合はすでに地球化学的にメカニズムが明らかになっているのである
今必要なことはむしろ、現在の未熟なエコロジー思想による予断と偏見から地球科学ないし地球科学的知見、さらに本来の生態学を救出し、取り戻すことではないだろうか。
熊楠がエコロジーと民俗学の立場から神社合祀令の反対運動を行ったのは熊楠が精通していた森林のエコロジーと地域の民俗に直接関わる問題であって、同時に時の政府がそれを知らなかったからであると思う。それ以上でも以下でもないと思われる。熊楠の基本的な態度は恐らく純粋な知的好奇心を動機とした学問という、梅棹忠夫の立場に近いものではなかっただろうか。
難解な神秘思想で言葉で表現できないものであるからとも言われているが、南方熊楠がそういう体系を理論化しなかったのは、それが時期尚早であるか、あるいは学問としては不可能であると思ったのではないか。
少なくとも今の時点では、現象の理論と当為とを統一したように見えるエコロジー思想を現実の政治に持ち込むことは政治とビジネスのプロにに翻弄されるだけである。
もちろん学問とビジネスとの結びつきは避けることはできないし、必要である。しかしそれは目に見える形でなければならない。今のエコロジー運動ではそれが内在化されてしまうのである。
【理論を道徳的に判断するイデオロギーの可笑しさ】
今の地球温暖化問題はまさに「当為の主張」を含んだエコロジー思想が地球科学を飲み込むという無理な、少なくとも今の時点では途方もなく無理なことによって発生した歪のような印象である。その結果、一時はCO2温暖化説を否定することが悪徳であるかのような気風さえ醸し出されていた。
同じような現象が放射線問題でも出てきている。医学は元々、当為に関わる倫理的な要素に支配される。低線量の放射線リスクにしきい値があるという主張をすると、それだけで倫理にもとると受け取られかねない雰囲気が醸しだされている。
古くはマルサスの人口論が非人間的で非道徳的だという理由で非難されていたことがある。科学(技術ではない)と道徳を一緒くたにして議論をしてしまうイデオロギーの可笑しさ。そこに技術も加わる。
以上のような現状を見ると、梅棹忠夫が専門学者、あるいは科学者として、純粋に知的興味を動機として研究活動を行うことに強い意志とこだわりを持っていたことに、非常に重要な意味があるのではないかと思う。
【学問は最高の道楽―梅棹忠夫】
昨年出版された「梅棹忠夫語る」の第六章は「学問は最高の道楽である」という表題が付けられ、実際にその通りの意見が語られている。ポイントは、「学問は道楽である」ではなく「学問は最高の道楽である」ということである、つまり「最高の」が付けられていることは重要であると思う。いまそこまで意味を深く詮索する必要もないが、道楽としての学問がその純粋性を保証している面がある。
そのような純粋に知的興味から行う学問は、直接には社会に何ももたらさないように見える。またそう思われやすい。しかし芸術や芸能と同様、そういうものは人々の心を豊かにする上で不可欠のものである。梅棹忠夫が博物館づくりに奔走したのもそういう意味でのことであったように思われる。
筆者にとって梅棹忠夫の最大の功績と映るものは、「学問とは最高の道楽である」という生き方を、身をもって示したことにあるのではないかと思う。
【エコロジー思想へのあこがれ】
以上のように、当為の主張、指針を包含したエコロージー思想、運動の中に様々な矛盾と混乱を抱え込んでいることが見て取れるように思う。
しかしこのような現在のエコロジー思想ないし運動が多くの人々の心をとらえていることは重要な事実である。実際、科学と当為が統合されているように見えるエコロジー思想は1つの理想であり、究極の知識と言えるのかも知れない。理想的、究極のそれは人生の指針となり、生きがいとなり、絶望からの救済とも映る。
他方、「学問は最高の道楽」という梅棹忠夫の立場も1つの救済ではないだろうか。道楽は遊びとは少し異なったニュアンスがある。南方熊楠の態度も梅棹忠夫の立場と誓いものであったような気がする。
ところで、道楽とは何だろう?
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